5
お母さんの部屋に戻ると、やはりお母さんの姿はなく、エアコンは切られていて寒い。
結局昨日のお寿司も開けることもなくそのままテーブルの上。
それから、脱いだ服が部屋の隅に積んだままだった。
洗濯しないといけないのに、どんどん積み重なる。
そういえば洗濯機がないことに気付いた。
バスタオルも洗っていない。
バスタオルが一本しかなくて、一昨日使ったものをバスルームにそのまま干してある。
二人で一本のタオルを使うことにも抵抗があったし、それを洗わずに干すことにも抵抗があった。
いつもだったら、父の家では、棚にどっさり積んであるフカフカのタオルでバサバサ拭いてそのまま洗濯機に放り込んでいる。
父が毎朝洗濯して干している。だから毎回フカフカでいい匂いのするバスタオルを使っている。
だから、洗わずに硬く乾燥したバスタオルには、触れるのにも抵抗がある。
どうするんだろう。どうしたらいいんだろう。
健介はとりあえずエアコンをつけて毛布に包まる。
家に、帰りたい。
暖かい家でマックス抱いて寝たい。
行かないかなぁ、お母さん。
父さんと仲直りしてくれないかなぁ。
家にだったら洗濯機もあるし父さんが全部やってくれる。
引っ越さなくて済むなら、朱鷺ちゃんにも会える。
朱鷺ちゃんに謝らなきゃ。
きっと僕が悪いんだ。
きっと僕が悪かったんだ。
子供だから何にもわかんなくていろんなことを悪くしたんだ。
でももう子供じゃないし反省したしちゃんと謝るし、我慢もするから。
家に帰りたいな。
毛布に包まって床に転がり、健介はじきに寝てしまった。
そしてまた日付が変わった頃に、玄関が乱暴に開けられて健介は音に驚き跳び起きた。
部屋の中は真っ暗で、それがさらに怖かった。
でもお母さんが帰ってきて、電気のスイッチを入れて明るくなった。
お母さん。
僕、ちゃんとするから、我慢するから、父さんの家に一緒に、
そう心の中で整理して立ち上がってお母さんを迎えに行こうとして、
また乱暴に開かれたドアの前で、立ち竦んだ。
現れたのは、小さな黒い男だった。
「おおぅ!こいつか?例の子供はっ!」
男が大声を上げて健介を指差した。
「そーっ!あたしの一人息子っ!」
後ろから現れたお母さんが、男の背中に抱きついてそう言った。
「へー。よく見つけたな」
「そりゃそうでしょ!あんないったい思いして産んだんだから!」
健介は一歩も動けず、酔って笑う二人を見上げていた。
「まー、とりあえず、当分はオレがお前の父親だから。パパとでも呼んでもらうかな!」
男が健介に近づき、胸倉を掴んでそう言った。
健介は反射的に首を振る。
パパ、なんて呼べない。僕の父さんは一人しかいない。
そして男は、首を振る健介の身体を引き寄せて、その頬を殴った。
目覚めたばかりで身体に力の入らない健介は、転がって壁に頭をぶつけた。
「なにするのよ!やめてよ!」
お母さんが健介を庇う。
「犬でも言うだろ?最初に殴れって。躾だ、躾」
「乱暴はやめてよ!」
お母さんはそう言って立ち上がった。
「子供殴るためにここに来たんじゃないでしょ?」
血の味がする。口の中を切ったみたい。
健介はまだ立ち上がれずに俯き、そんなことを考えている。
こんな暴力を受けたことがないから、正しい反応ができない。
何が起こっているのか、わからない。
「子供殴りに来たわけじゃねーけど、その目的にはこいつ邪魔じゃねーの?」
黒い男が笑った。
「大丈夫!いい子だから!」
お母さんも笑った。
そしてお母さんは、まだショックで立てない健介の腕を取り、引き上げながら言った。
「わかるわよね?部屋から出てくれる?トイレかお風呂にいたらいいわ。外は寒いもんね」
健介は、お母さんの顔を見上げた。
「お風呂がいいわよね。トイレより広いし」
お母さんがそう言いながら、健介の腕を引いて風呂の扉を開けて健介を押し込む。
「寒いといけないから、ブルゾン着て寝なさいね」
そう言って健介のブルゾンを放り投げ、扉を閉めて電気を消した。
健介は狭い真っ暗なバスルームに取り残された。




