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兄の会社を飛び出し地下鉄に乗り、朱鷺は自宅の最寄駅で降りた。
朱鷺の自宅は、原田の家からさらに10分坂を登った先にある。
駅からとぼとぼと歩いていると、歩道の先に小学生の下校集団がいた。
ふざけながら歩いている数人に見覚えがある。
健介の友達だ。
しかし健介がいない。
顔見知りだからいつもだったら身振り手振りを交えてでも健介の居場所を訊きだしているところだが、
今は躊躇う。
さっき原田に突き付けられた一言。
『健介は手話を使わない』
確かに数日前、この道で健介に無視された。
何があったか知らないけど、ちょうどチケットが手に入ったから健介と遊びに行けば仲直りできると思っていた。
だけど。
手話を使わない?
耳のことで?
いまさら、耳のことで?
小さい頃からずっと見てきた子供だ。
手話も自然に覚えてくれた子供だ。
当たり前のように聞こえない自分に接していた子供だ。
どうしていまさら。
朱鷺は小学生に尋ねることもなく、分かれ道に差し掛かって俯いて坂道を登った。
母親に返した?
母親に返したって何?
意味がわからない。
原田さんは元々、意味がわかるように説明してくれない。
誰が知ってる?秋ちゃん?
秋ちゃんは今ハワイだ。
僕にはどうしようもない。
聞こえない僕にはどうしようもない。
俯いて歩く朱鷺の背を、二度車がパッシングした。
気付いて振り向くと、するりと横にシルバーのメルセデスが停まった。
助手席のウィンドウが下がり、運転席から母が微笑み、乗りなさい、と指で示した。
朱鷺も微笑んで頷き、ドアを開けた。
長い坂道を歩いて登るのは苦痛だったから嬉しい。
坂の途中に原田の家がある。
門もシャッターも閉じて電気もついていない暗い家。
健介がいればどこかに灯りがあるはずなのに。
本当に、いないんだ。
自宅の門が電動で開けられ、メルセデスが車庫に向かう。
父のレクサスの横に停めて、車を降りた。
歩きながら母に、どうしたの?と尋ねられる。
なんでもないよと首を振る。
そう?気落ちしてるようだけど?
そう訊かれても、朱鷺は微笑んで首を振る。
二三日旅行に行かない?近くだけど。母が朱鷺の顔を覗き込んで提案した。
もう寒いから、温泉にでも泊まりましょう。
朱鷺は、頷いた。
気晴らしになるかも知れない。
そう。先方も喜ぶわ。
母がそう続けた。




