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「本当……か?」
せっかち上司が森口に訊いた。
「はい。僕が見ました」
「見たっていうのは、何を?」
「はい、あの、関谷さんの子たちが紫田の玄関にちょうどいて、それを見てこの子がさっきのように火がついたみたいに叫んで、」
「臨時に呼ばれた年配の職員さんも証人です。横井さんって言った?」
君島が付け足すと、安達さんが加わった。
「横井さん?横井さんなら良かったわ。ベテランだから安心ね」
「しかし、虐待……。それなら、」
せっかち上司が原田を向き直った。
「虐待の疑いがある場合は、すぐに病院で診察してもらわなければ、」
上司の表情は、さっきとは一転して深刻なものになっている。
それを見て君島は、なんとかなりそうだと安心してほっとため息をついて、上司に言った。
「病院ならさっき、」
「病院なら追い出されたじゃないですか!」
君島の言葉に被せ、森口が声を張った。
「覚えてないですか?誰一人触ることもできなかった子ですよ。大暴れして面談室3に一人で閉じ込めてやっと大人しくなった子ですよ!この子!」
森口が、初出のエピソードを口にしたので全員驚く。
「担当の飯川さんが全然宥められなくてトイレに逃げて泣いてたじゃないですか!」
全員びっくりする中、せっかち上司がおぼろげに思いだして来て呟く。
「……ああ、ああ~。あの子?」
そして再び、健介を凝視した。
「え?え?あの子か?この子が?」
「そうです!あの子です!」
「あまりの暴れように速攻で入院措置になった子だな?!」
「そうです!」
「しかし短期で症状が改善したから紫田に移動になったんだろう?」
「僕は追い出されたって聞きましたけど、飯川さんに訊けば詳しくわかると思いますけど、」
「そういえば改善したはずなのに関谷さんのところのトライアル失敗したんだったな?」
「そうです!手に負えないと戻されました!」
せっかち上司が、やっと健介を思い出した。
「……連れて来た警官さえ傷だらけにした暴れん坊でしたが……。本当に?」
やっと思い出したものの、信じられないように原田にじっとしがみつく健介を目を丸くして凝視する。
そして披露された健介の武勇伝の数々に、原田達は絶句している。
「そうです。そうなんです。信じられないんですけど、」
森口が続ける。
「紫田でも暴れて泣き叫んで引き付け起こして失神したぐらいなんですけど、この人が抱いたら治ったんです」
「ほほーっ!」
職員たちが一転して、原田を感心したように見上げた。
「さっき連れて行った小児科でも、この人に預けておくのが一番この子のためだと言われました!」
森口が追い打ちを掛けた。
「……小児科、」
上司と次長が揃って呟いた。
「お医者様のお墨付きなら安心ね。試しに預けてみたらいいじゃないの」
安達さんがまたあっさりと提案する。
「いや、しかしそんな……」
上司がまた躊躇う。
「いつまでグズグズ言ってるの?このままだと夜になるし朝になるよ!」
君島がそんな子供のような文句を言ってる間に、誰かが階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
全員が顔を向けると、若干小太りで髪の長い女性が廊下の集団に気付いて驚いて立ち止まった。そしてせっかち上司の顔を発見して、早口で報告を始めた。
「紫田の関谷さんの子たちを3人病院に連れて行きまして、疲れはあるものの横井さんがついているので入院はさせずに施設に戻しました。もう一人の子は森口君が連れてるはずなんですが、森口君、」
「は、は、はい、います、ここに、健介君、」
また森口が慌てて原田を示すが、女性もせっかちのようでその意図を汲まずに集団に一通り視線を流した。
「みなさん、どうしたんですか?次長まで」
「ちょうどよかった、飯川君。この子のことだが、」
せっかち上司が急に訊く。
「君の担当だね?この子は?」
「え?」
飯川さんが、やっと原田が抱く健介をじっと見た。
そして、首を振った。
「いえ、知らない子で、……え?」
そして、さらに顔を近づけた。
「え?え?まさか、ま、まこと君ですか?」
「あ、そうです、そうでした。健介君じゃなくてまこと君でした!」
「え?!まこと君、泣いてないの?!」
飯川さんがあまりに大声で驚くので、健介は嫌がって原田の胸に顔を隠した。
「え?あなた、誰ですか?」
飯川さんが、驚愕の表情で原田を見上げた。
「もしかしてまこと君のパパですか?」
原田は無言で顔を顰めた。