15
「どうしたんです、次長。突然」
驚きながらせっかち上司が訊いたが、次長はそれに応えずに大和に確かめた。
「あなたが橘さんで、保護したのはそちらの子ですか?」
大和を見たまま原田に目も向けずに健介を指差す。
「……自分が橘ですが、この子は俺が保護した子では、」
大和も驚いたまま返事をしたが、その言葉の途中で次長がせっかち上司に向き直った。
「今、出先の所長から連絡があり、橘さんと保護している子の事情を詳しく訊くようにとの指示だ」
「は?」
ここの事務所職員は、揃いも揃ってせっかちのようだ。
誰もが次長の言葉を理解できずぽかんとしているのに、せっかち次長はそれに気付かないのか廊下に目を向けて続けた。
「とりあえずは、ここではなく面談室のどこかでお話しを、」
そう言って歩き出そうとするのでまたせっかち上司が止めた。
「ちょっと待ってください!なにごとですか!」
「だから所長の指示だ」
「なにがですか!なぜ出張中の所長がこの方たちをご存じなんですか!さっき飛び込みでこられたんですよ?」
「まぁそういうこともおいおいとお聞きすればいいでしょう。どうぞ、こちらの部屋に」
次長がせっかち上司をあしらい、面談室2に全員を案内しようとする。
「なんなんですか!まさか、どこからかの圧力ですか!」
せっかち上司が突拍子もないことを言った。
そんなとんでも発言に原田たちはばかばかしくてつい苦笑したが、次長は顔も向けずに呟いた。
「私の口からは言えん」
あまりに意外な返答だったので全員また驚いて絶句したが、君島だけは爆笑した。
「圧力だって!そんな力持ってるならこんなところでお腹空かせて泣いてないよな!健介!」
膝を叩いて笑いながらそこまで言い、次長に顔を向けた。
「それじゃ、僕の口から言おうかな。もしかしたら、県知事ですか?」
次長は口を噤んだまま、笑う君島を見ていた。
原田と大和と森口が、すっかり忘れていた強力伏兵を思い出して短く感嘆の声を上げた。
朱鷺が楽しそうにそれを見ている。
その全員の様子を見てせっかち上司が慌てて訊いた。
「県……知事?なぜ、県知事が?」
森口も慌てて説明する。
「え、あの、その、今日の夕方に秘書さんから連絡がありまして、僕が紫田の施設に行ったら知事も、」
「ああ、あれ?知事?知事の訪問?視察?そんな要請があったか?」
「いえ、いえ、僕も知らなくて、行ってみたら知事がいて、」
「そんなこと早く報告しろよ!」
「すみません!しかしそんな余裕がなくて、」
「知事って……」
「いや、知事ではなく所長の指示だ」
「次長……」
呆れたふうにため息をつき、せっかち上司が原田に向き直った。
「なにもかもよくわからないんですが、複雑な背景があるようなのでお話はお聞きします」
その言葉に全員ほっとため息をついた。
しかし。
「明日ゆっくりとお聞きします。今日は遅いですしこちらにはもっと緊急の用件が詰まってますので、申し訳ありませんがその子を置いてお引き取りください」
「無理です」
原田が速攻で断った。
「今日はとにかくもうどうしようもないんです。どうぞ明日またお越しください」
そう言いながら、上司が原田の抱く健介に腕を伸ばす。
「明日出直しても構わないですから、あの施設だけはやめてください」
原田がまた健介を庇いながらそう頼む。
「ですから他に空きはないんです。あそこの何が悪いんですか!」
君島がせっかち上司の腕を遮り、急いで訴えた。
「この子、里親の家で虐待されてたんだよ。そこの子がいるから、あの施設には預けられない」
その途端。
「え?」
「え?」
「え?」
職員たちが一斉に息を呑んだ。
そして一斉に息を吹き返した。
「……そんな、まさかそんな、」
「き、聞いてないぞ、虐待?」
「虐待とはなんだ、」
「どこを?なにを?怪我?」
「どこですか!」
そして一斉に原田に詰め寄ったので、健介が悲鳴を上げた。
「し、し、縛られた痕が、あるんです。それは、お医者さまにも確認してもらって、」
森口が慌てて説明する。
「縛られた?!誰が、そんな!」
「里親と言いました?里親とは誰です!」
「その里親がやったっていう根拠はなんですか!」
「いえ、関谷さんじゃなく、その、」
森口のたどたどしい説明を君島が引き取った。
「関谷さんという里親が、引き取った他の3人の里子に、やかましい健介をベッドに縛り付けておけと命令したそうです」
ひっ……、と安達さんがまた息を呑んだ。
「縛らなければご飯を与えないし、口答えするのなら家から追い出すと言われたそうです」
「そんな、そんなことを、」
せっかち上司が何か訊こうとしたが、君島が続けた。
「僕がその子たちに直接訊きました。健介を紫田の施設に連れて行ったときに里親に置いて行かれたその子たちがいて、その顔を見て健介が泣き叫んで暴れ出した。それから、その子たちもそんな健介を見て泣いて謝ってた」
もう誰も何も問わない中、君島が続けた。
「そんな地獄のような場所に、健介は置いていけない」