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「安達さーん……」
せっかち上司が、肩を落としてお婆さんに顔を向けた。
「条件は同じですよ。子供を育てる能力があるかどうか。それを私どもが判断するんです。籍が入ろうと入るまいと変わらないですよ」
上司が乱暴なことを言いだす。
お婆さんが微笑んだまま、反論する。
「判断もなにも、あなたこの方たちの話を何も聞いてないじゃないの」
「そうですよ!」
森口が加勢する。
「聞かなくたって見ればわかるじゃないですか!こんな若い独り身の青年に育てられるはずがないです!」
「私には見ただけじゃそこまでわからないわ」
「屁理屈言わないでください。実際にホーム経営してる安達さんにわからないはずないでしょう。子供たちの世話がそんなに楽ですか?」
「楽だなんて言ってないわ」
「ベテランの安達さんでも大変なことを、学生と変わらないような青年一人に頼めるわけがない!」
「そう決めつける前にお話しをうかがったら?と申し上げてるのよ」
「無理に決まってます。第一今そんな時間はないんです」
「そんなにも忙しいのならなおのことこの方たちの力を借りたらいいじゃないの」
「無茶言わないでください。そもそもこんな小さな子どもは、夫婦でも共働きの場合は日中の世話に不安があるとしてそうそう許可が下りないんですよ!それをまさか独身なんて、」
「僕が。同居します」
君島が右手を上げた。
「え?」
原田を含め、全員驚いた。
「僕今無職だし、浩一がいない間は僕が世話をします」
君島が主張を繰り返した。
「里親なら独身でも引き取れて一日中フリーの人間が一人いればいいのなら、僕がやる」
「あら。それならいいんじゃないかしら?」
安達さんが呑気に笑った。
「……いや!いやいや!いればいいってもんじゃない!誰かいればいいって話じゃないでしょう!君は、育てられるって言うのか?育児経験があるとでも言うのか?」
上司が慌てて、とにかく条件にそぐわない点をあげつらうが、
「育児経験というか、僕看護師だから乳幼児のお世話は一通りできるよ」
と、さらっと特上の資格を自慢した。
上司の額に汗が浮き、若干顔色が青くなったが、さらに奮い立つように続けた。
「いや!そもそも!万全な育児のできる環境ではないでしょう!経済問題も大きいと申し上げましたね?さっき君が持ち出した問題もそれが原因だったんだ。子供を引き取れば育児分の手当はでるけれどそれだけじゃ充分じゃない。ある程度裕福でなければ子供は預けられない。その判断として家を見るんです。賃貸アパートでしょう?君!」
上司が一気に言い切り、原田を見上げた。
そして原田が俯いたまま低い声で応えた。
「……持ち家です」
「え?」
全員、驚いた。
周囲の驚愕を無視して原田が続ける。
「……中古物件を、購入するところです。今修繕に入っててまだ販売してませんが、そこそこ大きな家です」
「え?購入?では、親御さんと同居してるということですか?それならあなたではなく親御さんにこの子を、」
「いえ、独身です。親兄弟親類縁者は一人もいません。ただ、金はあるので家は買えます」
「独身?親兄弟もいない?それで、持ち家?」
そこでやっと原田が顔を上げてせっかち上司を見下ろして応えた。
「はい。赤羽区の築2年、敷地100建坪60ぐらいでしたっけ?」
次に大和に顔を向けてそう訊いた。
大和は3秒絶句した後に、吐息と共に訊いた。
「……あの、物件か?うちの下の?」
「はい。明日にでも押さえます」
「お、おい、あんなもののローン払って生活していけるほどの給料は出せないぞ、」
なるべく大声にならないように気を付けながらも、息を切らせて懸念を口にした。大和も一応、あの土地と物件の相場も希望売値も知っている。
「はい。給料を充てるつもりはないです。あれをキャッシュで買うぐらいの資産は持ってます」
「…………」
驚き過ぎて大和は息もできないでいるが、原田がその資産の説明を簡単に続けた。
「早くに両親を亡くしていて保険金や遺産を手付かずで保管してます」
「……ああ、」
大和がやっと息を吐いた。
君島も驚いているが、ここで驚いてあれこれ訊くのは得策ではないと我慢した。
当然、健介を受け入れる体制はこのように整ってますという顔をしなければならない。
そして原田は、つい言いだしてしまったことを既に後悔していた。
ずっとこのせっかち上司に腹を立てていたのだ。ずっと我慢していた。
この子供をあそこから出せたらそれでいいんだと我慢していたのだが、いつまで経ってもこの上司はそれを理解しない。そして権威と知識を笠に掛け威圧して、ここにいる全員を押し潰そうとする。
原田は、実はこれが嫌いだった。数時間前知事にも同じことをしていた。つい、キレてしまった。
ついキレて、家買うなどと言ってしまった。確かに好みの家だが、住みたいなんて今の今まで思ってもいなかったのに。
「まぁ。それなら充分じゃない?後は講習を受けて資格をもらえればいいのね?」
また安達さんが呑気に笑った。
「いやもういい加減にしてください!里親になりたいのならそういう手続きを踏んでください!とにかく今日の所はこの子を置いて帰ってください!」
結局、原田達の抵抗も空しく上司の意向は1ミリも動かない。
しかし原田達も動くわけにはいかない。健介をあそこには戻せない。
「あの施設には戻さないでください。別の場所は空いてないんですか」
「ですから特別扱いはできないと申し上げてるでしょう」
「特別扱いではないです。医師からの警告もあるんです」
「医師?」
原田がそこまで言ったので、君島が続けようとした。
「あります!診断書が必要ならすぐ出してもらいます!この子は、」
その君島の言葉と重なって、誰かが廊下から飛び込んできて、叫んだ。
「た、橘さんという方は!どこに!」
真っ青な顔をしたおじさんが息を切らせて現れた。
次長?と森口が驚いたがおじさんがまた続けた。
「橘さんは?どなたですか!」
いきなり呼ばれて驚いたものの、大和が右手を上げた。
「あなたが!それで、その、保護した子供は?」
全員、大和を見た後に原田の抱く健介を見た。
そしてまた飛び込んできたおじさんに目を移した。
このおじさんは「次長」らしい。
今ここで留まっているはずの健介の問題に、突然別室から次長が絡んできた。
一体何が起こった。
朱鷺だけがにやりと笑っていた。