12
「いえ、ご夫婦じゃなく、その抱いてる子はまこと君です。関谷さんのところの、」
「関谷さん?ああ、え?今みんな紫田の施設にいるんだろ?関谷さん全員置いて逃げたんだろ?」
「ええ、僕もさっきまでそこにいたので確認しました」
「どうしてこの子だけ連れて来た?それで、あなたたちは?」
せっかち上司と森口がよくわからない会話をした後に、原田たちに答えようのない質問をしてくる。
「ですから、まこと君を引き取りたいので、ここで何の手続きをしたらいいのかを訊きに、」
「誰が?このご夫婦じゃないのなら、そちらの?そちらがご夫婦?」
森口の説明を聞いたせっかち上司は次に大和と朱鷺を示した。
「違います違います!その、まこと君を抱いている人を、まこと君がパパだと慕ってるので、この方が引き取りたいんです!」
やっとなんとか、原田と健介を指差して一通りの説明をした。
しかしそれで充分ではない。
「え?あなたが?まこと君を引き取りたい?こちらの奥さんと?」
「奥さんじゃないです」
君島が否定した。
「じゃ、彼女?」
「違います。いい加減にしてください。僕は男です」
「ええっ?!!!」
せっかち上司と、なんと森口まで驚いた。
「男性だったんですか!」
さらに森口が目を見開いて君島に本気で確認してきた。
もちろん君島は無言で森口を睨み、他全員もそこそこ長時間一緒にドライブしてきたのに気付かなかったのかと呆れた。
「ちょっとお待ちください!ご、ご夫婦で子供を引き取って育てたいっていう希望ではないんですか?」
「違います。その子を、この彼が引き取りたいっていう相談です」
せっかち上司がやっと自分の誤解に気付き訊いてきたので、君島が健介と原田を順に指差した。
「さっき森口君も言ったけどこの子はこの彼にしか全然懐いてなくて、」
君島が続けようとしたが、せっかち上司は短くため息をついて苦笑しながら右手を小さく振った。
「ありがたい話ですが、養子縁組には中々大変な手順がありますのでね。こちらに案内がございますのでこのパンフレットをお持ちになってご自宅でお読みください。
その上でやはりご希望であれば、後日ゆっくりと時間を取って頂ければご相談を承りますので。本日はなんともバタバタしていて手が空かなくて申し訳ないです」
そんな言葉であしらい立ち去ろうとするせっかち上司を、君島が立ち上がって引き留めた。
「ちょっと待ってください。こっちだってゆっくりする気なんかない。僕たちは本気で訊いてるんです。僕たちがこの子を引き取る手段はないですか?」
「本当に本気で訊いてるんですか?それなら本気で応えますが」
「お願いします」
せっかち上司がまた向き直った。
「そのパンフレットに書いてある通りですので後でまたご確認ください。25歳以上の夫婦でこちらの研修を受けていただいて承認を得ていただいた後に縁組に入ります。最短でも1年は掛かるとお考えください」
「1年なんて無理。だいたいこの子がそんなに待てない、」
君島の言葉を最後まで聞かず、せっかち上司は苦笑したまま続けた。
「それ以前に、あなたは条件を一つも満たしていないでしょう?25歳以上でも夫婦でもないのでしょう?それに経済状態もある程度厳しく判定しますよ。持家ですか?」
君島が黙り、目を向けられた原田は首を振った。
「本当にありがたいお申し出ですが、簡単な話ではないことをご理解ください」
せっかち上司はそう笑顔で頷いて、踵を返して自分の席に戻って行った。
森口がおろおろとあちこちに目を移した後に、上司を追いかけて行った。
簡単な話ではないらしいぞ、と原田は健介を見下ろす。
ただ、原田はそもそも引き取るつもりもないのでさほど困ってもいない。
さっきの施設ではないところに引き取ってもらえればいいと思っている。
きっとどこかにこの子供が泣かずにいられる場所があるとまだ思っている。
「無理みたいだな、秋ちゃん」
そう慰める大和の横で、朱鷺が携帯をいじっている。
「無理なはずないよ。絶対手はあるよ」
君島が立ち去った上司を睨みながら呟き、また椅子にどすんと腰掛けた。
「だいたい、今僕たちがこのまま健介を連れ去ったとしても、探し出せないよ?誰も名乗ってないんだから」
「おー。確かに」
大和が適当に返事をする。
「なかなか物騒なお話ね?」
廊下からちょこっと顔を出したお婆さんが、にっこり笑ってそう言った。
気付いて振り向いた君島も笑って返した。
「聞こえてました?」
ゆっくりとお婆さんが事務室に入って来て、君島が椅子から立ち上がった。
「こちらの職員さんですか?」
違うだろうと思いながら君島が訊いた。
「いいえ。子供たちのためのグループホームを運営してましてね。用事が済んだので帰るところなんですけどお話が聞こえたものだから」
見るからに園長先生風の、小柄な優しそうな白髪のお婆さん。
どうぞ座ってください、と席を示すとありがとうと腰掛けた。
「その僕ちゃんを引き取りたいってことなのね?」
お婆さんが原田と健介を見上げた。
「はい。難しいってことはわかってますけど」
「そうね。今日は特に忙しいから日を改めた方がいいでしょうね」
お婆さんがまだにっこり笑って言うが、君島は真顔に戻って歯向かった。
「そんな余裕はないんです。僕たちじゃなく、この子にないんです」
「でも本気で引き取りたいなら焦らない方が得策よ?今日は本当に人手がなくて仕事が追いついてないのよ」
「時期なんか待てないです。どうせどんどん後回しにされるだけだ」
「そうね、さすがに今は手が回らないわね。問題山積してるから」
「さっきの、関谷さんのこととか?」
君島は、施設に子供を置いて行った里親の名前を口にしてみた。
実は気になっていた。破産とか夜逃げとか置いて逃げたとか、そんな言葉が耳についていた。あの子たちが置いて行かれたのはそんな事情だったんじゃないかと勘ぐっていた。
森口は事情を聞いていないらしかったが、このお婆さんがグループホームの代表を担っているほどの人なら知っているかも知れない。
「あら。聞いてました?可哀想にね。里親さんが破産して夜逃げしたようで、施設に子供たちを置いて行ったそうね」
やはり。
「ベテランの里親さんだから、まさかってみんな衝撃受けてるところよ」
「破産っていうと、自営業だったんですか?」
「そうなの。工場をお持ちでね。経営状態は悪くなかったはずなんだけど」
もう一つ、勘ぐっていたことを訊いた。
「里親って、手当が出るんですよね?子供の数だけ」
「……それは、そうよ。育児にはお金が掛かりますからね」
「そこに預けられていた子たちは、まともにご飯ももらえてなかったようです」
「あら。そうなの?」
「はい。その子たちに直接聞きました」
「まぁ……」
そこで君島は口を噤んだが、お婆さんが続けた。
「でもね、いい里親さんだったのよ。何人も立派に育ててくださったの。実績のあるご夫婦だったの。だからこそ、」
そこまでで、お婆さんも口を噤んだ。
いくらその夫婦の過去を持ち出して庇っても、今現在の事実は覆らないから。
だから、君島の疑惑を払拭するには至らなかった。
経営状態の悪くなかった時期に良い里親で里子を立派に育て上げた実績があったのではないですか?
それが続かなかったのではないですか?
工場の運転資金に困って子供を預かったのではないですか?
4人も預かったらまとまった金額が得られたのではないですか?
そんな疑惑に、君島はほぼ確信を持っていた。