10
ランクルの後部座席に健介を抱いて原田が乗り込み、朱鷺が反対側から乗り込んだ。
健介はまだ泣いたまま原田にしがみついている。
原田は同じ姿勢のまま健介を抱いて動かずにいる。
朱鷺はずっと健介の手を握っていて、健介もずっと強く握っている。
朱鷺はしゃべらないし原田も無口なので車の中には健介の泣き声しか響いていない。
外部から遮断された車内は外気も音も遠く、その暖かさと静かさに健介も落ち着いてくる。
動かない原田の身体が、ベッドかソファのようでそれにも安心しているようだ。
動かない原田にしがみついている健介がやっと顔を上げて、訴えた。
「……パパ、たい」
痛い、という意味だ。
何が?どこが?と健介の顔を覗きこむと、腕の中の健介がおもむろに身体を丸めて履いているスウェット生地のパンツの裾を引っ張り上げ、足首を上げてみせた。
もう消えかかっていてほとんど見えないが、原田はそこに細い紫色の筋が一周していたことを知っている。
「たいの」
健介もあの傷を忘れていないらしい。
原田はその足首に手を伸ばした。
「たい」
しかしそこにはもう傷はない。
なぜそこを示すのだろう。
他にも傷はあるのに。
「たい」
再度そう言って、健介は施設の玄関を指差した。
なんだかよく分からないが、痛い原因が施設にあるらしい。
「痛いのか?」
そう訊くと、健介は首を振る。
「たいない」
そう言って、また原田の胸に顔を押し付ける。
全然わからないが、一応言っておく。
「ここには置いていかないよ。別の場所を探してもらう」
もちろんそんな文言を健介が理解するはずもなく、聞こえない朱鷺にも伝わっていない。
原田に足首を見せて満足したらしい健介は、原田の膝に座って原田の腕を掴んで、朱鷺の顔を見た。
その顔を見て、朱鷺が指で何かを示した。しかし原田も健介もその言葉を理解しない。分からないまま健介がその指を握り、笑った。
何度も健介が絶叫して暴れる様を見てはいるが、その後このように大人しく笑う姿も何度も見ているために、原田はまだ君島ほどの危機感を持っていない。もちろん、自分が引き取るとなどという非現実的なことは考えてもいない。
ここではない別の場所で落ち着いて暮らせていけたらいいと思っている。きっとどこかにあるだろうと思っている。
ここには置いていけない。
原田はとりあえずそう決めた。
もうすっかり外は暗い。
温かく大人しい健介を抱いて、そういえば腹減ったな、と思いだした。
原田は朝食しか取っていない。健介は夕方食べたおにぎりを全部吐きだした。
朱鷺は食ったのかな?と顔を向けると、朱鷺も気付いて顔を上げた。
腹減ってない?と訊いてみたが、読み取れないようで朱鷺が顔を顰めた。
なので、ポケットから携帯を取り出して打ち込もうとしたら、運転席に大和が乗り込んできた。
「児童相談所に行くことになった」
大和がそう告げてエンジンを掛けた。
そうなるだろうなとは思っていたのだが、空腹を思い出したところだ。
どこかで食うとか何かを買うとかしてもらえないかと思い訊いた。
「すぐ行くんですか?」
「すぐ。急がないと担当の職員がいなくなるらしい」
「そうですか」
そんな原田の返事を聞く前に大和はアクセルを踏んでいた。