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「何がほらねだ。現実を見ろ。行くぞ」
原田が君島に冷たく言い放ち、次に先生を向き直って礼を述べた。
「お忙しいところありがとうございました」
「浩一!」
そんな原田の背中に君島が叫ぶ。
原田はその声を無視して出て行こうとする。
その温度差の大きい二人を見比べて、前田先生は心配そうに忠告した。
「本当に、子供はなるべく穏やかな環境に置いてください」
「……それは、自分になんとかできることではないので」
原田の現実的な返答に先生がすぐに返した。
「ええ、現実に出来る出来ないではなく、これ以上の心的身体的負担は避けるべきだと助言してます」
そう言われて原田が先生を見詰めるとさらに続けた。
「医師として、次に同じようなことがあったらこの子の健康と命に関わると申し上げておきます」
それを聞いて原田は考えるように目を伏せた。
しかし考える振りをしているだけで、こいつ君島の言いなりかよ、と思っている。
君島のさっきの発言、「先生にそれを言ってもらいたかった」事柄の、その目的をこの医師はさらに直接忠告しているのだ。
つまり原田に子供を手離すなと警告している。
君島の望み通りに。
君島はこんな顔のせいで言い寄ってくるのは男の方が多いらしいがこんな顔の割に男色傾向は一切なく、そして腕に覚えがあるために言い寄ってきた男はほぼ半殺しにしているらしい。半殺しにされた上で、まだ君島に言い寄り続ける猛者も多いらしい。
恐らくこの先生も半殺しにされた猛者の一人なのだろうと原田は踏んだ。
そして先生も原田をそう見ている。ということも原田は察知している。
しかし否定したところでヤブヘビなので特にそこには触れない。
「わかりました。できる限りなんとか力になりたいとは思います」
原田がそんな玉虫色の返答をしてまた一礼して診察室を出た。
「なんとか力になるんだね?」
君島がそう訊きながら纏わりついてくるが無視する。抱いている健介もまだぐずぐず泣きながら君島を無視している。
待合にいる大和と朱鷺が立ち上がり近づいてきて、後ろからついてきた森口が会計処理をカウンターで済ませる間立ち話した。
「この後どうするんだ?健介連れて帰るのか?」
「ええまぁ。施設に連れて行きます」
「無理だってば!命に関わるって先生言ったでしょ!」
「命?死ぬってことか?」
「そう!浩一が引き取らなきゃ死ぬって言われた!」
「そこまで言ってないだろ。捏造するな」
「さっきなんとかするって自分で言っただろ?浩一!」
「出来る範囲でやるって言っただけだ」
「引き取れたら引き取るんだね?」
「制度的に無理なことは出来ない」
「出来たらするんだね?」
原田と君島と大和がごそごそと話し合いをしている最中、朱鷺は原田に抱かれてぐずぐず鼻を啜っている健介の手を撫でている。君島に握られた時は泣き叫んだけれど、朱鷺は優しいので触れられている間に健介も落ち着いてくる。
待合で診察を待っている若い母親たちは、その様子を恐ろしげに眺めていた。
たった一人の幼児にこの大男たちの集団が付き添っているだけでも普通じゃないのに、さっきの診察室での騒動。この子大丈夫かしら?そんな不安気な視線を送っていた。
会計処理を終えた森口がお待たせしましたと小走りに寄ってきたので、君島が振り向きさっきの話を蒸し返した。
「施設の職員がいなくなったってどういうこと?」
「どうって、理由とか詳しいことはまだ僕にはわからないんですが、実際今いないので戻らないと、」
「そんな問題の発生した場所にこんな問題児置いておけないよ。さっき先生が言ったこと聞いたよね?」
「それは、そうだとしても、ここで僕が判断はできないので、」
「誰が判断するの?」
「それも僕には判断できないので、」
「君一体何?判断できないならなんでここにいるの?」
「判断はできませんが、その子の保護責任が、」
「保護責任?じゃあ今後も保護するんだよね?」
「します」
「秋ちゃん。置いていくぞ」
大和が玄関から君島に声を掛けた。すでに全員外に出ている。
「保護するって言ったんだから絶対保護してよ!」
歩き出しながら、君島がさらに森口にくどく確認する。
「します。してます。今もしてますし今後も今まで通りします」
森口が若干反抗的な返答をする。
むっとしながら君島がドアを開けると、冷えた風に迎えられて全身が一瞬で強張った。
「……寒い」
「……冬でしたね」
「建物の中だと忘れるね」
「そうですね」
二人とも寒風に震えてコートの襟を掴む。
先に出て行った3人と健介は、もう車のドアを開けて乗り込もうとしている所。
よく見ると原田が着ていたブルゾンを脱いで健介に羽織らせている。
健介が元々着ていた原田のブルゾンは施設でおばさんに掴まれて連れて行かれた時に脱げ落ちてしまい、今はトレーナーだけだった。
風も強くなって冷え込んで来たから原田が上着を脱いで健介を包んでいるが、原田のシャツ姿は健介のトレーナーよりも寒そうだ。
それでも健介に上着を譲った。
健介は寒がりらしいから。
「……寒いよね。あの子寒がりなんだって。知ってる?」
君島が振り向いて森口に訊いた。
「え。いえ。僕あの子のことは、全然その、よく知らないです」
「僕も知らないんだけどね。今日初対面だしね。でも寒がりなんだって。そんなことを、あの抱いてる彼は知ってるんだよ」
薬局の帰り、それまで散々泣き喚いて拒絶してきた君島に、健介は突然抱けと催促した。あまりに予想外で君島には何一つ理由など思い浮かばなかったのだが、原田はあっさりと推理して笑った。
そいつ、寒いんだよ、と。
寒いのが苦手だから体温の高い君島に毛布代わりに抱かれたいという要望だった。そう聞いたから、車の中で大人しく君島の膝の上で君島の手を握っている健介の姿に納得した。
今思えば、原田だからわかったことだった。
原田は冷えていた健介を何度も温めたから、その反応がわかったのだ。
何度も寒い中で原田に助けられて温められて、健介は安心して同じようなため息をついたのだ。
改めてそんなことに気付き、健介の不憫さに泣きそうになる。
「あの、そもそもあなたたちはあの子とどういう関係なんですか?」
「関係なんかない。何にもない。でもね」
森口に質問されて答えようとしたところで、大和に呼ばれた。
「秋ちゃん。早く乗れよ」
君島がすぐに返した。
「僕、彼の車で行くよ」
「え?」
肩を叩かれた森口が君島に顔を向けた。
「いろいろと訊きたいことがあるんだって。後でまた合流しよう!」
「うん。わかった」
そう返事をして大和が車に乗り込んだ。
「さ。僕らも急ごう!」
君島がにっこり笑って、森口の車に走った。