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「パパ!パパっ!」
またさっきのように暴れて絶叫している。
顔を真っ赤にして、涙を落として叫んでいる。
さっきもこんな風に暴れて泣き喚いて叫び尽くした挙句に痙攣を起こしたのだ。
また、あれが。
君島に止められたが、原田は一歩近づいた。
その間に君島が暴れる健介を押さえながら横にいる先生に向けて声を張り上げた。
「彼は保護者じゃないんだ!この子の世話をすることができない!彼が抱けば大人しくなるけどできない!」
「できないじゃないだろ!来なさい君!なんとかしなさい!」
「来るな!」
君島と先生が原田を見ながらそんな応酬をする間も健介は奇声を上げて暴れていて、原田が躊躇いながらまた一歩近付く。
どこかにいた看護師たちも集まり、受付にいた事務員も心配そうに顔を覗かせている。
「浩一にはその権利が無いんだよ!だから先生、他の手でこの子黙らせて!」
「何言ってるんだ、彼がいるならそんなもの必要ないだろ!」
健介が一層泣き叫ぶ。待合にいた患者たちも廊下に集まっている。
それほど健介の絶叫が院内中に響き渡っていた。殺されかかっているんじゃないかと思わせるほどの叫び声。
その声に被せるように君島も叫ぶ。
「浩一にはできない!先生、どんな手でこの子を大人しくさせられる?!」
「もう離せ秋ちゃん、」
先生が君島の肩を引く。
さすがに原田も手を出して、君島から健介を奪おうとしたが君島が抗った。
「先生が大人しくさせて!先生ならどうする!」
「本気で言ってるのか?その傷痕のように手足縛って拘束したり薬物で行動を抑制しろって言うのか!」
「やれる?」
「やらない!君!早くこの子を!」
先生にそう言われる前に、原田が君島を押し退け力づくで健介を奪っていた。
原田に抱き上げられ、健介はやっと奇声を収めて、おいおいと泣きだした。原田の肩で握りしめた手が震えている。
「秋ちゃん!さっき引き付け起こしたばっかりなんだろ!なんでこんなことするんだ!」
息を荒げた先生が君島を振り向き怒鳴った。
君島がベッドに座って、上目使いに先生を見上げた。
「君はいったいこの子をどうしたいんだ?虐待受けてた子なんだろ?どうしてこんな仕打ちをするんだ!」
「先生に、見てもらおうと思って」
君島が、上目使いのままそう言った。
「この子がどんなに手に負えないか見てもらおうと思って」
秋ちゃん、と顔を顰めたままの先生が口にするのと同時に、君島が続けた。
「それから、先生にさっきの言葉言ってもらいたかった」
そう言ってにっこり笑って顔を上げた。
「その子を大人しくさせるには縛ったり投薬しなきゃならないんだね?そしてそれよりも、浩一がいればそれが必要ないんだよね?」
「……」
君島の笑顔が不気味で、先生は原田に顔を向けたが原田は泣いている健介を見ているので君島の話を聞いてもいない。
「浩一が抱けばこの通り大人しいんだよ。浩一だけなんだよ。先生、小児科医として判断して。縛って投薬するより浩一が傍にいる方がこの子のためでしょ?」
「……そりゃそうだね」
先生があっさり肯定した。
それを聞いて、君島がドア付近に突っ立っている森口に顔を向けた。
「聞いた?今の。君のところのあんな施設に戻すより浩一の傍にいるのが健介のためなんだって!」
ずっと一貫しておろおろしている森口は、君島のそんな言葉にもおろおろと頷いた。
しかしそんなことを一介の新人児童相談所職員に説明したところでどうしようもない上に、今君島が口にしたその「あんな施設」でトラブルが発生していて森口に帰還命令が届いていて、それどころではなかった。
さっき原田を廊下に呼び出したのはそれを伝えるためだった。
それを思い出して森口が口を開いた。
「そう言われても、あの、実はですね、さっきの養護施設で、職員がいなくなってしまって、僕戻らなきゃいけなくて、」
「え?」
「ですから、治療が終わったらその子を連れてすぐに戻れって言われてまして、」
「職員がいなくなった?」
「ええ、今若い子が一人しか残ってなくて困ってるらしくて、」
「……何、それ?若い職員一人しかいないなら、なおさらこんな難しい子供戻せないよ」
「いえ、しかし、戻さないわけにはいきませんから、」
「戻して何かあったら君責任取れるの?」
「いや、責任と言うならその子を施設に戻す責任が僕にありますから」
「うわ!そういうこと言うんだ?」
君島がまた立ち上がった。
おかしな方向に論点がずれている。
そんな話なら小児科の診察室ですべきではない。
順番を待っている患者がたくさん、廊下から覗いている。
だいたい急患として全ての順序を飛ばしてここに入ったのだ。
診察すら必要ないのならとっとと出るべきだ。
と、冷静な常識人である原田が気付いた。
「先生、こいつは特に治療の必要はないんですよね?」
抱いた健介を示して原田が小声で訊いた。
「ええ、今日のところはこのままお帰りになってかまいません」
「今後同じ症状が続いたら再診ということですね?」
「そうです。できるだけ静かな環境でゆっくり過ごさせてください」
「……それは、あの彼に頼むしかないです」
そう言って原田は森口の方に顔を向けた。
健介はまだ原田の肩に鼻をつけてぐずぐず泣いている。
その原田の視線に君島が気付き、原田が診察室を出て行きたがっていることにも気付き、とっさに森口に手招きをした。
「こっちに来て」
「は、はい。なぜですか」
そうおろおろ訊きながら、森口が近づいてくる。
森口が目の前で立ち止まってから、また君島が言った。
「この子を施設に戻す責任があるって言ったよね?ここから君が抱いて連れて行って」
そう言い切るなり、君島は原田の肩にしがみついている健介の手を掴んだ。
当然またしても壁が震えるほどの絶叫。
ただ今度はすぐに原田が身体を引いて君島から離れて、そのサイレンはすぐに止んだ。
「浩一。健介を彼に渡しなよ。彼は連れて帰る責任があるんだって」
君島がそんなことを言っている。
しかし、無理だ。
腕の中の子供は身体を固めて拳を握りしめて震えている。
誰にこの身体を渡しても、その前に自分がこの身体を離すだけで、さっきの状態になる。
そして悪ければ、また引きつけを起こす。
手離すのは無理だ。
原田は健介を抱く腕の力を緩めないまま、君島に応えた。
「無理だ。俺が連れて行って置いてくるしかない」
「それでいいと思う?先生」
原田の応えを、君島が間髪入れずに先生に問うた。
先生がわずかに躊躇った後に、応えた。
「……できれば、君がずっと一緒にいる方がいいな」
「ほらねっ!!」
先生の応えを聞いて、君島が晴れやかに森口に顔を向けて威張った。