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大和のランクルが施設の門から敷地に入ると、既に知事の車とその横に白い小型車が停まっていて、知事と秘書ともう一人が立ち話をしている。
その二台の横に停めて全員降りると、三人が顔を向けて知事が手招きした。
「こちらは児童相談所の、森田君?」
「も、森口です」
知事が適当な紹介をしたが、恐縮した面持ちの若者が気を付けをしたまま頭を下げた。
「まだその新人で右も左もわからないのですが一応こちらの担当で頑張って、」
小太りで白いポロシャツを着た中年のような体型の割に丸い顔が幼い森口が緊張したままそこまで自己紹介したが、秘書が止めた。
「それで、さっきの話とは別に、その子は森口君ご存じですか?」
秘書がそう言って、原田が抱く健介を示した。
「その子、と言われても、」
原田に顔を向けた森口が、口籠った。
原田に抱かれている健介が、ぎっちりしがみついて顔を見せないので確認できない。
おい、と原田が離そうとしても余計に強く抱きつく。
「もしかして、ここの施設の子ですか?」
森口がそう訊きながら原田に近付き健介の顔を覗きこむと、目が合った瞬間に一層強く抱きついて叫びだした。
突然の叫び声に森口が驚いて後ずさったが、原田はいい加減慣れたので子供の頭を押さえて庇うように肩を引いた。
そんな、子供を抱くパパのような原田と、パパに抱かれている子供のような健介を何度か見比べて、どうやらそのぐちゃぐちゃな癖毛で森口が気付いた。
「……あれ?この子、この前お試し外泊に失敗した子じゃ?」
「お試し外泊?」
君島が原田の後ろから顔を出して訊いた。
突然ひょこっと、少し首を傾げて現れた君島の顔を見て、ポっと森口が赤面した。どうやら君島を可愛い女子に見間違えている。夕暮れではっきり見えないために美女度が増しているせいもある。はっきり見えたら見えたで美女なのだが。
そんな反応には慣れているのだけれど、また女子に間違われたという失望は毎回ささくれのように新鮮に痛い。だから君島は表情を変えてむっと睨みつけたが、森口は気付かないように照れながら応えた。
「はい、あの、先日受け入れてくれそうなお宅に試しに外泊させたら脱走したそうで、」
「じゃあもうそこの養子の話は無くなったの?」
むっとしたまま君島が訊く。
「よ、養子?いえ、養子縁組ではなく、里親さんのお宅ですから、」
「里親。そうなんだ?養子じゃないんだ?」
「ええ、まぁ、この子の場合は、今回は、」
「だとしたら、僕らがこの子を試しに引き取ることもできますよね?」
君島がとんでもない思い付きを口にする。
「は?」
森口が目を丸くした。
君島の言葉にいろいろと衝撃を受けている。僕?僕ら?試しに引き取る?この子を?
と、森口が頭の中でぐるぐるしている間に、原田が吐き捨てた。
「下らないことを言ってんなよ。行くぞ」
そして森口を置き去りにして、全員施設の玄関に向かっていた。
一番後ろを歩いている秘書についてくるように呼ばれて森口もやっと駆け出した。
「それで、森口君。例の経費計上している怪しい物は例えば何がありますか?」
「あ、はい、割れた窓ガラスを交換したとか、あとは呼び出しのチャイムとか領収書が上がってるんですが、」
秘書と森口のそんな話声が聞こえて、さすがにあれは交換したのか、と原田がそのチャイムに目を向けた。ところが、前と同じ古い物のまま。
何だ?中味を修理したってことか?配線を繋ぎ直したとか?こんな古いタイプの物を?と思いつつ押してみると、前と同様反応なし。
「……この通り、修繕されてないんです。施設長に訊いたら、また壊れたって言うんです」
「直すより交換した方がいいんじゃないですか?」
原田が振り向いて訊いた。
「こ、交換したって聞きました。交換してすぐ壊れたって」
「交換した?いつですか?」
「先週です」
「先週?」
原田が、抱いている健介の顔を見て考えた。
こいつを最初にここに連れて来た時もこのチャイムだった。あれは、いつだ?
先月。横の現場で桃山社長と立ち話をしていた時。
「……先月も、この鳴らないチャイムでしたよ」
「先月?」
「この前の雪降った日もこのチャイムでした」
「今週ですか」
「かなり古いタイプのようですし、交換したのなら10年以上前じゃないですか?」
「……やっぱり」
森口がため息をついた。
「備品の購入費なんかも、合わないんですよね……」
横領か。確かによくある会計問題だなと、原田は秘書の言葉を思い出した。
「書類の間違いだから訂正すると言ってるんですが、他の消耗品なんかも雑な申告してきてて。中の備品なんかもご覧になりますか?」
森口がそんな説明をしながら玄関ドアを開けたが、知事も秘書も首を振った。
「いえ、中に用があるのはこちらですから」
秘書がそう応えて、原田を示した。
またしても、よく意味のわからない森口が困って全員の顔を見渡した。
その森口の顔があまりに幼いので失念していたが、そういえば児童相談所職員と言っていたか。と、原田がやっと気付いて、健介の現状を訴えようとした。
「先ほど外泊に失敗したという話でしたけど、」
そこまで言ったところで、家の中から子供たちが数人玄関まで駆けて出てきた。
「誰ですか?」
「せんせー、誰か来ましたー!」
「誰か帰ってきたの?」
「その子誰?」
騒いでいる子供たちの奥から、いつもの太ったおばさんがぶつぶつ言いながら出てきた。