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「ほんっとに暴れるよな。原田には大人しく抱かれてるのにな」
そして大和がまた無責任で乱暴な感傷を口にする。
「きっと原田から離されたら暴れすぎて死ぬんだろうな」
「そうだよね。暴れすぎて泣きすぎて死ぬよね」
君島がそれを受けて続ける。
「なんとかできませんか」
そんなことを言う君島に真っ直ぐ見詰められた知事が、まるで子供のような思い付きを小声で返した。
「……君の子だと言って、引き取りに行けばいいんじゃないのか?」
「知事、それは無理です」
また後ろから黒子の秘書の声が聞えたが、同時にドアをノックする音が聞こえ、それが開くと同時に声が響いた。
「お母さん、明日会計士さんが来るんだけど資料とか、」
そんなことをいやに通る声で言いながら橘家次男の昴が現れた。
大和の弟で朱鷺の兄の昴は、三人の中では少し背が低く唯一眼鏡を掛けていて、顔は朱鷺と同じく母似で優しげなのだけれど、身体が大和と同じく父似で太目。そのせいで年齢よりも老けて見られるのだが次期社長を約束されている身の上なのでその方がむしろ対外的に都合がいい。
日々仕事漬けで休日さえもこのように完全に切り離すことのないワーカホリックの昴が、子供を抱いている原田を見て驚いた。
「おお!なんだ?どうした?原田君の子?いつの間に?」
そして原田の横に君島が座っているのを見て、
「あ、秋ちゃんか?秋ちゃんの子か?そりゃそうだよね?」
そう言って勝手に納得して頷きながら、また母を向いて言った。
「で、会社に会計士さんが来るからさ、領収書とか明細とか、」
ワーカホリックの昴は、知人の私生活にほぼ興味を持たない。自分より若い独身男が実は子持ちなのかと少しは驚いても特に思うところもない。
そんな昴を見て、知事が晴れやかに提案した。
「そうだ!昴君は法学部だったね?そういうことはきっと昴君が詳しいだろう!」
「はい?」
「孤児を独身男が引き取る手立てはないかね?」
知事がまた省略しすぎの質問をした。
「え?孤児?え?この子?身寄りがないの?それで?」
驚く昴に君島が応える。
「浩一が引き取りたいんです」
「え?原田君が?この子を?育てるの?養子にすればいいじゃん」
まるで興味のない質問に適当に応えた昴の返事を、秘書が間髪入れずに否定した。
「無理です。こんなに小さい子は一般の普通養子縁組はできません」
「普通養子縁組?」
「親がいるなら、保護者がいるならまだしも、身寄りがない幼児は特別養子になるはずです」
「特別養子?」
突然聞き慣れない用語を持ち出す秘書に、知事が驚いた。
「なんだね梶君。君、詳しいんだな」
「いえ、詳しいわけではないのですが、ここ最近ちょっと、」
秘書が躊躇いながらそう続ける。
そういう法的な文言は原田も多少調べたので聞き覚えはあった。しかし全て自分と子供には当てはまらないので、記憶する気にもならなかった。
自分がこの子供を引き取るなどという非現実的な話はもうそろそろお終いにしてもらえないかな、とまた腕の中の健介を見下ろすと、
なにやら顔を赤くして、息を止めて力を籠めている。
「ん?」
原田が訝しんで、健介の両脇を持ち上げて離してみるが、依然として息を止めて顔を赤らめている。
「なんだ?どうした?」
原田がそう訊くと同時に、朱鷺母が気付いた。
「ウンチしたいんじゃない?オムツ持ってきてる?」
「あっ!」
原田が驚いて持ち上げた健介を凝視した。
「忘れてた!オムツしてること自体忘れてた!」
慌てる原田をじっと見たまま、健介は依然として顔を赤くして息を止めている。
君島が横で膝を叩いて笑っている。
「うわっ……ど、どうしたらいいんですか?」
とりあえず原田は健介を持ったまま立ち上がった。
「トイレに行ったら?もしかしたらトイレでできるかも?」
朱鷺母が気楽に提案する。
「おい!お前も来い!」
と原田が健介を片腕で抱き直し君島の袖を引き、健介はやっと息を吐いたがまだ顔が赤く、三人でばたばたとトイレに駆け込んでドア開けっ放しで、君島が健介のパンツを下ろした。
しかし当然ながら子供用便器ではないため大きすぎるので落ちないように脇を持っていると、上手くできないようで健介が嫌がる。
「無理だね。オムツ買いに行くしかない」
「どこで売ってるんだそんなもの」
「どこにでもあるよ。コンビニでもスーパーでも薬局でも」
「そうか、」
暴れる健介にパンツを履かせるのは君島に任せて、原田は社長に車を借りに応接に戻り、キーを掴んで泣き喚く健介を抱いて君島にも来いと命令して玄関を飛び出した。
ランクルに飛び乗り、君島が助手席に乗り込んだところで健介を渡す。当然叫んで暴れて原田のところに戻ろうとするのだが、いよいよ健介自身も切羽詰ってきて動きが止まった。そこで君島が健介を抱きかかえ、窓を全開にしてアクセルもいきなり全開。
「もー。臭いぞー健介ー!」
頑張る健介を膝に抱いて、君島が笑う。
坂を下りてすぐのコンビニは駐車場が小さかったので、少し離れた対向車線側のドラッグストアに強引なUターンの末に駐車場に突っ込み店舗に一番近い枠に斜めに停めて、転げ落ちるように車を飛び出してまずレジのおばさんに助けを求めた。尻を膨らませて多少臭う子供を目の前に持ち上げられて、おばさんも慌てて紙オムツコーナーを案内し、そしてすぐにお手洗いに案内してくれた。
さすが薬局、オムツ替えスペースがある。水道もティッシュもお尻拭きもある。君島が台の上に積んである新聞紙を広げ、原田がそこに健介を立たせ、やっと大きく息をついた。
「……あとは、頼む」
そう言って君島と交代しようとしたのだが、当然健介が原田にしがみついて離れない。
「頼むじゃないよ。そのまま健介を掴まえてて」
君島がそう言ってさっそく立ったままの健介のパンツを下ろす。
「え?この体勢のまま?」
原田が慌てて訊くが君島は顔も向けずに、当然でしょ、とオムツの脇を破り下を押さえながら外そうとした。
健介はもぞもぞしているが、原田が捕まえているので暴れはしない。だから君島は手早く処理している。
子供のオムツ替えなんて初めて見るので、原田はびくつきながらもその作業をじっと観察している。
しかし、途中で君島の手が止まった。
瞬きもせずに君島はそのまま彫刻のように固まっている。
そしてその視線は、健介の腰で留まっていた。
半端に尻を晒されて健介がまたじたばたし始めたので、はっと気付いて慌てて汚れたオムツを外し、ティッシュで綺麗に拭き取り、新しいオムツを履かせた。
そしてスウェット生地のパンツを履かせながら、呟いた。
「……火傷って、」
原田がちらりと君島に目をやると、俯いたまま健介の服を直している。
「だから、タバコが嫌いなのか」
そう続けて呟いて、健介の頭を撫でた。
健介は嫌そうに顰めた顔で原田を見上げている。
「どうして、こんなことができるんだ」
俯いたまま、健介の頭に手を置いたまま、君島がまたそう呟いた。