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朱鷺が裏庭への扉を開けて待っている。
いそいで駆け付けると、その中から声が聞えた。
「お前、サス変えただろ?」
「新車のお前に言われる筋合いはないよ」
「お?前の車で勝負してもいいぞ。スペックはそんなに違わない」
「嘘つけ。ショップのオヤジに内偵いれてあるんだからな」
「そういう卑怯なマネをするな」
「どっちが卑怯だ」
そんな醜い言い争いに遠慮してこっそり覗いてみる。
わずかな傾斜で下がっていく平らではない庭は、芝が敷かれて庭木がランダムに植えてあり、両端を縁取るようにレンガ造りの花壇が長く伸びている。
周囲が竹林で、まるで小さな公園と見紛うような広い庭。花の季節は見事な景色だが、まったく人目に付かない場所なので文字通りの秘密の花園になる。
その花や木を適度な距離で巡るように舗装された通路が作られているのだが、一部がオーバルコースになっていた。
この裏庭を見るのは初めてではないのに、そのミニサーキットは初めて見たので原田と君島は驚いた。普段はコース上に大型のプランターが設置されていたから気付かなかった。
まさか秘密の花園にラジコンサーキットがあるとは思いもしなかった。
そしてそのミニサーキットのスタートラインで、いい年したオヤジ二人が足元の大型のラジコンを指差しながら罵り合っている。
一人は朱鷺の父親なので、もう一人の小柄な初老男性が知事なのだろう。
県知事なのでテレビや街頭のポスターなどで顔を見ているはずなのだが、スーツを着ていないせいか誰だか分からない。しかし知事と思われる男性の傍に椅子に座ったスーツ姿の男性の姿がある。黒子のような地味さはきっと秘書。お忍びでも秘書同行ということは恐らく知事。
原田がそんな推理をしていると、君島が囁いた。
「朱鷺ちゃんが大筋知事に説明したって。事情はだいたいわかってもらえたらしいから」
そうか、それはありがたいな、と朱鷺を見て頷いた。朱鷺も笑って、中に行こうと指差した。
「おお、朱鷺。やぁ、原田君に君島君」
朱鷺の父が三人に気付いて手を振った。
お取込み中失礼します、とお辞儀をしながら挨拶をすると、知事も振り向いた。
「ああ、さっき朱鷺ちゃんが言ってた話か?」
原田は知事に向き直り、まずは初めましての挨拶だろうなと口を開いたが、その前に知事が原田と君島の姿を見比べて続けた。
「子供を引き取りたいって話だったね?簡単じゃないか。まだ結婚前かい?君たちが結婚したら養子縁組を申し込めばいい。しかし結婚すると自分たちにも子供ができるだろうから養子縁組はあまり若いカップルにはお薦めできないねぇ」
どんな説明をしたんだ朱鷺。
原田はうんざりしていろいろと気力を失った。
君島もいつも通りにむっとして唇を尖らせている。
そんな二人のお約束の反応に朱鷺の父が笑って知事の誤解を正した。
「君島君は美人だけど女の子じゃないよ。だからカップルじゃない。いや、カップルかも知れないが。カップルなのか?」
「違います!」
そう言い切ったのは君島。原田は依然としてうんざりしている。
「女の子じゃない?そうなのか?そうか。そういうことか。そういうカップルか。それで養子が欲しいということか!なるほどなぁ!そんな事案今後も発生しそうだな、梶君!」
「違います!」
今度は原田が秘書を振り向いた知事に声を張った。
じゃあ一体どんな話なんだ?と知事が朱鷺に目を向け、朱鷺が父に通訳を頼んで手話で説明するが、それを見ていた君島が口を挟んだ。
「そんなに難しい話じゃないんです。僕たちが説明します」
「ああ、それがいいね。じゃ、応接に移動しようか」
朱鷺父がそう応え知事に扉を示し、その後何かを朱鷺に伝え、頷いた朱鷺がどこかに行ってしまった。
応接室までの短い通路で、君本当に女性じゃないのか?ちょっと見ないぐらい美人さんなのにな!と、知事が君島を褒め称え、君島はいつものように眉間のシワを深くした。原田はその後ろを無言でついて行き、その後ろを梶という名前らしい秘書が黒子のようについて来る。
応接に入ると奥のソファに案内されて、知事の向かい側に座った君島の横に腰掛けた。
後ろでカタンという音が聞こえて振り向くと、一番最後に入ってきた秘書がテーブルチェアを引いて座ろうとしている。どうやらこちらまで来ずに後ろで話を聞くつもりらしい。
低いソファで長い脚を持て余し、俺も向こうに座りたいなと思ったがそんなわけにもいかない。
「で?どんな話かな?手短に願うよ」
知事がそう催促してきた。