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子供を抱き上げてしまったが、片手で子供を抱き片手でバイクを押して歩道に上げるような怪力も持っていないので、子供をシートに乗せて落ちないようにゆっくりと押して車道から外れた。
そこで子供を歩道に降ろし、動くなよと言い含めてからバイクを歩道に乗せ、スタンドを出してバイクを立たせてからヘルメットを脱ぎ、そのまま原田はそこにしゃがみこんでシートにぐったりと抱きつくようにしてまたため息をついた。
死ぬと思った。死んだと思った。せめて即死ならいいなと思った。
よく止まってくれたなあのトラック。命の恩人だな。
そう頭で考えている間も、激しい呼吸と身体の震えは収まらない。
今シートに頭を付けて抱きついているこのバイクと一緒に、潰される寸前だった。
いまさら恐怖で身体が冷える。
そんな原田のブルゾンの袖が、ぎゅっと握られた。
ぱぱ、と小さく聞こえる。
弾む息を抑えながら、原田は腕を下して子供を見下ろした。
「パパ」
まだ原田の袖を握ったまま、子供は真っ直ぐ見上げて小さくそう呼ぶ。
大きく息をしながら、原田はしばらく子供を見詰めていた。
またパパと呼ぶ。
徐々にトラックに突っ込まれそうになった衝撃から覚めてきて、徐々にこの子供がここにいる事実に疑問を覚えてきた。
「……あれ?なんでお前、ここにいるんだ?家は、黄崎区だろ?」
「パパ!」
原田に話し掛けられたことが嬉しいらしく、子供が笑った。
「パパ!あ※〇にゅ△△※◆゜て☆!」
「……ん?」
「て☆Д゛Ш!ま★※∥で☆!」
原田はまたシートにぐったりと抱きついた。
「……何言ってんだよ」
「★¶★!き※☆!」
子供は両手で原田の袖を掴んでさらに大きな声でそう訴えた。
しかし、原田に汲み取れる言葉が何一つない。
「もにょ◎★て!ち◆Ш◆の!」
さっぱりわからない。
やっと恐怖が去った後に、子供のこの意味不明なおしゃべり。
原田は、つい笑った。
「ぱぱ、な☆゛※ム!」
「……お前は一体どこの星から来たんだよ」
「◆ф◆ツ※の」
子供はそう言って、原田の袖を掴んだまま笑った。
原田も笑ったまま、また訊いた。
「なんでここにいるんだ?まだ迎えに来てないのか?」
その原田の質問に、子供が応えた。
「パパ、たいの」
原田が理解している唯一の子供の言葉。
「たいの」
子供がまたそう呟いて、被っている大きなブルゾンから腕を抜いて出して見せた。
ブルゾンの下の着古して生地の薄くなったトレーナーはこの小さな子供にも小さいサイズらしく、袖が短い。
その短い袖から覗く手首に、線状の痣。
以前足首に付いていたものと同じ形状の。
突き出された細い手首に細く赤い痣がぐるりと一周している。
また縛られたのだ。足の次に今度は手。
「……なんだ、これ」
「たい」
子供が応えた。
「痛いのか?」
「たいの」
細い腕を突き出したまま、子供が繰り返す。
その腕を手に取り、握ってみる。
あまりに細くて、握っている原田の指が余る。
こんなにも細い腕をわざわざ紐で縛り、こんなにも小さな子供の身体を拘束するとは、一体どういうことなんだ。
それに、この子供はどうしてこんなところにいる?
引き取られたんじゃなかったのか?まだ迎えに来てないのか?あれから何日経って迎えに来てないんだ?
それに、まだあの施設にいるとして、なぜこんな危ない道路を一人で歩いているんだ?誰も見てもいない、探してもいないということか?
お前は一体、どうしてこんな目に遭っているんだ?
「ぱぱ。たい」
子供が原田を真っ直ぐ見上げてまたそう言った。
周囲には誰もいない。
いくら晴れていても寒い冬の朝は外を歩く人もいない。
車道を車が往来しているだけ。
誰もこの子供を探していない。
いなくなったことにも気付いていないのだろう。
ここにいることも知らないのだろう。
どこかに行っても気付かないのだろう。
例えば、俺がどこかに連れ去っても。
「……行くか?」
「いく」
原田の口をついた言葉に、子供が即答した。