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翌日、さらに冷え込み朝から雪が降っている。
滑りやすくなるため屋外の作業が危険な現場は全て止めた。そして段取りを組み直し、新たな仕事を組み込む。午前中にそんな作業をしてから原田は屋内の改装工事をしている現場を確認に行き、事務所に戻る。
試験に合格して資格を得たので新たな現場の設計をいじりながら新しい設備の説明を聞いたりする。
雪なのでどこの現場もあまり進められず、社員10人ほどの事務所内も夕方近くには全体の仕事が落ち着いてしまい、なんとなくまったりしていた。
そんな中、原田の携帯が鳴った。
表示を見ると、午前中に確認に行った改装工事に入っている桃山社長。
作業終了の報告だろうとすぐに出て、お疲れ様です、と口にした。
しかし原田がそう言い終わる前に、社長が電話の向こうで叫んだ。
『原田さん!いますぐ来てくれ!』
原田は、ぞっとした。
事故だと思った。
今日は雪だから足を滑らせて足場から落ちたのか、とか、いや桃山社長は内装工事だからハンマーで指を潰したのか、とか、もしや高級な調度品でも破壊したのか、とか一瞬で考えた。
『子供が!』
社長が続けてそう言ったので、子供を巻き込んだのか?と慄いた。施主の子供に怪我をさせたのか?あそこの家に子供なんかいたか?
原田がそんなことを思いめぐらせて絶句している間に、社長がさらに続けた。
『あの時の子供が来てる!パパってあんただろ!いますぐ来てくれ!』
「は?」
反射的に返事をしたが、あの時の子供、という言葉が示す意味がしばらくわからなかった。だからまだ絶句したまま、電話を耳に当てていた。
その電話の繋がっている先、桃山社長の携帯から、子供の叫び声が小さく聞こえた。
パパ、と叫んでいる。
その声を聞いて、あの子供か、とやっと原田は気付いた。
そう気付いて、一拍置いてから原田も叫んだ。
「な、なんでですか!なんでその子供が!」
まったりしている事務所で原田が突然立ち上がってそう叫んだので、社員が全員原田を注目した。
常に冷静で無口な新入社員が珍しく慌てている。そしてその顔が蒼白になっていく。
『あの子供がパパって呼んでんだから原田さんだろ?』
「あの子供って、そこ黄崎区じゃないですか!前の現場紫田区でしたよ!あんなところからどうやって、」
『知らんよ!とにかくあんたを呼んでる!』
「なんで、なんでそこが俺の現場だってわかるんですか!」
『俺の車だ。多分。桃の絵が描いてあるから覚えてたんだろ。あんたがいると思ったんだ』
「そんな、」
『いいから早く来てくれ。この子供、靴も履いてないんだ』
「……ああもう、わかりました。行きます」
原田は顔を顰めてそう言い通話を切って、椅子に掛けているブルゾンを掴み、上司を振り向いて、
「黄崎区の改築現場に行きます」
と断って返事も聞かずに事務所を飛び出した。
電話が鳴って原田が飛び出すまで恐らく1分程度。
まったりしていた全社員、まったりしたまま原田を見送った。
原田用バンに乗り込み走り出し大通りに出る交差点で信号に引っ掛かって止まり、ハンドルに両肘をついて頭の中で社長の電話をリプレイしてみる、
いますぐきてくれあのときのこどもが。靴も履いてないんだ。パパ。
……なんなんだこれは。
リプレイしてみてもわからない。
わからない。
雪は依然、降り続けている。
積りはしないだろうが、運転するには目障りだ。
一度ワイパーを動かしてみる。
こんな雪の日に。
こんなに寒い日に靴も履かずに桃の絵を目印にして子供が俺を探しに来た。
当然原田の頭の中は恐怖で覆われる。
いや、恐怖だけではない。
靴を履かずに?
どうしてそんなことになるんだ?
最初にあの子供を見た時には靴は履いていた。濡れてぐしょぐしょだったが一応履いていた。ただ、服を着ていなかった。濡れた薄い肌着一つで猫を抱いていた。
この前は着古したようなトレーナーだったが靴も履いていた。
それが今度は裸足?
恐怖の他に、別の思いも染みてくる。
どうしてあんな小さな子供を誰も見てやらないんだ?
そんな思いが、恐怖の片隅に巣食いだした。