3
子供を剥がすのを諦めて、首にしがみつかせたまま原田は敷地を出て大通りに向かって歩道を曲がった。
子供はすっかり大人しくなって原田に抱かれたまま一緒に進行方向を眺めている。
しばらく民家が続き、交差点が見えてきたぐらいに大きな庭木が二本立っている広い庭が現れた。そこで曲がって敷地に入ると、子供が数人遊んでいる。
すぐ奥にある古い二階建ての玄関に向かうと、表札に
「紫田区児童養護施設」
と書いてあった。
原田の部屋は緑区にあり、会社は黒沢区にあり、社長の家は赤羽区にある。
担当の新築現場がなければ車で通りすぎることしかない地域の、こんな役割の小さな施設がこんな所にあるなんて気付くはずもない。
民家としては大きめ、アパートとしては小さめ、改装時期をとっくに過ぎたボロさ。
その程度の感想を抱いて呼び鈴を押したが、壊れているようで鳴らない。
なので、ドアを開けた。
首に抱きついている子供の手に、ぎゅっと力が入った。
それにも特に気に留めずに、呼び掛けた。
「すみません、誰かいらっしゃいませんか」
廊下の奥から子供が顔を出し、すぐ引っ込んだ。
それから、太った中年の女が顔を出した。
「はい?何か?」
「私、向こうの新築工事の担当をしている者なんですが、この子が、」
女がタオルで手を拭きながら、ゆっくりと玄関まで歩いてくる。
原田はちょっとした違和感に眉を顰めた。
あらあら、ずっと探してたんですよ、この子ったらどこにいたんですか?お手数をお掛けしました、
その程度の挨拶があるだろうと思っていた。
まさか子供がいなくなったことにすら気付いてなかったのか?
そう訝りながら、抱いている子供を両手で掴んで身体から離そうとした。
その途端、子供はまた腹の底から、ギャ―――ッ!と地球の終わりのような絶叫を響かせた。
「ああ。まぁこの子ですか」
中年女は原田にしがみつく子供の腹を両手で掴んだ。
中年女に掴まれ原田から剥がされそうになっている子供は、絶叫したまままた原田の首に両手を伸ばしてきた。
その子供の執着に、原田はふたたび、みたび、よたび?もう何度目かわからない恐怖を覚えた。
なぜ俺なんだ。
原田の目のその恐怖を読み取った子供が、叫んだ。
「パパっ!」
原田は身体を引いて、子供の伸ばす手を避けた。
怖いのだ。
俺はパパじゃない。
お前だって絶対知ってるはずだ。俺はパパじゃない。
そういう目を子供に向けた。
子供がまた絶叫して身体を反らせた。
その騒ぎに気付いて、奥から若い職員が何人か駆けて来る。
そして泣いて暴れる子供の手や足を掴み、抵抗を抑えて奥に連れて行った。
絶叫はいつまでも聞こえていた。
「あの子は置き去りにされた子なんですよ」
中年女が原田を見上げて言った。
「あなたが父親に似てるのかも知れませんね」
その言葉で、子供の保護者がまだ現れていないのだと原田は改めて気付いた。
「ここの子はみんな事情のある子ばかりですが、あの子は特に難しい子で、」
女はため息をついて続けた。
「しゃべりませんしあの通り暴れますしじっとしてませんし誰が何を言っても聞きません。本当に手がつけられません」
……それほどでもないはずだ。
原田はそう思ったが、反論せずに帰ってきた。
あの子供に会うのも今度こそ最後なのでそんな情報を与える必要も感じなかった。