19
ビルに到着した時点で6時40分を過ぎていた。慌てて四人でエレベーターに駆け込む。
車の中から君島が相手に電話してフロア入口で出迎えてもらうように頼んだので、呼び出したり探したりする手間はない。
本番直前の慌ただしい時間だろうから礼を言って手土産を渡してそのまま立ち去ろう、と原田は腕時計を見た。
そしてエレベーターが止まり扉が開きフロアに足を踏み入れると、こじんまりとしたオープンスペースに控えめなカウンターがあって若い受付嬢が座っている。
「……あれ。咲良ちゃん、まだ来てないか」
君島がそう呟きながら近づくと、受付嬢が飛び上がって驚いた。
「あ……、え?え?」
嬢は君島の顔を凝視しながら言葉を紡げず、そして視線を移して後ろの三人を見てさらに驚いて絶句している。
あれ、困ったなぁと君島が携帯を取り出すと、遠くからドアの開く音が聞こえた。
「秋ちゃん!」
その叫び声に目を向けると、通路に並ぶドアの一番奥から咲良が顔を出している。
ああ、と君島も手を上げて笑った。
直後、並ぶドア全てが大きな音を立てて開き、多数の頭が一斉に飛び出し、それぞれ叫んだ。
「来たよー!」
「生アキちゃんだよ!」
「今朝見てたよー!」
「生父さんだ!」
「うわ、カンドー!」
そして全員部屋を出てあっという間に四人を取り囲み、がやがやとしゃべりだした。
「いやー、お会いしたかったです!」
「健介君!君は偉い!」
「お父さん感動しました!」
「アキちゃん、あの自転車どこのメーカー?」
「いやしかしアキちゃん美人だなー!」
取り囲まれてあちこちから差し伸べられる手に腕を握られ、四人は当惑している。そんな戸惑いを無視して取り囲む大勢は、次に朱鷺に集中した。
「つーか君、誰?」
「この美形は一体何者?」
「すでにネットで祭になってるけど」
「この格好だったね?あれはさっき撮られた動画?」
「ネットに動画上がってるの知ってる?」
四人は、大勢に腕を掴まれたまま硬直していた。
そこにやっと人ごみを掻き分けて、咲良が救助に来てくれた。
「はい!ごめんなさい!次の打ち合わせがあるので失礼しますね!」
そう言って四人を掴む手を払い、一番奥のドアを示して移動を促す。
「次?特番?」
「え?まさか出るの?」
「ご本人出演?!」
そんな外野の声に、原田が驚いて振り向いたが、君島が笑った。
「何心配してんの。そんなわけないでしょ。こんな素人を生放送に出すなんてリスクしかないよ」
しかしそのリスクにはハイリターンが見込まれていた。
四人が招かれたのは、大きな長方形の机が真ん中にある長いマイクが天井から下がったシンプルな長方形の部屋。まさにリアルなラジオスタジオに押し込まれた。
それでも、まさかないだろうと原田と君島は、ほんの少し湧いた恐れを散らそうと笑った。まさか、ないだろう。
だから、原田は微笑んで咲良に向き直り、礼の言葉を口にした。
「この度は健介のためにご尽力いただいて、」
「あ、やだ!ご尽力だなんて!私こそお役に立てて光栄でした!それにこうしてお会いできて!」
原田の言葉を遮ってそんなことを言うので少し驚く。
「……え?」
「もう、時の人ですもんね!秋ちゃんもだけど!それとさっきからこちらの方の動画がネットで話題になってて!」
「あ、朱鷺ちゃん?さっきもそう言ってたけど、どういうこと?」
君島が訊いた。
「あら。知らない?知らないか。じゃ、ちょっと見て」
咲良が机の上のPCを動かしてディスプレイを向けて、その動画を開いた。
小さな画面で見辛いが、せんべい屋での四人の様子が映されていた。
中でも派手な色彩の朱鷺が断トツに目立つ。
ダーク系色基調の冬仕様が多い中でオレンジが目立ち、そして長髪小顔スレンダーな長身が目を引き、最終的に美しい顔から目が離せない。
「秋ちゃんが考えたの?この人目立たせると秋ちゃんにもお父さんにも目がいかないもんね」
咲良のその解釈に、君島と原田が感嘆した。
朱鷺のこの派手な格好のおかげで、あの程度で済んだということか。
朱鷺の格好が派手なのはいつものことなので全く気にしていなかったが、そうじゃなかったらあんなものじゃなかったのだ。
しかし、
「……なんでだ……」
そう呟いた原田に、咲良が笑って応えた。
「これほど動画や写真が上がってますからね。お父さん、今アイドル並みに有名ですよ」
原田が絶句して目を見開く。
「今朝は健介君も大きく映っちゃったし、秋ちゃんも大活躍だったしね」
「え?」
原田には何もかもわからない。
「浩一は何にも見てないからね。全然知らないんだよ」
また君島が笑って咲良にもそう説明した。
「知らない?何にも知らないんですか?これも?」
咲良が驚いて、その動画の横に並ぶガイド画面をクリックする。
現れたのは、病院前でカメラを怒鳴りつける原田。
『さわるな!』
と、小さく聞こえた。
原田は、目を見張った。
……え……
覚えは、ある。
寝ている健介の足を掴まれたのでカメラを怒鳴った。故意に進路を妨げたのだから当然だ。当然のことをしたまでなので特に何の印象もなく忘れ去っていた。今この画面を見るまですっかり忘れていた。そして今それを見て思い出してもやはり当然のことをしたまでで、反省も後悔もしていない。
しかし。
「……俺、こんなに凶悪な顔してんのか……」
その原田の呟きに周囲は爆笑した。