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翌朝、健介は父と口をきかなかった。
わざと遅くまでベッドの中にいて、寝坊した振りをして慌てて準備をして慌てて家を出たのだ。
父の、車に気を付けろよ、という声だけを聞いた。
そして集合場所に集まる友達に質問攻めにあった。
「やっぱお母さんだっただろ!」
「そっくりだもんな」
「オレのおかげだぞ!」
「そんで、どーすんの?」
「お父さんはなんて言ってるの?」
となりのクラスの美少女杏ちゃんに訊かれた。
「父さんには、お母さん会ってない」
杏ちゃんの質問には答えた。
「そうなのね。そういうことって多いから。お母さん、きっと怖いのよね」
怖い
確かにお母さんはそう言っていた。
「お母さんの味方、してあげてね。健介君」
杏ちゃんが、小首を傾げて訴えた。
健介は唇を噛んで頷いた。
授業を終えて放課後になり、健介は約束のグラウンドまで走る。
昨日と同じベンチで、お母さんは待っていた。
今日は笑って、健介を迎えた。
おかえり、と。
そして手を繋ぎ、二人で笑いながらバス停に向かった。
それを、翼と拓海が尾行している。
「やっぱあいつ、お母さんのとこに行っちゃうんだな」
「そりゃそうでしょー。ママでしょー。普通」
「そうか?オレはとーちゃんの方が好きだけどな」
「最初っから両方いるなら選べるけどさー。健介はあの父さんしかいなかったわけだし」
「あー。確かにあの父さんだとオレもムリ」
「おまけにあんな美人が一緒に住んでるし」
「てかあの美人、おっさんなんだろ?オレそれもムリ!」
「な?健介が家出たくなるのも普通だろ?」
「確かに」
そして二人の後を追って二人もバスに乗り込み、延々と走って降りた先は隣の区。
「ここ分かる?」
「なんとなく。サッカーの試合に来たことがある」
健介はずっとお母さんの手を離さず、二人ぴったりとくっついて細い坂道を上がり、古い集合住宅に辿り着いた。
それの二階の一室の扉をお母さんが開けるのを、翼と拓海はじっと見ていた。
健介が笑ってその中に入って行った。
健介は手を繋ぐ母に、延々と訊き出していた。
お母さん、僕って赤ん坊の時どうだったの?
そうね、生まれた時はとっても大きな子でね、看護婦さんとかみんな驚いたのよ。
そうなの?初めて聞いた!
そう、5キロ超えてて大変だったんだから!
それって大変なの?
何もかも大きくて。泣き声も大きくて。
そっかー
退院してからもすごくよく泣く子でね。大変だった。
ごめんなさい
ふふふ。それにね、全然寝ない子でね。
そうなの?今寝るよ?
そうなのね。大きくなったのね。
そうなのかなぁ。それから?僕ってどんな子だったの?
健介は、今まで知らなかったことを、今まで誰も答えてくれなかったことを、初めて聞かされていた。
父も教えてくれなかった。
何を訊いても覚えていないと返された全てを、お母さんは詳しく教えてくれた。
まわりを見ている余裕なんかなかった。
友人が尾行していることに気付くはずもなかった。
「てかさー。もう出てこないよな、健介」
「だよね。寒いよね」
「あいつ、どーすんのかな?ここに引っ越すのかな?」
「それはないでしょー。ここからじゃ学校遠いしー」
「転校するとか」
「するかな?」
「するかもなー。するんじゃねー?」
「しかし寒いよ」
「帰ろっか」
「寒いもんね」
そして二人は震えながらバス停に走った。