白天祭 ―迷いし者の行方 1―
人魚の首飾りがいなくなりました。だから猫の舌が助けを求めてきました。そうしたら新兵部隊のムドウ部隊長が窮地に陥り、案内カウンターが「俺もめちゃくちゃ困ってるー」と朗らかに言いました。
現状を整理した佐倉は、なるほど、と大きく一回頷いた。なるほど。
「さっぱり分からん」
そもそも、人魚の首飾りがいなくなるってなんだ。人なの、人の名前なの? 本物の首飾りじゃなくて、人の名前ってこと? いや、人の名前じゃないと困る。本物の首飾りが失踪したら、それはかなり奇妙な状況だ。足か。首飾りに筋肉質な足でも生えたか。首飾りに足が生えて逃げ出していくところは……あんまり見たくない。
だが、首飾りに足が生えるより恐ろしいものがある。
猫の舌、である。
猫の舌が人の名前ではなく、リアルな猫の舌だったらどうしよう。舌がのたうって助けを求めてくるとか、怯え泣いていいレベルだと思う。首飾りに足が生えて軽快なスキップで走り去る図より、猫の舌がのたうっている図のほうが、はるかに恐ろしい。
佐倉が怯え慄いていると、掴まれていた後頭部が解放された。ハーヴェストが佐倉の真後ろにある通信機へと手を伸ばす。佐倉の背後の通信機から、かちん、と何かのスイッチが押されたような音がした。
「前回の面会から何日経った」
通信機を耳に押し当てている佐倉は、ハーヴェストを見上げたまま困惑した。通信機オウムとして、ハーヴェストの言葉を一階の案内カウンターに伝えたほうがいいのだろうか。悩んでいる間に、答えが背後から響いた。
『お、切り替えたか。そいつは重畳。興味を持ってもらえたようで何よりだ―――前回の面会は、新兵部隊の加入試験があった頃、だったな』
通信機本体から、案内カウンターの声がする。
ハーヴェストがかすかに目を眇めた。
「いつだ」
加入試験がいつあったのか、知らないらしい。
「一ヶ月くらい前だと思うけど」
佐倉が答える。
『そうそう。当事者がいた。ムドウ部隊長が不在で、ササヅカは数日、試験空振りだった』
空振り。確かにその通りだ。加入試験の頃、ムドウ部隊長は本部にいなかった。佐倉はあの頃を思い出し、ようやくその違和感に気がついた。ムドウ部隊長は、本部にいる人だ。しかもほぼ毎日いる。むしろ不在日が珍しい、と言われるほどの人なのだ。たいてい、資料置き場と化しているような自室か、駐在室か、訓練所か、雑用に借り出された新兵部隊の集団の中にいる。見当たらなくても、本部のどこかにいると思って間違いはないのだ。それなのに佐倉が加入試験を受けようとした時、ムドウ部隊長は連日不在だった。そう、連日、不在。今思えば変だ。すごく変。
あの頃、ムドウ部隊長は人魚の首飾りサンと会っていた……?
「何者なんですか? 人魚の首飾りサンって」
この流れで聞いていいのかどうか迷う質問ではあった。佐倉以外のこの場にいる者は、人魚の首飾りサンが何者であるかを知っている。しかも現状は『窮地』らしい。『窮地』なら、のんびり人の紹介をしている場合では無いと思う。だが佐倉の質問に対して、諌める声も無視して先に進もうとするような声もなかった。
「あれは竜だ」
ハーヴェストが端的に言った。
端的すぎた。竜。佐倉の頭の中でその単語が踊った。同時に寺の天井に描かれている竜が、脳内でとぐろを巻いた。もしくは、もっと西洋風の竜だろうか。胴の長い竜ではなくて、どっしりした図体の火を吐くような? いや、もしかしたら、七つの球を集めたら願いを叶えてくれるような竜かもしれない。頭の中で多種多様な竜を思い浮かべ、佐倉は最後にこう思った。―――やっぱり、いるんだ竜。
その考えに落ち着いて、はて、と思った。どうして、やっぱり、なんて思ったのか。佐倉は自分の中で記憶の断片を拾い上げ、はっと息を呑んだ。
「あ、昨日」
無意識に口から音が漏れた。
「昨日、見た。ムドウ部隊長の部屋で、面談の時に」
何気なく手に取った資料。
「竜の資料が……」
あの時、強烈に思ったのだ。新兵部隊長は、竜を育てるつもりで隊員達を育てようとしているのか、と。
『バルフレア・ハインからの報告書か何かだろ』
答えたのは、背後の通信機。
「バルフレア・ハインってあの、ガクジュツトケンキュウノギルド?」
『そう、その学術と研究のギルド。本来あの竜は、ムドウ部隊長の持ち物だ。だが人魚の首飾りは、精神衛生上、絶対誰にも良い影響を与えねえ。だからウチは預かり拒否。そうこうしているうちに学術と研究に一生を捧げたい根暗ギルドが竜の預かりに名乗り出た。竜なんてそうそう拝めるもんじゃねえから、奴らにとって、人魚の首飾りは垂涎のなんたらってもんだ。今や別格の客として、バルフレア・ハインの中枢で囲い込まれてる』
なんだか凄い人、いや竜だということが分かってきた。
「人魚の首飾りサンが行方不明だから、バルフレア・ハインが大騒ぎになってる、とか?」
『いや、まだ夕街ギルドは、あれがいなくなったことに気がついてない。だから眷属の猫の舌がこちらに助けを求めてきた』
「なんでグレースフロンティアに……」
『人魚の首飾りの世界は、ベイデン・ムドウを中心に回っている。と、いうかもはや、あれの世界にはベイデン・ムドウしか存在してねえんだ。すべての行動がベイデン・ムドウに帰結する。人魚の首飾りがいなくなった。ならばどこに現れるのか。答えはバカでも分かるだろ?』
すなわち佐倉にも答えを導き出せた。
「人魚の首飾りサンは、ムドウ部隊長に会いに来る」
竜がムドウ部隊長の会いにやってくる。佐倉は素直に想像した。思い描いている竜は、特撮映画に登場するような巨大生物だ。想像の竜が巨大すぎた。グレースフロンティアの建物上部に飛竜の爪がぶち当たり、ブロックでできた玩具みたいに本部が破壊された。祭の最中、降り注ぐ瓦礫と逃げ惑う大勢の人々の絶叫。佐倉はその身を震わせた。
「大事件じゃないですか……!」
『だから窮地だって言ってるだろうが。その上、人魚の首飾りは今、凶悪なまでに腹を空かせている』
なんだその不吉な言葉。佐倉の頭の中で、飛竜が破壊されたグレースフロンティアの上空を旋回し、次の攻撃を繰り出そうとしている。次の攻撃は口からの炎か、それとも鋭い爪をもう一度振り下ろすのか、と思っていた矢先のその会話は不吉以外の何物でもない。
「……なんで、今、空腹の話」
『なんでって、そりゃ、人魚の首飾りが、ヒト、食うからだろ』
想像上の飛竜の次の攻撃が決定した。佐倉の頭の中で、竜は通行人のおどり食いをはじめていた。
「人を食べるんですか、竜って!?」
『いやむしろヒトが主食』
「メインご飯が、人!?」
『しかもあれが満足のいく食事を得られるのは、ベイデン・ムドウの面会日のみだ。取り決めで、面会日は一ヶ月に一度と決まってる。もう分かってると思うが、前回の面会日から何日経過した?』
「一ヶ月……」
佐倉は答えながら、納得した。ハーヴェストが一番最初に投げかけた質問の意味が分かったのだ。眼前の男は、前回の面会日を聞くことで、竜が食事を得たのがいつだったのか、確認したかったに違いない。
『面会は一ヶ月に一度。会える時期だと言うのに、人魚の首飾りは根城を飛び出した―――さてさて、それは何故なのか』
問われて佐倉は顔をしかめた。答えを持っていない。この一ヶ月間のムドウ部隊長の行動を思い返す。指導、説教、怒鳴り声、ゲンコツ、指導、説教、怒鳴り声、ゲンコツ……佐倉の中でムドウ部隊長の行動はある意味、常に一貫していた。あの筋肉ダルマの部隊長の行動で、何か違和感を覚えたこと、あっただろうか。
記憶を探る作業の中に、ふ、と浮上したのは、昨日、通信機の前にいたムドウ部隊長の姿だった。
面談の為、足を踏み入れた新兵部隊長の部屋。竜の資料を手に取る前の出来事だ。
ムドウ部隊長は、通信機を投げ捨てた。……そうだ、通信機を投げ捨てる前のムドウ部隊長は、いつもと様子が違ってはいなかったか。乱暴な相槌すらない通信機との会話。怒鳴りもせず冷静に通信機に向かって告げる声。
あの時、ムドウ部隊長はなんの話をしていた?
必死に手繰る記憶。よりインパクトのある通信機のポイ捨ての記憶に払拭されかける。でも大事なのはそこじゃない。あの二度目の通信機に向かって、ムドウ部隊長が言ったこと。
「流すって言ってた……!」
佐倉はこの騒動に発展する答えを見つけ、叫んだ。
「ムドウ部隊長、昨日、言ってた。今回は流す、って」
他にも言っていた気がする。でも、記憶は通信機を投げ捨てるムドウ部隊長が強烈すぎて、それ以上の言葉は何も思い出せなかった。
「禁句、だな」
隣でアルルカ部隊長が掠れた声でそう告げた。まさにその通りだった。昨日、ムドウ部隊長が通信機を投げ捨てる前の会話が、人魚に首飾りサンに関係した会話だとすれば、「今回は流す」は間違いなく禁句。
たった今、一階の案内カウンターは、人魚の首飾りについてこう評した。あれの世界にはベイデン・ムドウしか存在していない、と。竜がそこまで妄信的にムドウ部隊長を想っているとすれば。
待ち望んだ一ヶ月。
ようやく会えると心を躍らせていたとしたら。
面会日を流されて、また一ヶ月、待たなくてはいけないと知った時、竜は気付いたはずだ。
「一回分、食事、食いっぱぐれてる……」
なんて酷いことを! ムドウ部隊長と会えない上に、一ヶ月に一回しかないご飯まで、取りやめになったとしたら、竜が可哀想すぎる。いや、これ竜に同情していいのだろうか。その一ヶ月に一回のご飯が人かもしれないのだ。それなら竜にはご飯を我慢してもらったほうが、人である佐倉は安心できる。……それにしても、新兵部隊の部隊長の面会日に竜の食事があるというのは、いったいどういう意図があるんだろう。佐倉はあることを思い至り、血の気が失せるのを感じた。もしや新兵部隊の使えない奴は、最終的に竜の胃袋に収まるとか、そういう話なのではないのか。踊り食いか。新兵部隊員の踊り食いなのか。それなら次のご飯は間違いなく自分か、チロか……ラックバレーか。願わくば、次のご飯は、年長者であるラックバレーからお願いしたい。だが残念なことに、ラックバレーでは竜のおいしいご飯にはなれない。あの人、良い出汁は出るだろうけれど、圧倒的に肉の部分が足りてない。竜の嗜好が、柔らかいお肉より軟骨とか皮が好き、という呑んべえ嗜好であることを祈るばかりだ。
「それで、ムドウ部隊長は何処に?」
ラックバレーが先でありますようにラックバレーが先でありますように、と念仏を唱えはじめた佐倉の横で、アルルカ部隊長が至極冷静に訊ねた。
『ムドウ部隊長は、猫の舌から連絡を受けるやいなや血相を変えて飛び出して行った。おそらく街中走り回ってんじゃねえか? 当てもなく奔走しても、見つかる見込みは薄い。ベイデンの奴、こっちに説明しねえで飛び出して行ったもんだから、おかげでこっちも推測するしかなくてな。ササヅカの言葉で得心がいった。そうか、流す、ね。今回は取りやめる気だったわけだ』
「竜側との折衝は、お前の仕事だと思っていたが」
重低音が落ちた。佐倉の目の前からだ。ハーヴェストの言葉に、通信機の向こうから一度、音という音が立ち消えた。突如、通信機から耳に障るほどざらついた笑い声が弾ける。
『あのなあ』
笑い声が嗤い声に変わる。
『―――今回の俺に、それを言うかよ、てめえが?』
身が竦むような変化。
「それもまた禁句、だな」
アルルカ部隊長が呟いた。
何が禁句だったのか佐倉には分からなかったが、ハーヴェストの発言が案内カウンターの逆鱗に触れたらしい。
そもそも今回の竜の問題は、一階の案内カウンターが日程調整に関わらなかったから、起こった問題なのではないか。ハーヴェストの言うように、本来なら案内カウンターが竜側との日程調整をしていたのかもしれない。面会の期日が白天祭付近の為、竜とムドウ部隊長の面会が頓挫しそうになっていたとしても、案内カウンターが介入して調整したのならば、祭前後日程をずらせたはずだ。きっと、今みたいに竜がバルフレア・ハインを飛び出すなどという問題は起きてはいなかっただろう―――だが今、竜はバルフレア・ハインを飛び出し、行方知れずとなっている。佐倉でも推測できた。案内カウンターは今回の竜側との折衝に関わっていない。何故なら、案内カウンターが業務に復帰したのは、今日、なのだから。脳筋ギルドで唯一ともいえる言葉での折衝専門者、案内カウンターを介していない面会の断りの言葉がどれだけ乱暴な物言いだったか、推して知るべし。延期などの代替案も出されないまま、今回は中止だと一方的に突き放したに違いない。
「では、行くか……」
隣のアルルカ部隊長が壁に預けていた身体を正した。
「行くって」
どこへ?
佐倉は呆気にとられて、隣の男を見上げた。
「案内カウンターがここへ連絡を入れたのは、私に人魚の首飾りかムドウ部隊長を探させる為だろう」
「いや無理ですよ、だってアルルカ部隊長」
―――全然、症状が緩和されていないじゃないですか。
熱のありそうな、ぼう、とした表情。濡れた瞳。それにゆらりと傾ぐ足。壁にもたれかかって立っているのがやっとな様子。あれ、悪化しているようにも見える。大丈夫なんだろうかこの御方。こんな状態の人を、真夏の灼熱の日差しの下へ放りだしていいわけがない。
「しかしこれは、案内カウンターの不在によって起こった事柄だ。即ち、私が責任を取るべき問題、といえる」
「なんで案内カウンターが不在で起こった問題の責任を外遊部隊長が取ろうとしてるんですか……」
外遊部隊長は、街の外の隊の隊長だ。
案内カウンターの不在が原因で起こった問題に対して、外遊部隊長が責務を負う理由が分からない。それともなにか、この御仁、グレースフロンティアに起こった問題は全て自分の責任とでも思っているのか。なにその崇高な精神。背負いすぎだ。外遊部隊長、責任を背負いすぎ。この一ヶ月、毎日不在の隊長や内部を統括しているようには思えない内部統括部隊長のグリム部隊長に見習っていただきたい精神だ。
『そうなんだよな。これも俺が不在だったから起こったことなんだよな。つまりは、当たりを引いた奴が全責任を負うっていう今回の処罰の中に当てはまるわけだよな―――やっぱりこの件、アルルカ部隊長には牛馬のごとく働いていただこう』
嗤いながら案内カウンターが言った。アルルカ部隊長は疲れたように通信機を一瞥し「異論は無い」と言った。いや、異論はあるべきだ。ちゃんと異論を出したほうがいい。佐倉は慌てた。話の流れで、何故かアルルカ部隊長が牛馬のごとく働かされる話になっている。こんな状態の人を牛馬のごとく働かせるとか、どんだけ鬼畜な所業か。ゲスい。ゲスいよ案内カウンター、鬼畜生すぎる。
「あの、それ、外遊部隊長の仕事というより、新兵部隊員の仕事じゃないですか」
佐倉は自らの身を投げ出した。
「人魚の首飾りサンを探しに行くにしても、ムドウ部隊長を探しに行くにしても、外遊部隊長を走り回らせるような話じゃないですよ。パシリは新兵部隊員の仕事ですし、自分、やりますから」
『何、言ってんだ。お前は当然パシリ筆頭として酷使する予定だよ俺』
うわあ、ゲスい! ゲスいよ案内カウンター!
『白天祭のせいで昼街はヒトであふれ返っている。ここから人魚の首飾りを探すのは不可能だろう。だから先にムドウ部隊長を探してくれ。ムドウ部隊長なら街で顔が割れている。必ず誰かが見て、記憶に留めているはずだ。そう考えても、人魚の首飾りを探すよりはムドウ部隊長を探すほうが容易だろう。ムドウ部隊長を見つけたら、急いで本部に引き返してくれ。人魚の首飾りのことは、一度、捨て置く』
「そんな。いいんですか。何かの拍子に竜のお食事タイムスイッチが入っちゃったら」
『まあ、そうなったらそうなったで、毎月の面会調整もうんざりだから絶好の機会と考え直して、喜んで竜討伐に乗り出そう』
どうしよう、笑って言われるべきことじゃない。
『復路のパレードまで、あと二時間程度だ。興醒めなパレードで観客を失望させたくねえ。今回のパレードの先頭がアレで、ムドウ部隊長も不参加じゃあ、観客に石を投げられかねねえよ。だから何が何でも、ムドウ部隊長を捕獲して、復路のパレードの開始時間に間に合わせろ』
新兵部隊長の捕獲依頼がきた。捕獲て。
ムドウ部隊長を捕獲して、復路のパレードに参加させる。
佐倉は昨日のモントールの部屋から音を聞いたパレードのことを思い出した。あの歓声のパレードは、往路のパレードだ。一日めの王城の騎士団のパレードの対となる二日めのパレードが復路のパレードと呼ばれている。復路のパレードは、昼街にある全ギルドが参加する。もちろん先頭は昼街最大手ギルドのグレースフロンティアだ。新兵部隊はグレースフロンティアの最後尾でのんびり歩けばいいそうだが……あ、あ、まずい。昨日、突然の非番で、今日はまだ新兵部隊員に誰とも会ってない。何時にどこ集合なのか、佐倉は知らされていなかった。チロあたりと早めに合流しないと、よく分からないギルドの中に紛れ込んでパレードに参加する羽目に陥りそうだ。不安になったが、すぐに解決策が見つかった。ムドウ部隊長さえ見つかれば、パレードの出発地点へ連れて行ってもらえるに違いない。
よし、絶対、ムドウ部隊長を見つけなくては。
「二時間かあ。新兵部隊に協力してもらえれば間に合うかなあ」
こんな大きな街で、たった一人を探し出す。できることなんだろうか。街の中は人で溢れかえっている。昨日モントールと歩いた感じでは、パレードの為に通りの通行規制がかかったら、ほぼ身動きが取れなくなる。大勢で区画ごとに分担して、探しても二時間で間に合うかどうか……。
『ああ、ササヅカ、新兵部隊はこの件で人員割けねえぞ?』
「ぅえっ?」
『当たり前だろうが。祭の最中だぞ。昨晩、カウンターにのさばる役立たずを蹴っ倒して追い出した後、作業の再振り分けをした。本部勤務の隊員全て、ついでにペット2匹分まで見逃さず、余すことなく人員を使いきったんだ。だから人員として今すぐに使えるのは、いるはずもない外遊部隊長と、振り分け指示通りに動けてねえお前と、最初からあてにもしてねえそこの男だけだ』
なんたることか。佐倉は目の前が真っ暗になったのを感じた。振り分けの指示通りに動けてないって言われた。それってつまり。
「あれ!? おかしいな!? 無断欠勤中ってことになってます!?」
『お前の今日の勤務予定は』
通信機の向こうで資料をめくるような音。
『ああ、ラックバレーとパレード開始時刻10分前まで昼街外門の手伝いが入ってる。20分前から、な』
ああああああ。つまり今日の勤務、すでに20分遅刻していることになる。終わった。どうしよう。きっとラックバレーに勘違いされている。今日も祭を楽しみたいから無断欠勤を敢行した奴、とか思われていたらどうしよう。ラックバレー、昨日の突然の非番が決まった時ですら、こちらをガン無視だったのに、このサボり、絶対許してくれるはずがない。
『猫の手も借りてえくらいの状況だ。あてにしていなかったとはいえ、そこのもう一人にも、是非ともご協力願いたいもんだよなあ』
案内カウンターが言った。
『動ける人員は三名。うち一名はまだ薬が抜けきってねえ。二時間の制限があるうえに、外は祭で人がごった返し、きっと思うようには動けない。こんな中でたった一人を見つけ出して、今のままじゃあ見栄えのしねえパレードを成功させる。なあ、お前が大好きな超絶面倒で厄介な物件だ。どうよ、手ぇ出したくなってねえか?』
案内カウンターの言葉は、心を揺さぶるものがあった。佐倉は見事に心を揺さぶられた。そんな物件、全然、手を出したくない、と。だが眼前の男は、カウンターの言葉に目を眇め、その後こちらを見つめた。そして笑んだ。獰猛に。
「面白くねえ」
提案は切り捨てられる。
「俺に引き受けさせたいなら、竜の捜索も話に盛り込むべきだった」
……あれ?
佐倉は自分の耳を疑った。
今なんて言った。この人、なんて言った。佐倉は聞きたくないと耳が遮断した言葉を拾い上げた。ムドウ部隊長を探し出すだけでなく、竜も見つけてくるって言わなかった?
「なんで、自らハードル上げてるのハーヴェスト!?」
頭おかしい! なんて立派に頭がおかしいんだハーヴェストさん!
「そんな無茶苦茶な。一度にひとつずつ解決を……!」
「竜とベイデン・ムドウ、その両方を二時間以内に連れてきてやる」
佐倉の言葉と被さるように、獰猛に、宣言がなされた。
『―――さすが、と言ったところだな』
愉しそうに笑い声が跳ねた。
『どうやって、それを実現する。何か策があるんだろうな?』
ハーヴェストは通信機には答えなかった。
彼は佐倉を見つめ、天井を指差した。
「あれは、なんだ?」
あれは、何って。
佐倉の視線は、ハーヴェストの指を見つめ、天井へと彷徨い出す。視界の隅で、ふわり、と何かが動いた。今はこちらに背を向け、背泳ぎの状態だ。蠱惑的な腰の動き。腰骨下の際どいラインぎりぎりで巻かれた布から見えるのは黄金色の美脚。銀色に輝く髪を潔く短髪にしたことで露になった艶かしいうなじ。今は背を向けているので見えないが、翠の瞳は濡れたように美しく、その胸は女でも憧れるような美胸である……ただしその身長、人差し指大。
「あれは」
奇しくもハーヴェストの問いは、アルルカ部隊長の以前の問いと同じものだった。
ベッドの上で、アルルカ部隊長にあの空をふわふわしているものが何かを問われた。あの時、佐倉はモントールが教えてくれたことをそのまま相手に伝えたのだ。すなわち今回もそうしようと佐倉は口を開いた。
「あれは、もともとは風の中にいる―――」
「どえろい生き物……」
隣から掠れた声でそう呟かれた。
佐倉は顔を横へと向けた。ハーヴェストもまた、そちらを見た。
アルルカ部隊長が、熱のありそうな瞳で天井を見つめていた。彼はこちらを見なかった。天井付近の魅惑の姿態を見つめたままだ。彼はそのままの状態で、やがて静かに呟いた。
「今の発言、忘れてくれ」
よし、忘れよう! うん、忘れよう! 佐倉は高潔なる外遊部隊長から無理やり視線を剥がし、ハーヴェストを見た。
「あの天井を泳いでいるのは、もともとは風の中にいて、とっても目が良くて、道を教えてくれたりくれなかったり、はぐれた仲間の場所を教えてくれたりくれなかったり、大半、間違った情報をくれたりする、フィフィっていう生き物―――ぅあ」
佐倉は自分の言葉に驚き、思わずハーヴェストの腕を掴んだ。ハーヴェストが考えていることにはまだまだ追いついていないけれど、その思考の一端が佐倉にも見えた瞬間だった。
フィフィには、分かるのだ。
はぐれた仲間の居場所が、分かる。
ムドウ部隊長と竜の居場所が、フィフィには分かる……!
教えてくれない可能性のほうがなんだかめちゃくちゃ高そうだけれども。
フィフィのその美しい翠の瞳は、竜と新兵部隊の部隊長を容易に見つけてくれるに違いない。
それは、たったの三人で闇雲に街中を探し回るより、遥かに正しい方法だ。
佐倉はこれが正解なのか確かめるように青灰色の瞳を覗き込んだ。合ってる、よね。たぶん、間違ってない、よね。視線に乗せた問いかけに、ハーヴェストは緩やかに相好を崩し、八重歯を見せて笑ってくれた。