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白天祭 ―寝台にて 7―

 薄い洋服の生地を掴もうと、右手が伸びてくる。

 佐倉はそれを、はし、と右手で防いだ。

 すると相手の左手もやってきた。

 慌てて左手で相手の腕を掴んで―――さらに、もう一人も手を伸ばしてきた。佐倉は恐慌状態に陥った。右手も左手もハーヴェストの攻撃を防ぐので手一杯だ。ホント、文字通り、手一杯。ではいったい誰がアルルカ部隊長の両手を止めてくれるのか!


 佐倉は己の窮状に嘆いた。

「う、腕が四本あれば……!」


 いや、たぶん四本じゃ足りない。全然足りない。圧倒的に足りない。佐倉の腕が二本増えたところで、子供の腕と大人の男の腕では力の差は歴然としている。二人の猛攻に対してこちらは一人。防戦もままならない。大人の腕と子供の腕、男の腕と女の腕、である。全然勝てる気がしない。そのうえこの二人、ただの大人の男ではない。あの外遊部隊の猛者たちをまとめあげる、とか、佐倉の知り合いの腕を切断する、とか、他ギルドへ嬉々として情報略奪をしに行く、とかそういう言葉が付け足される大人の男達なのだ。

 

 よりいっそう敗色濃厚。言うなればアレだ。そう、ロールプレイングゲームで、ラスボスの右腕的存在とクリア後特典の裏ボスの二人組みと対峙するレベル1の村人みたいな心境だ。冒険に出発するための最初の村の門を塞いでいる敵のシンボルマークが、ラスボスの右腕的存在とクリア後特典の裏ボスで、こっちの装備はかの有名な「ひのきのぼう、なべのふた」みたいなものである。何だそのマゾゲー。ゲームバランスが崩壊している。

 しかも現実は、すでにラスボス右腕と裏ボスの敵シンボルマークに接触済みの状態である。ずっとラスボス右腕と裏ボスのターンが続いていて、佐倉のターンが回ってこない。すでに佐倉は「たたかう」も「ぼうぎょ」も放棄し、半泣きで「にげる」を選択していた。だがいくら脳内で「にげる」を選択しようが、大人の屈強な男二人組が「服をはぐ」で行動を統一している以上、制止できるはずがない。「たたかう」もダメ「ぼうぎょ」もダメ「にげる」もダメで、佐倉はついに「さけぶ」を選んだ。


 こうなったら、萎えるような色気皆無の叫び声を上げてやる。

 佐倉は肺にこれでもかと空気を溜め込んだ。

 音が部屋中に響きわたる。

 寝台の上の住人達は動きを止めた。


 それは、佐倉の叫び声とは異なる音だった。

 色気の無さで言えば、同等か。いや、部屋中に響き渡るこの無機質な機械音のほうが、佐倉の叫び声よりもさらに色気は無さそうだ。音は断続的に部屋を満たし、存在を主張していた。注意を引こうとする音は、それなりの音量だ。そして、ずっと聞いていると音を止めたくなるような不快感もある。出ろ、出ろ、出ろ、と鳴り響く機械音。佐倉は視線だけ彷徨わせ、音の出所を見つめた。音は壁に取り付けられた物から発せられていた。


 通信機。


 あったんだ、通信機。

 佐倉は叫ぼうと含まらせた肺から、緩やかに息を吐いた。

 いや、通信機はあって当然だ。同階の新兵部隊長の部屋に通信機があって、外遊部隊長の部屋に通信機が無いわけがない。昨日、ムドウ部隊長の部屋で、鳴り止まない通信機に向かって佐倉は願った。空気を読め、通信機、と。

 そして今、アルルカ部隊長の部屋の通信機に向かって、こう願った。

 空気を読むな、通信機、と。


 視線が壁から離れる。佐倉はベッドの上で二人の男を見上げた。暴れている間に、いつの間にやら押し倒されていた。ヘソ、丸見えである。アルルカ部隊長は片手で佐倉の服をめくり上げかけ、もう片手で、佐倉の剥き出しの腹に触れていた。


 通信機が鳴り続けている。

 アルルカ部隊長がついに、音の発信源へと顔を向けた。

 佐倉へと戻される瞳は、濡れて艶めいたままだった。

 がんばれ。

 佐倉は心の中で声援を送った。

 がんばれ、通信機。お願いだから、鳴り続けて。


 佐倉の願いが聞き届けられた。アルルカ部隊長の舌打ち。そしてベッドから大人の男ひとり分の重みが消えていく。まさかの舌打ち。似合わない御方からの舌打ちは衝撃的だ。部屋の主は呼び出し続ける音に応じた。部屋を満たしていた不快な機械音が消える。驚くほど静かな室内。外遊部隊長は上半身裸のまま壁に寄りかかり、頭部も壁のほうへと傾けた。なんだろう。あの背中、めちゃくちゃ疲労困憊を体現しているように見える。


 アルルカ部隊長はベッドから離れた。

 後は。

 佐倉の視線が、アルルカ部隊長から眼前へと戻った。

 後は、この男だ。

 むしろ、こちらの上半身裸の男のほうが問題だった。

 アルルカ部隊長は、上着を脱がすことを目的としていた。

 だが、もう一人は―――


 ハーヴェストの片腕は、佐倉の身体の下――腰の位置にあった。ベッドシーツと佐倉の腰の間にハーヴェストの手が挟まっている。佐倉の身体に潰されたハーヴェストの手は、他の人には見えない。そしてもう片方の手は、佐倉の片膝を掴んでいた。アルルカ部隊長には、暴れる佐倉の足を押さえたように見えたかもしれない。

 だが、当事者である佐倉は、声を大にして言いたい。


 大きな間違いである、と。


 佐倉の腰とベッドに挟まれたハーヴェストの掌は、佐倉の服を掴んでいた。

 上の服を、じゃない。下の服を、である。しかも恐ろしいことに、彼はさらにもう一枚―――下の服の中に着用中の布地も一緒に掴んでいたのだ。それは、薄い布地である。言い換えれば下着である。ぶっちゃければパンツである。おちゃめに言えばパンティだ! ハーヴェストがこのまま行動していたら、服を二枚、ものの見事にひん剥かれることになったに違いない。もう一度言うが、上の服が、じゃない。下の服が、だ!

 そしてもう一方の手は、佐倉の膝を掴んでいた。暴れるのを防ぐための手の位置ではない、と思う。もしこのまま膝を抱え上げられると、シーツと腰や尻の間に隙間が生まれる。するとどうなるか。なんとまあ、より容易に、服を脱がされることになるのである。再三言う。上の服が、じゃない。下の服が、下着ごと!


 ハーヴェストと目が合った。

 彼は悪戯がばれた子供のように肩をすくめた。

「冗談だ」

 うそこけ!

「離して!」

 ハーヴェストは素直に従った。自由になった身体を起こす。佐倉はベッドの上で正座した。そしてハーヴェストを睨みつけた。

「正座!」

 獰猛種はきょとん、とした顔でこちらを眺めていた。

 佐倉はベッドの上をばんばんと叩いた。

「せーいーざ!」

 獰猛種は「あぁ俺か」と呟き、佐倉のように正座した。


「あのね、反省してほしいんです」

「反省?」

「まさか、この脱ぐ脱がないの騒ぎで、悪いことをしたとこれっぽっちも思ってない、なんてことは」

 獰猛種の表情が答えを物語っていた。

 そのきょとん、とした顔。小首を傾げる仕草。思ってない。ハーヴェスト、全然、悪いことをしたと思ってない。眩暈がした。

「ハーヴェストは私が」

 視線がハーヴェストの背後に飛んだ。アルルカ部隊長は通信機のお相手中だ。

「女、って分かってるのに。それなのに、むしろ率先してひん剥きにかかるとか、なんであんなこと」

「何故って」

 彼はさらに首を傾げて続けた。

「そうしたかったから?」

 なんだその本能に忠実、みたいな答え!

「つまり、そういう気分だった、っていうか、その場のノリってこと?」

 とりあえず脱がしたい気分だし、脱がしちゃえ! と?


 直後、ハーヴェストの顔面にクッションが直撃した。


 投げつけた佐倉は、怒りに顔を赤く染め、罵りの言葉を吐き出した。

「その場のノリで、世の中が何でも許してくれると思うなよ……!」

「……その台詞、今のお前に言って聞かせてやるべき言葉だと思うがな」


 ハーヴェストは直撃したクッションを、こちらの手の届く範囲に戻さなかった。害は無いと判断したから避けもしなかったのだろうが、何度も投げつけられたいとも思っていないらしい。

「とにかく、その場の気分で行動をするのは自制して下さい。その論法でいくと、ハーヴェストは気に入らない人がいたら、その場で相手を殴るってことだからね? さすがに気分で人を殴ったりしないでしょう? 気分で人を殴らないのと同じように、私に対しても、もうちょっと考えてから行動して――」

「気に入らない奴は撃つことにしているんだが」

 ……「殴る」の上位互換「撃つ」が相手の口から出てきた時は、どうしたらいいのか。

「え、撃……気分で、人を撃っちゃうの?」

「ああ、撃つ、な。だが昨夜、気に入らない奴は斬り殺そうと決めたばかりだ」

 たぶん、「殴る」<「撃つ」<「斬り殺す」だと思う。

 しかも、普通の「斬る」じゃない。なんたることか、そこに「殺す」なんて言葉がついている。

「要は、気にいらない人は殺すってこと!?」

 わあ、またきた。このきょとん顔。このきょとん顔、八重歯の笑顔と同じくらい可愛いかも、とか思い始めた自分の脳はいったいどうなっているんだろう。

「いやいやいや、何言っているのか分からないよって顔だけど、何言っているのか分からないよ、はこっちが言うべきことだから」

「聞いたことがないのか? グレースフロンティアは、喧嘩も殺し合いも自由だ。備品を壊すと処分が下るがな」

「その頭のおかしい規則は知ってる。でも、気に入らないから殺す、なんてどこかの三番部隊長じゃあるまいし」


 佐倉は噂の内部統括部隊長の話を持ち出した。

 グレースフロンティアの生きる伝説、頭がおかしい人がひしめくこの団体でもさらに突出した危険人物、たぶん、遭遇したら死んだフリが必要な内部統括部隊長のことである。佐倉は幸いにもまだ会ったことはない。だが、その人の話は周囲からよく聞かされていた。この一ヶ月とちょっとの間で、幾度となく話題にのぼった内部統括部隊長の話は、耳を疑いたくなるような話ばかりだ。

 魔女と嗤いながら殺し合っただの、突如、他ギルドに現れ、数日に渡り居座り続け、帰ってくれと懇願する他ギルドから金銭やら土地の支配権やらを根こそぎせしめただの、飲食店で何を頼むでもなく数時間居座り続け、偶然居合わせたグレースフロンティアの隊員に「今日も代用品か」と面白くなさそうに斬りかかり、腹をかっさばいて医務棟送りにしただの、酒場で「たらふく食え」と隣に座っていた老人に皿まで食わせただの、「扉が気にいらねえ」と火鉢通りの自宅扉を跡形も無くなるくらい撃ちまくり、ついでとばかりにお隣の家の扉まで破壊しただの……聞く話は奇行狂行ばかり。佐倉は話をしてくれる人に話を聞くたび、聞き返した。「背びれ尾びれがついた話なんだよね」と。すると相手からはこう返ってくる。「本当の話に砂糖まぶして、笑える範囲に修正した話だ」と。そして佐倉はこういう感想を述べる。「狂ってる。三番部隊長まじこわい」


 たぶん、このギルドの三番部隊長が、この世界のラスボスなんだと思う。佐倉は噂を聞くたびに怯え慄き、どうか遭遇することがありませんように、とひたすら祈っているのだ。

 佐倉が恐怖の内部統括部隊長のことを考えていると、ハーヴェストはまるで肯定するかのように頷いた。

「確かに、俺の言動は三番部隊長と一致するよな」

「一致じゃ困る。というか困れ。それと同じじゃ、ハーヴェストも人間失格ってことなんだから」

「お前の耳にはいったいどんな噂が吹き込まれてるんだか」

「三番部隊長が撃ち殺し損ねた話、とか?」

 別名、モントールが生き延びた話。

「ああ、その話か。俺も昨日、思い出した。回避されると後々面倒なことになってくると知った。それで今度からは撃つのは控える、と決めたわけだ」

「そうなんだ。ああ、だから気にいらない人は斬り殺す、ってわけかあ………うん?」

 あれ、今、自分、三番部隊長の話をしていた、よね?

 グレースフロンティアの生きる伝説、頭がおかしい人がひしめくこの団体でさらに突出した危険人物、たぶん、遭遇したら死んだフリが必要な内部統括部隊長の話をしていたはずだ。ええと、名前は、そう。


「今の、三番のグリム部隊長の話、だよね?」

 なんかまた、きょとん顔がきた。畜生、可愛い。

「今の、三番のグリム部隊長の話、だっただろう?」

 それ以外の何の話を? という返され方。いや、うん。確かに、グリム部隊長の話だった、はず、なんだけど……。


 佐倉は混乱してきた話を整理しようとして、はっと息を呑んだ。そもそも頭のおかしいグリム部隊長のことなんてどうでもいい。ハーヴェストの気分屋具合を自制してください、とお願いするのがこの正座談義の目的であって、もはや矯正不可能であろうグリム部隊長をなんとかしたいなんて、これっぽっちも思ってない。あれ、なんで、グリム部隊長の話になったんだっけ……。


 話を戻そうとした佐倉に、ベッドの外から声がかかった。


「君にかわってほしい、とのことだ」

 アルルカ部隊長が通信機の受話器を、こちらへ向かって軽く振った。


 通信機本体が壁に取り付けてある以上、自分がベッドの上から退くしかない。ベッドから降りた瞬間、呪いがとけたような解放感を味わった。このベッドですったもんだがありすぎた。一年くらいベッドの上にいたような気さえする。

 

 得体の知れない物を摂取中のアルルカ部隊長のもとへと向かう。怯えながら見上げれば、疲弊しきっているアルルカ部隊長がそこにいた。この状態なら、近づいても襲われることはない、と思う、たぶん。

「誰から、ですか?」

 受話器を受け取り、耳に当てながら訊ねるのと、『よぉ、無事か』と笑う声が耳に流れこむのがほぼ同時だった。質問の答えに、佐倉は自分でたどり着いた。

「バラッドさん」

 相手は一階の案内カウンター。

『妙だなあ、ムドウ部隊長の部屋に連絡したつもりはねえんだけど、ササヅカがいるなあ』

 笑いを含んだ棒読みな台詞で、佐倉は今日、案内カウンターと会った時のことを思い出した。この部屋に向かう時、案内カウンターにアルルカ部隊長に会いに行くとは言わなかった。街にいるはずのない外遊部隊長に会いに行くとは言えずに、ムドウ部隊長の部屋へ行く、と告げたのだ。

「すみません、あの時、嘘を言いました」

『知ってた知ってた』

 からりとした笑い声。つまり、四階に向かう踊り場で会った時から、案内カウンターは佐倉がどこへ行くのか知っていたのかもしれない。しかも開口一番の言葉が、無事か、である。アルルカ部隊長がどういう状態であるかも、知っているのだろう。


『それで今、どんな状況だ。事後か』

「いや事前。めちゃくちゃ事前」

『ああつまり、事後、が何を指しているか分かるくらいの事前ってことだな』

 佐倉は言葉を詰まらせた。耳元で朗らかな笑い声。愉しそう。今日も、案内カウンターはご機嫌だ。

『アルルカ部隊長に聞いても、さっぱり状況が見えてこねえんだよなあ。いつもなら理路整然と状況説明をする御仁が、こっちの質問に満足に答えてくれないときたもんだ。それに、こういう時の外遊部隊長の説明は味気ねえ。報告書みたいな話が欲しいわけじゃねえんだ。ここはひとつ、ササヅカ、お前の目で見て、今がどんな状態か語ってくれよ』

 その言葉に、佐倉は部屋の中を改めて見渡した。

 真横には壁に寄りかかり、ぼう、とした表情のアルルカ部隊長の姿があり、ベッドには正座のまま、伸びをするハーヴェストの姿がある。正座じゃなくていいよ、って言えばよかったのだろうか。ハーヴェストがそのまま正座待機しているけれども。

 

 佐倉はこの状況をどう説明しようか迷い、しばらくして答えた。

「半裸の男の人が、二人います」

『その男の数には、当然お前は含まれていないわけだよな?』

「そりゃ」

 私は女ですから、数には含んでませんけど。

 口から出そうになった言葉は、そのまま飲み込まれた。真横にいるのはこちらを男だと思っている人だ。それに通信先の相手も佐倉のことを男だと思っている。佐倉は続きを言えなかった。アルルカ部隊長には体内のその得体の知れないものの効果が切れるまでは、女だと知られたくはない。

「………自分は、服を、着てますし、だから、その、数に含んでないです」

『つまりお前のほかに、半裸の男が二人いる?』

「まあ、いますね」

 壁に寄りかかった人と、ベッドで正座待機の人が。

『なるほど! まさかの三人でお愉しみか、やるなササヅカ!』

 通信機の先の言葉に佐倉は自分の耳が爆発したかと思った。

「なななな何言ってんですか違います全然話が違います!」

『いやあ、予想してなかったな。三人か! 誰だもう一人は―――いや、言うな。自分の眼で確かめる。服を脱いでりゃ部屋に入ってよし、だろ。待ってろ今行く』

 椅子から立ち上がる音と同時に、何やら服を脱ぎだすような音。

「いやいやいや何故、一階で脱ぎだすの、四階まで裸体を見せびらかしながら練り歩いて来るつもり……というか、違うそうじゃないそういうことじゃないそういうツッコミ所じゃない、そもそも来なくていい全然来なくていい!」

『なぁに、三人でも四人でもノリでいける。愉しもう』

 最悪だ! いたよここにも、ノリ推奨の酷い人!

 しかも案内カウンターはベッドで正座待機の人と違って、佐倉を男、と思っているはずなのだ。通信先の男は、男四人でどう愉しむつもりなんだろうか。ノリだけでは決して乗り切れないはずだ。だが相手はあの愉快狂だ。愉しければ何でもいい男だ。男四人でも愉しめる、と言い放つ傭兵ギルドの事務員、なにこれ怖い。想像するとかなり怖い。

 佐倉は恐ろしい雑念を振り払うように、目を閉じて激しく首を振った。


「ホント来なくていい! 要らない! 間に合ってます! 昨日から裸祭でお腹いっぱいだよ!」

 佐倉は叫んだ。

 案内カウンターの笑い声が耳元が立ち消えた。

『―――昨日から?』


 佐倉は、はっとして顔を上げた。


 最初に見たのは、すぐ隣。

 アルルカ部隊長が、こちらを無表情に見下ろしていた。

「………昨日、から?」

 特有の掠れた声がそう言った。


 しかし佐倉の視線は何かに引っ張られるように別方向へと動いた。

 視線はベッド側へと流れていく。

 そして見た瞬間に、後悔した。

 寝台の上で正座している背中から、目が離せなくなる。

 見惚れる背中を披露している男が、ゆっくりと首を右へ、傾けた。彼がよく見せる仕草だ。小首を傾げる、という動作。

『昨日って、お前なあ! 昨日、どこの裸体と遭遇してきたんだ』

 明朗な笑い声は通信機から。

 だが佐倉の目は、ベッドの上で正座待機し首を傾けている男の背中に釘付けだった。

『ああ、待て。分かったかもしれない』

 案内カウンターが不吉な宣言をした。

『お前、昨日、非番だったんだよな。ムドウ部隊長が昨夜、そう言っていた。祭を楽しんできたんだろ? そうだそうだ、そのお相手は』


「――モントール」


 案内カウンターの言葉を引き取ったような言葉が、室内から響いた。

 案内カウンターの声は、佐倉の耳にしか届いていないのに。

 重低音で、たった一言、人の名前を呟いた男は、やがて傾けていた首が緩やかな動作で正した。


 なんで。

 佐倉は凝固したまま、強く思った。

 なんで、ハーヴェストの口から、その名前が、出てくるの……?


 それでは、まるで……そう、まるで、昨日佐倉が出くわした裸体が誰か、ハーヴェストが気付いたかのようなタイミングではないか。首を傾げ、彼が考えを巡らし、佐倉が昨日、神々しい尻や脚を眺め舐めまわした相手が『モントール』である、と気付いたかのようなタイミング……


『ああ、部屋にいるもう一人は、モントールか?』

 案内カウンターの笑い声に視線の呪縛が解かれた。案内カウンターの笑い声を聞くと、怖い物が無くなります、という謎の効果、再びである。目が自由になり、思わず通信機を見つめた。何。何だって? 案内カウンターは、なんと言ったか。

「あ、いえ、部屋にいるのはモントールでは無くて、もっと」

 佐倉は言葉に詰まり、顔をしかめた。もっと、何。ハーヴェストは、もっと、何なんだろう。ハーヴェストはモントールよりも……佐倉は無意識に通信機から再びハーヴェストのほうへと目を戻した。ベッドに正座している男の背を思い描いていた目は裏切られた。ベッドの上に、誰もいない。どこ。背筋が震えた。最後までベッドにいた男は、しなやかにベッドの横へと足をつけ―――


 青灰色の双眸が。

 完全に。

 こちらに狙いを定めていた。


 佐倉は、飛び上がった。壁についた通信機がまるで案内カウンター本人であるかのように、縋りついた。

「怖い人だった! やばいバラッドさんどうしよう、もっと、怖い人だった! 部屋にいるのはクリア後特典の裏ボス様でした! どどどどどうしようついさっき気にいらない奴は斬り殺すって言った人がたいそう気にいらなさそうにこっちを見てい――ぃぎゃあああああダ、ダメ、ハーヴェストこっち来んな!」

 佐倉は通信機片手に飛び跳ねた。こっち来んな、で止まってくれる人でも無いし、そうそう、気にいらない奴を斬り殺すならもうちょっと近づかないとね……って、斬り殺されたくねええええええ!

『半裸のもう一人は、ハーヴェストか! おい、ササヅカ、ちゃんと実況しろ! 事細やか話せ……!』

 通信機の向こうで熱のこもった声。

「そんな話、今、できるわけ無――っ」

 その瞬間、後頭部を掴まれた。ぐい、と強制的に上向かされる。ハーヴェストがほぼ真上から見下ろしてくる。至近距離。息を呑み、足が後退しかけ、踵が壁にぶつかった。

「俺は、昨日の話とやらが、聞きたい」

 ハーヴェストさん、その話は。佐倉は心の中で悲鳴を上げた。その話は、今、絶対してはいけない話だ。佐倉は通信機を片耳に引っ付けたまま、後頭部を掴んでいる人を見上げ続けた。昨日の話、要約すると、モントールのシャワー中に浴室に飛び込んで、美尻美脚にうっとりした話、である。なんたる痴女発言。絶対話せない……!


「は、ハーヴェスト。ハーヴェストさんや、ちょっと落ち着こう。ね、落ち着こう。とりあえず通信機でお話中は、ゲームで言うところの、ほら、クリスタルとかそういった類でできたセーブポイントと言いますか、ホームボタンと言いますか、メニューボタン、みたいなもんだと思うわけですよ。ほら、セーブポイントに接触している時は、敵のシンボルマークにぶつかっても戦闘状態にならないわけで、ホームボタンとかメニューボタンを押した時には時間が止まるわけだから、やっぱり裏ボスとの戦闘をせずに済むわけで、で、うん、つまり、その、通信機でお話中の人の息の根は止めてはいけない、というか、通信機でお話中の人には、いかなる人も手を出してはいけない、みたいな世界ルールがある、と思うんだ……!」

 自分で言っていて、どんな話だ、と思った。

『なるほど、すげえな通信機』

 通信機の先の、その鼻で嗤う感想も、どうかと思った。

「通信機、至急、配備だな……」

 佐倉の横で、昼夜、紛争に明け暮れる外遊部隊長が、こんな突拍子も無い話に丸めこまれかけていた。……今、まともな判断が下せないからだろうけれども、この話に丸め込まれるのは言った本人としても、どうか、と思う。

「世界にそんなルールがあるのなら」

 重低音が真上から落ちてきた。後頭部を掴む指に、緩やかに力がこもる。

「通信機を切ってしまえば、手を出してもいい、ってわけだな……?」

 一番騙されて欲しかった人から、一番まともな言葉が返ってきて、佐倉は何も言えずに黙り込んだ。

 重低音は、通信機の先にもしっかり届いたらしい。

『切ったほうがいいなら切るかー?』

「き、切らないで、切らないでください、切れたら最期、斬り殺されるかもしれないってのに、ここで切るとかどんだけ鬼畜」

『斬られはしねえだろ、手は出されてもな』

「素手で殺られるってことですか!?」

『いやそうじゃなくてだな……ああ、まあ、いいや。なんかすげえなお前。見事に興が削がれた』

 通信機の先で、からり、とした笑い声。


『ササヅカ、その窮状、救ってやろうか?』


 藁にも縋りたい心境だった佐倉は、藁より確実に救ってくれるであろう通信機の先の人、懇願した。

「ト、トイレ掃除でも灰皿洗いでも新聞配達でも備品発注でもなんでもします……!」

『おお、偉い偉い。無償で救ってもらえねえって分かってんだなあ―――そんなイイコのササヅカは、俺の言った言葉を繰り返せ』

「はい!」

 佐倉はオウムになりきって返事をした。どんな言葉も繰り返す気、満々であった。

 ハーヴェストに後頭部を掴まれ、かの青灰色の瞳を見上げたまま、オウムは通信機からの伝言を一言一句聞き漏らすまいと必死になった。


 そして、オウムの瞳が困惑に揺れる。


「えっと……案内カウンターのバラッドさんから、ですが」

 オウムは、今、聞いた内容を繰り返す。

「に、人魚、の、首飾り、が、いなくなって」

 オウムは言いながら、思った。なんだこのファンタジー言語。

「猫……の、舌、が、助けを求めてきて」

 本当に何なんだろうこのファンタジー言語……!

 しかも、ものすごい効果のあるファンタジー言語だったらしい。


 室内の空気が、緊迫感のあるものへと、変化する。


 見下ろす男の空気も、壁にもたれかかる男の空気も、変わっていた。

 そして、耳にもたらされる情報に、オウムが最初に眉宇をひそめることとなる。


「―――ムドウ部隊長が、窮地に陥っている……」


 通信機の先の言葉を繰り返したら、何故か、ファンタジー言語に、新兵部隊長の名前が組み込まれることとなった。しかもそこだけは、オウムにも明確に意味が分かった。ムドウ部隊長が、窮地に陥っている、らしい。


 あの新兵部隊を束ねる大黒柱が、窮地に陥っている……?


『―――で、俺もめちゃくちゃ困ってる。頼む、助けてくれ、と伝えてくれ』

 朗らかに、全然困っていなさそうに、案内カウンターは伝言オウムに向かってそう言った。

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