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白天祭 ―寝台にて 5―

 ―――今の質問は、忘れてくれ……?

 布越しに頬に触れた手の甲は、動かない。大きく硬い手の甲が、頬の上にそっと置かれたままだ。

「忘れて、いいんですか?」 

 忘れていいってことは、話が終わり、ということだ。

 アルルカ部隊長はこの話を切り上げようとしている。

「でもこの話、ここでやめてしまうと、たぶん」

 言葉は口の中で消えた。佐倉としては、話をしなくていいなら、それに越したことはない。話、打ち切り万々歳である。だが佐倉は話を切り上げられず、言いよどんだ。

「まだその時ではなかったということだ。日を改めよう」

「でも」

 佐倉の口から出る言葉は、まるで話を続けたいかのような言葉だった。

「奇妙だな」

 当然、アルルカ部隊長はそう指摘した。

「私には君がこれ以上、この話を続けられるようには思えない。それともササヅカ隊員、君は話を続けたいのか?」

「いや、全然、これっぽっちも」

 思わず本音が口に出る。

「ならば何故、いつまでもこの話をしようと引きのばす? お互い、日を改める、という結論に至っているはずだ」

「そうなんですけど!」

 佐倉は意を決して、思っていたことを口にした。

「だ、だって、日を改めたら、次、アルルカ部隊長と会えるのがいつか、分かんないって思って」

 声は小さく消えた。


 アルルカ部隊長は外遊部隊の部隊長だ。当然のことだけれど、この人は常に街にいる人ではない。今回の帰還の理由が外遊部隊の昇格試験の為ならば、近日中に街を離れることになる。アルルカ部隊長が街を去るまでに、佐倉が自分の将来を決めるなんて、ありえない話だ。この話し合いはここで中断すると、相当長い時間、棚上げすることになる。答えが出ないまま、アルルカ部隊長が街を離れる時が必ずやって来る。

 アルルカ部隊長が次に街へ戻る時まで、この話が保留になるとすれば。

 いったい、いつになるのか。

 そんなに長い間、保留にしていいのだろうか。


「確かに、次にここへ戻る機会には、一年程度、恵まれない可能性がある」

 アルルカ部隊長がそう告げて、佐倉は目を見開いた。

「そんなに長く?」

「街を出たら、すぐにでも部隊を補強せねばならない。半年後の段階で、杖の男を長期間、足止めできぬと、均衡が崩れる。街で休息を得る暇はないだろう」

 アルルカ部隊長の言葉は、佐倉には難解すぎた。言葉から察するに、アルルカ部隊長は忙しいらしい。それにしても一年程度とは、ずいぶんと長い猶予期間だ。


「一年後の君ならば、容易に答えも出せるかもしれない」

 アルルカ部隊長の声は、どこまでも静かで落ち着いている。

 かすれていて、囁くような声なのに、不思議と身体中にしみわたるようだ。

 布越しに感じる手の甲の温かさと同じだ。

 

 その温かさが、佐倉の不安を軽減してくれる。心の奥底の不安に囚われずに、素直に思えた。

 アルルカ部隊長の言うとおりかもしれない、と。

 一年後、自分はまだここにいるかもしれない。

 その時は、ここで生きていくことに納得しているかもしれない。

 今はまだ、深く考えることすら拒絶してしまう状態だけれども。


 一年かけて、ゆっくりと、自分の心と折り合いをつけていこう。


「考えます。時間かかるだろうけれど、でも、ちゃんと自分で考えます」

 布越しに触れている無骨な手の甲が、自分の心を支えてくれているような気がした。

「だから、アルルカ部隊長。その時は、話を聞いてくれますか」

「では、誓おう。一年後、私はもう一度、君と会い、君の行く末について尋ねると」

 おお、なんか『誓い』がきた。胸の熱くなるような言葉だ。人に何かを誓われるってなかなかあることじゃない。それも誓ってくれたのは、あのアルルカ部隊長である。発言の重みが全然違った。


 必ず、実現する。

 アルルカ部隊長の言葉なら、絶対、実現する。

 この人は、拾ったものを投げ出したりしない。最後の最後まで面倒を見てくれる。それについて、佐倉は微塵も疑っていなかった。だから、アルルカ部隊長が誓った言葉は現実になる。絶対に。


 佐倉は、威勢よく言った。

「一年後、期待していてください。ものすごい将来設計を披露しますよ。アルルカ部隊長が呻き唸って歓喜絶叫するような将来設計を、かならず!」

 言いながら、人様を呻き唸らせ歓喜絶叫させる将来設計ってなんだろうと自分でも思った。世界征服、とか? 一年後、世界征服します! とか言い出したら、皆の度肝を間違いなく抜けると思った。たぶん、言った瞬間、アルルカ部隊長に成敗されると思うけど。

「呻き唸って歓喜絶叫するような行く末、か」

 アルルカ部隊長も、どんなだ、と思ったらしい。言った言葉をそのまま繰り返された。

 直後、ふわっとした空気が漂った。なんともいえない柔らかくて温かな空気だ。アルルカ部隊長が側にいる時に感じる硬質さが剥がれ落ちた。

「それは楽しみだな」

 落ちてくるその声は、いつもより温かみがあった。

 あれ、今。

 佐倉は布で視界を遮られたまま、思った。

 あれ、今、アルルカ部隊長―――


 笑った?


 バカ笑いされているわけでも、嘲笑でもなくて、微笑まれた気がしたのだ。

 佐倉は数少ないアルルカ部隊長との思い出を振り返り、この御仁が笑っている姿を一度として見たことがないことに気がついた。

 脳内では、アルルカ部隊長が目を伏せ気味に、口角をかすかに持ち上げ、ふわっと微笑んでいた。微笑みを隠すように俯きかけ、長い髪が顔にかかる。髪をかきあげれば、笑んだ様子なんて微塵も感じさせないいつものアルルカ部隊長に戻っていて……いや、うん、全部、妄想であって現実、アルルカ部隊長がどんな様子なんだか、布越しでは全く分からないんだけれども。


 アルルカ部隊長が微笑んでいるのであれば、かなり貴重。見たい、と思った。

 佐倉は覆っている布を取ろうともがいた。手が布を掴む前に、するすると顔に触れている布が動いていく。覆われていた視界がクリアになる。ベッドの縁に腰かけたアルルカ部隊長は笑って―――いなかった。視線も佐倉を見ていない。目線を追ったら、佐倉は背後に目を向けることになった。


 ぎしり、とベッドが鳴った。

 アルルカ部隊長の白い上衣を頭から被った男が、ベッドで上半身を起こしていた。

 今まで佐倉を抱き枕にして、背後ですこやかな寝息をたてていた人だ。

 なんで、この人、私が被っていたはずのその布を被っているんだろう。

 佐倉はベッドに寝転がったまま、布を被って動かない男を見上げ、ぼんやりと思った。ああ、そうか。佐倉の顔が覆われたのなら、佐倉の首に顔を埋めて寝入っていた男もまた頭から布を被っていたことになる。この人がベッドの上で起き上がる時に、覆っていた布をそのまま持っていってしまったのだろう。

 頭から人の上衣を被った男は、ゆっくりと腕を動かした。

 指が布地を掴む。次第に布を手の中へ握りこみ、頭から被っていた衣服が取り除かれ、起き抜けの第一声は―――「クソ暑ぃ」

 至極もっともな発言だった。朝とはいえ真夏である。人抱えて布被って眠ったら、誰だって『クソ暑ぃ』に決まっている。

 自由気ままなベッドの占領者は、頭を覆っていた服と同時に倦怠感も放り投げていた。再会してからずっとこの人が纏っていた気だるげで茫洋とした空気が霧散している。


 全快。

 

 そんな言葉が頭に浮かんだ。

 いやいやいや、おかしい。絶対おかしい。この人が寝入ってから何分経った。一時間、経ってない。何日寝てないのか答えられなかった人である。そんな人が、一時間にも満たない時間で『全快』を体現するとか、ありえない。

「ハーヴェスト、まさかと思うけど。睡眠時間、終了じゃ、ないよね?」

 ぐぐ、と背筋を伸ばしていたハーヴェストが、こちらに目を向けた。

 その青灰色の瞳は、これから二度寝をする人の目ではない。むしろ、どちらかと言えば、これから二、三人、殴ってきます、というように好戦的だ。

 ハーヴェストの手が、佐倉のほうへと向けられた。その指先が向かうのは、首だ。身体が自然と強張った。ハーヴェストの指が触れた。触られた皮膚がびくり、と波打つ。くびり殺されるかと思った。

 首は絞められなかった。

 指先は、皮膚を押し撫でた。

「よく寝れた」

 満足そうにそう告げ、指が離れていく。 

「そ、れは、良かった」

 本当に、睡眠時間は終わったらしい。何その短すぎる睡眠時間。



 ハーヴェストは鮮烈だった。

 目を覚ました瞬間、その場を圧倒し、支配した。

 佐倉は彼が目を覚ます以前のことを整理することもできず、ベッドの上の男の一挙手一投足に釘付けになった。場の支配者は、こちらが見ていることなど気にも留めていないらしい。呑気に首をまわしている。しかもまわした首が、ごきん、と鳴った。ごきん、て。骨の鳴る音まで獰猛だ。青灰色の瞳がアルルカ部隊長を捉える。ハーヴェストはまじまじとアルルカ部隊長を見つめ、その後、破顔した。八重歯を見せて無邪気そうに笑い、おもむろに自分の服の後ろ襟を掴む。するり、と首から衣服を脱いだ。


 佐倉は我が目を疑った。

 脱いだ。

 ハーヴェストさんが、服を一枚、お脱ぎになられました。

 何故か感触まで覚えているハーヴェストの半裸姿に、佐倉は目をそらすこともできずに、震撼した。どうしてくれよう、あの外腹斜筋。ハンギング・サイドレッグレイズ(鉄棒にぶら下がって腹筋で足をあげる鬼トレ)とか余裕でこなせるに違いない。引き締まり方に、惚れ惚れすr―――

「いやいやいや、違うから。そういうことに感心してる場合じゃないから」

 佐倉は全力で否定しながら、身体を起こした。

 そもそも聞かなければならないのは、そんなことじゃない。

「な、なんで今、脱いだのハーヴェスト!」

 目覚めてからの一連の動作のいったいどこに、この人が脱ごうと思う要素があったのか。

 慌てて叫んだこちらを見た男は、しばらく思案するように口を閉じ、ゆっくりと小首を傾げた。

「そういう流れかと」

「どこにそんな流れが!?」

「この部屋にきたら、脱げ、っていう法則的なもんがあるのかと思ったんだが」

「ないない、そんな変な法則、全然ないから!」

 なんでそんな突拍子もない考えに至ったか。

 もしや、この人、盛大に寝惚けているんじゃあるまいな。 

「あのさ、ここ、誰の部屋か分かってる?」

「外遊部隊長の部屋だろ」

 結構、まともな答えが返って来た。分かっているくせに、よくその御仁のベッドを占領する気になったものである。

「そう。アルルカ部隊長の部屋なんです。聡明崇高公正明大、グレースフロンティア一真面目真っ当マトモ、全ての隊員の行動指針みたいな人の部屋で、ハーヴェストが突然、脱ぎ出したら、失礼すぎるでしょ」

「お前、随分と、外遊信者に染まったようだな」

「少なくとも、ハーヴェストの色に染まるより健全だと思う」

 青灰色の目が愉しそうに眇められた。

 やっぱりそう。噛み付けば噛み付くほど、この人は上機嫌になる。

「いい響きだ。お前、俺の色に染まればいいのに」

 ハーヴェスト特有の冗談とも本気ともつかない言葉遊びに迷い込む。

「……いや、うん、そのハーヴェスト色に染まった時にこそ、世界征服します、とかわめき出す時だと思うんだ」

「へえ、お前が俺をどう思っているのか、改めて興味がわくよな?」

 これはまずい流れだ。

 佐倉はさすがに口を閉じた。このまま暴走すると、この人の言葉遊びの罠にはまって、何か言わされかねない気がした。

「とにかく―――アルルカ部隊長のちゃんとした所を、少しでも見習おうっていう誠実な気持ちはないの」

 明らかに話の軌道をそらすこちらの問いに、ハーヴェストが少し口角を引き上げた。

「むしろ、俺は今、盲目的なくらい外遊を見習ったイイコだと思うんだが?」

 その返答に佐倉は頭を抱えた。

 どうして盲目的にアルルカ部隊長に従ったイイコが半裸なんだ。


 佐倉は匙を投げた。

「手に負えない―――アルルカ部隊長。この自由人に、礼儀ってものを教えてあげt」

 佐倉はアルルカ部隊長を見て、言葉をブツ切った。


 そういえば、アルルカ部隊長も、半裸でした。


 ベッドの縁に座る半裸の御仁とベッドの中央で胡坐をかく半裸の自由人。

 ハーヴェストが脱いだ流れがようやく佐倉にも飲み込めた。

 なるほどそうか、お部屋の持ち主様が半裸だったから、盲目的に外遊部隊長を見習ったというわけか。なるほど、ハーヴェスト、イイコだな! うんうん、外遊部隊長に従う立派なイイコだ! 納得、納得……じゃねえええええええ。



 佐倉の服の背が、つい、と引っ張られた。

 胡坐をかいたハーヴェストが、手を伸ばし、佐倉の服を軽く摘まんでいた。

 ちょっかいを出してくるその指が、佐倉の服をつんつんと引っ張っている。

 目が合うと、彼は子供みたいに無邪気に笑った。

 

「尊敬すべき外遊を見習って、お前も服を脱いだらどうだ―――ササヅカ新兵部隊員?」

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