白天祭 ―寝台にて 4―
―――「では、ササヅカ隊員。君の未来設計を聞かせてくれ」
そんな第一声がかかるのではないか。佐倉は、ベッドの縁に腰掛けているアルルカ部隊長の言葉を待った。こちらに背を向けて、頭を抱える御方は、やがてこう言った。
「ササヅカ隊員、その方といつ知り合いに?」
それは佐倉が考えていた質問ではなかった。
「その方って……このスヤスヤ中の人のことですか?」
一切無視と決めていた背後に意識が向く。
「このスヤスヤ中の人とは、グレースフロンティアに入ってすぐ、ですね」
佐倉を抱き込み、人様のベッドを占領する暴挙の主は、すこやかな寝息をたてている。熟睡だ。この人、寝つきの良さがハンパない。アルルカ部隊長のベッドを占領するのはおかしいと訴えても、彼は一言、やや不機嫌そうにこう言っただけだった。「黙れ」と。同時におそろしい圧迫感を肌に感じ、佐倉は反射的に身を竦ませることとなった。全身が強張ったその一秒後、背後から、すこやかな寝息。圧迫感が霧散する。佐倉は身体を強張らせたまま、心底、思った。即寝とか、また新しい技を出してきた……!
「その方に、随分と気にいられたようだな」
「ええと、はい、その方に、随分と気にいられたようです」
―――掲示板でやりとりするくらいには。
佐倉は、アルルカ部隊長の言い方に引っかかるものを感じ、眉をひそめた。―――「その方」と、アルルカ部隊長はハーヴェストについて言った。なんだかハーヴェスト、偉そうな感じ、しない? アルルカ部隊長のほうが、背後の人よりどう見ても年が上。それなのにこの部屋の扉を叩いた時も、そのあとも、アルルカ部隊長は暴挙の主に敬意を払っているように見えた。
疑問が生まれた。いや、前から材料はごろごろと転がっていた。『魔の巣窟』である四階に住むハーヴェスト。四番部隊長の部屋から出てくるハーヴェスト。外遊部隊長と話している時も、やりたい放題だったハーヴェスト。
背後で眠るこの男―――
「いったい何者なんですかハーヴェストって?」
アルルカ部隊長の肩がぴくり、動いた。
「ハーヴェスト、と名乗ったか」
ななななななんだろう。その、まるで、ハーヴェスト以外の名前もあるよ☆みたいな発言は。
「自由部隊のハーヴェストさん、じゃ、ないんですか?」
「自由部隊のハーヴェスト、か」
「自由部隊のハーヴェストさん自身は、自由部隊のハーヴェストだって、おっしゃってましたけど……」
「自由部隊のハーヴェスト―――その方がそうおっしゃったのならば、君はその名で覚えておけばいい」
やっぱり皆は別の名前で覚えてるよ☆って言われている気がする……!
加えておそろしいのは、この『自由部隊』という部隊名を、「自由部隊のハーヴェストさん」以外から聞いたことがないことだ。存在しない部隊名を聞かされている気さえしてきた。騙され中か。私、今、絶賛「自由部隊のハーヴェストさん」に騙され中なのか。
「それで、ササヅカ隊員。君はどこの部隊を希望する?」
背後の人のことで頭がいっぱいになった所で、その質問がやってきた。
いよいよ本題だ。佐倉は身構えた。
この質問は、昨日のムドウ部隊長の質問と酷似する。
『それで、てめえはどこを志願する?』
昨日は言葉に詰まり、うまく答えられなかった。そのせいで、ムドウ部隊長やラックバレーの関心を引いてしまった。あの時は、運良く話が転がった。各街部隊についての講義になって、その流れで『夕街部隊の昇格試験を受ける』と決まったのだ。
おかげで、今回の質問には『答え』がある。
佐倉は昨日の話し合いに感謝しながら、その答えを口にした。
「夕街部隊、です」
「夕街か」
背を向けたままのアルルカ部隊長が言った。
「夕街のコルクアン部隊長は、若手の中でも抜きん出た能力を持っている。おそらく十数年後にグレースフロンティアの上に立つのはあの男だろう」
「そんなに凄い人なんですか」
「優れた逸材だ。難があるとすれば、本人の気質か」
「気質?」
「争い事を好まない穏やかな気性なのだ」
おお、夕街部隊長、非常に好ましい性格だ。喧嘩上等なグレースフロンティアに所属しながら、争いごとを好まない性格って、めちゃくちゃ稀少ではないか。
「夕街部隊長に会ってもないけど、今、ものすごく尊敬―――」
「争いを好まない性格なのに、誰よりも問題事を引き付ける男だ」
………うん?
「夕街部隊長が出向くところは、どんな平穏な地でも事件が起こる」
あれ、争い事、好まない人……?
「そのうえ、日常生活においては全てが不足している男だから、全く使い物にはならぬ。だが、有事は全てが充足する男だから、周囲の度肝を抜く力技で物事を解決してくる」
争い事を好まない人が力技で解決……!?
「そこの―――自由部隊のハーヴェスト殿、に意表をつくヤツと評された男だ」
数秒で、夕街部隊長が、非常に好ましい人から非常に好ましくない人に変化した。自分の背後の意表をつく人から、意表をつくヤツなんて評価をもらう夕街部隊長、絶対、普通の人なわけがない。頭おかしい部類の人に違いない。
「そうか、夕街部隊を希望する、か」
アルルカ部隊長は独白のように呟いた。佐倉のほうは、今のアルルカ部隊長の話を聞いて、撤回したくてたまらなかった。昇格試験は受からないとムドウ部隊長に言われているし、そんな恐ろしい人が率いる夕街部隊のお世話になることはない、だろう。たぶん。
「外遊部隊を希望するか、と思っていたのだが……」
「新兵部隊から、すぐに外遊部隊へは行けないじゃないですか」
異例な存在もいるけれど、普通は昼街部隊を経験しないと、外遊部隊への受験資格も得られない。
アルルカ部隊長が身じろぎした。ゆっくりと背が伸びる。
「確かに私の部隊は、新兵部隊からはすぐには行けぬが―――ササヅカ隊員、何故、昼街部隊を希望しなかった?」
「それは昨日、ムドウ部隊長に言われて」
ダメってことに―――言葉は口の中で消えた。
「……ムドウ部隊長に、言われて?」
緩みきった空気が張り詰める。
「何故、今、ムドウ部隊長の話が?」
今までと同じかすれ声。でも、今までと明らかに違う鋭さがあった。
佐倉は自分の迂闊さを呪った。
今、言葉の選び方を完全に間違った……!
ムドウ部隊長のことは、言ってはいけなかったのだ。口を滑らせたから、アルルカ部隊長は気づいたに違いない。―――こちらが、アルルカ部隊長の問いに、全く答えていない、ということに。
アルルカ部隊長はこう尋ねた。どこの部隊を希望するかと。
佐倉は答えた。夕街部隊です、と。
この質問と答えには大きな隔たりがある。
大きな隔たりに、アルルカ部隊長は気づいたはずだ。気づかれたのなら、この御方は見逃しはしないだろう。
「どうやら、誤解があるようだ」
かすれた静かな声が、質問と答えの差を埋めはじめた。
「私が尋ねたのは、次の昇格試験で受ける部隊のことではない。ましてやムドウ部隊長が推挙した部隊名でもない」
追い詰められる。
「私は、君自身が、君の意志で、最終的に行きたいと願う部隊はどこなのかを尋ねていたのだが?」
佐倉にも分かっていたことだ。アルルカ部隊長が聞いているのは、将来の話だ。直近の昇格試験のことではなく、数年後、どこの部隊にいたいか、だ。
分かっていた。
だから、佐倉は話をすりかえた。
質問を誤解したフリをしたのだ。『次の試験で、どこの部隊を希望するか』を聞かれているのだと誤解したフリをして、アルルカ部隊長の質問に真正面から答えなかった。ムドウ部隊長がくれた答えを使って誤魔化した。夕街部隊を受けるのは、佐倉が夕街部隊を受けたいと言ったからではない。
ムドウ部隊長が、受けろ、と言ったからだ。
そのことに、アルルカ部隊長が気づいた。
質問と答えの間にある差はいとも簡単に埋められる。
『君自身が、君の意志で、最終的に行きたいと願う部隊はどこか』
それは、佐倉の逃げ道を完璧に塞ぐ言葉だ。
見つめる外遊部隊長の背は、折れることのない鋼が入っているように真っ直ぐだった。丸まることのないその背筋が、一切の嘘を許さないと言っているように、佐倉には見えた。
今、再び、本当の気持ちを尋ねられている。
佐倉自身が、この先、何をしたいのか。
昨日と同じだ。ムドウ部隊長の『それで、てめえはどこを志願する?』と言われた時と同じく、佐倉は答えることができずにいた。
答えはある。
将来のことを聞かれるたびに、ひとつの答えが、佐倉の口から飛び出しかける。
―――本当は。
夕街部隊にも昼街部隊にも、行きたくない。
口から飛び出しかける本当の望みは、まったく別のものだ。
この世界のどこにもない、自分のいた場所に帰りたい。
どこの部隊に行きたいかと問われて、希望の部隊名なんて出てくるわけがない。感情のまま、モントールと同じ外遊部隊へ行く、と言うのとはわけが違う。誰かが決めたことに、流されるのとも違う。その場での激情でも、誰かに強制された成り行きでもなく、自分で熟考し、「数年後にはこの部隊にいたい」と宣言することは―――とても恐ろしいことだ。
とても、とても、恐ろしい意味を持っているのだ。
数年先の、最終的に行きたい部隊を決めるというのは、未来永劫、ここにいると、認めたことにならないだろうか。将来の話をするなんて、二度と帰れないと自分で言っているのと同じだ。帰れるはずなのだ。帰るはずの人間が、将来の話をするなんて馬鹿げてる。そのはずなのに。周囲は、こう問いただす。
将来、どうなりたいか。
決めることなんて、できない。帰れないなんて、嘘だ。絶対、嘘だ。この一ヶ月とちょっと、この見知らぬ場所で、ずっと否定してきた。
街に来た頃はもっと気楽に考えていた。何も分からないこの土地は、祖母が遺した本に関わりのある場所なんだと分かっていた。佐倉が今まで生きていた場所と、この何も分からない場所には、繋がりがある。それがどんな繋がりかは分からない。でも、すぐに分かることだと、妙に楽観視していたのだ。街で生活していれば、そのうち、答えのほうが佐倉の所にやってくる。世界を揺るがすような大事件に巻き込まれて、誰かが祖母の本の意味を教えてくれて、力を合わせて世界が救ったら、皆が幸せになって、英雄みたいに歓待をされて、その後、清々しい気持ちで、家に帰る。絶対、帰れる。そして、帰って、号泣する。お母さんとお父さんに抱きついて泣き、夕飯に出た味噌汁に泣き、物の溢れた自室で眠りにつく前にまた安堵感と幸福感を噛みしめて泣く。きっと、そういう物語が待っているんだ、って、心のどこかで思っていた。
でも、一ヶ月経過した。
その間、自分はいったい何をした?
グレースフロンティアに入隊して、新兵部隊で赤ん坊レベルと罵られながら、剣を振っていただけだ。
この一ヶ月、誰かが助けてくれと佐倉に訴えることも、世界が破滅に向かうことも、無かった。剣を振って才能があるなんて称賛されることもない。
日に日に「ここに来たことには理由がある」という考え方が薄れた。
現実が襲いかかってくる。
ここに来たことに、理由なんて、ないんじゃないか。
もし理由がないのなら。
恐ろしい現実が、目の前に差し出される。
もし、理由が、ないのなら。
―――帰る方法なんて、ない。
佐倉は恐ろしさに、固く目を閉じた。今、考えたことを必死に打ち消した。
先のことは、何も考えたくなかった。これから先のことを考え始めたら、きっと自分は、恐怖で身動きが取れなくなるだろう。近日の問題だけで頭をいっぱいにしていたい。いや、そうしていなければ自分はきっと壊れてしまう。今降りかかっている問題にだけ目を向けて、ひたすら全力で対処していれば、数年先のことなんて考えなくて済む。今は、まだ、ダメ。先のことなんて考えたら、心の均衡が―――
その時だ。ふわり、とした感触が顔にかかった。叫びたくなるような怖さをこらえて、閉じていた目を押し上げる。視界が白かった。布。アルルカ部隊長の服だ、と気づいたのはずいぶん後になってからだった。
「すまぬ」
大きな手の甲が、布越しに佐倉の頬に触れた。
かすれた低い声が静かに響く。
「今の質問は、忘れてくれ―――そのような顔をさせるつもりでは無かったのだ」