白天祭 ―寝台にて 1―
―――なあ、ササヅカって、今、どこにいる?
あの時―――深夜の円卓を囲む決議の最中、そう切り出したのは案内カウンターのバラッドだった。
「何故、ここでササヅカの名前が出てくるんだ?」
問い返したのは、新兵部隊の部隊長ベイデン・ムドウ。ササヅカは現在、新兵部隊の預かりだ。案内カウンターの問いかけに答えられる男は、彼しかいない。
質問に質問で返された案内カウンターは、答えを得ていないのに、笑みを浮かべていた。顔はムドウ部隊長に向いている。だがその意識が、完全にムドウ部隊長へと向いているようには思えなかった。
案内カウンターは策を弄することを好む。
この時、この場で、この状況で、ササヅカ新兵部隊員の名前を出したことが、案内カウンターの単なる好奇心からの問いかけとは到底、思えなかった。
―――今から、この決議において、このギルドの中枢特有の戯言が始まる。
この手の悪趣味な戯れは、中枢と接する機会が多ければ多いほど、慣れる。慣れとは恐ろしいものだ。身体を害するであろう薬物を呷れと強要されている状況でも、「成程、そう来たか」とどこか愉快に思った自分がいた。まさに慣れである。遥か昔、中枢の目を疑う奇行の数々を抑制しようとしたこともあった。このギルドに身を寄せて数年のことだ。奇行の数々に抗い押し退け叱責をとばしたが――――数年後にはこちらが、諦観、という言葉を学び折り合いをつけた。
狂行ばかりだが、結果として舵取りを誤らない珍妙な手腕を発揮する中枢を、幾度となく見てきた。今回もまた、狂行であった。案内カウンターを隠すという混乱を極めるような方法には賛成しかねるが、見事に問題を炙りだした。ならばこの責任の所在を決める方法もまた、今は狂行としか思えなくとも、全て終わってみれば、おさまる所におさまる采配なのかもしれない。
……媚薬を呷り下すことが、何故おさまる所におさまる采配になるのか、今の所、私には全く理解しかねるが。
「いや、別に。あいつ、どこにいんのかなーって思っただけさ」
「ササヅカは今日は非番だ」
ムドウ部隊長が早口でそれだけ伝えた。
「非番?」
案内カウンターが把握していない事柄だったらしい。
「祭当日に―――?」
ムドウ部隊長が唸り声で案内カウンターの質問を遮った。
「やるんだろ処罰決め。さっさと済ませちまわねえか。飲むのが遅れれば遅れるほど、明日に響く」
ムドウ部隊長は戸口に茫洋と立つ男を、顎をしゃくって部屋の中に促した。
隻眼用のマスクをつけた男は常よりも、ぼう、としていた。睡眠が不足してそうな様子だ。促されて足を踏み入れた後、副隊長の背後から腕を伸ばし、紙袋を円卓の上へと落とした。そして副隊長の席横、定位置である―――『三番』の席へと腰を下ろした。足を投げ出し、首の付け根を揉む。青灰色の瞳が伏せられ、何度目かの欠伸。
「あんた、いつから寝てないの?」
副隊長が興味をそそられたように『三番』の席に腰を下ろした男に訊ねた。青灰色の瞳がゆっくりと開く。副隊長を見つめる目は、音がしたから反応した、程度の様子だった。何も答えずその目が伏せかけた瞬間、
「へえ、ササヅカとモントールが一日、一緒!」
と、案内カウンターの笑い声が響いた。
ムドウ部隊長が顔をしかめて、案内カウンターを見やった。
「お前、今、不自然に声を張り上げなかったか」
「いやいや、驚きすぎただけ驚きすぎただけ! いやー、ササヅカとあのモントールが、一日、祭で一緒だったわけね!」
「いやだから驚き方がいつもと全然違うだろ。なんだその不自然すぎる棒読みは」
「あのササヅカとあのモントールだぞ!」
案内カウンターはムドウ部隊長から円卓へと視線を投げた。
「すげえ愉しいんだろうな、祭を観客として味わうってのは。ササヅカの奴、大はしゃぎだったろうなあ?」
カウンターから投げられた言葉に、反応したのは副隊長だった。
「ササヅカ隊員って誰? ―――ああ、でも」
副隊長は隣の男を見やった。
「外遊部隊のモントールは、ようく知ってるわよね」
副隊長は隣を指さして笑った。
有能な若き隊員は、過去、三番部隊長の銃弾を避けたことで上層部に顔を知られるようになっている。うるせえ、と撃たれかけた翌日、リャノン・モントールは兜と鎧で最大限に防御力を高めて、騒動の謝罪に三番部隊長の所へ乗り込んだ。普通の隊員であれば、謝罪に行くことはなかったかもしれない。絶命せずに済んだ運の良さに感謝し、三番部隊長を徹底的に避けることもできた。だが若き天才は逃げることをよしとしなかった。鎧兜を着込み三番部隊長と対峙し、そしてきっちりと騒動の謝罪をした。静かにモントールの話を聞いた三番部隊長は、最後に一言だけこう言った。―――「誰だっけお前」と。
この話は、いまだに上層部で語られる。三番部隊長の「激しすぎる物忘れ」の代表例として。そして、若き天才の今後に期待して。
反応の薄い隣の男に、副隊長は呆れたような顔をした。
「まさか、あんた、また忘れちゃった? ―――どうにかなさいよその健忘症」
三番席に座る隻眼マスクの男は、あの時と同じように小首を傾げた。それは誰かに向かって、「誰だっけお前」と言い放つ時の仕草だ。
いまだ案内カウンターをじっと見つめる青灰色の瞳。
やがて三番席の男は言った。
「今、覚えた」
一瞬言われたことが分からず、皆が目を丸くする。「あら珍しい」と副隊長が驚いたように呟き、「つまり今まで忘れてたんだな」とムドウ部隊長が至極真っ当な意見を述べ、こちらは覚えられてしまったらしい部下の今後を憂慮し、案内カウンターは―――何が愉しいのか皆目見当もつかないが、彼なりに何かを得たようで、円卓に身を伏せ、全身を震わせて、笑っていた。
三番席の男は周囲の反応など構いもせず、目を伏せた。暫くすれば、舟を漕ぎ出しそうな様子だ。
「はいはい、あんたは眠る前に、まず選んで」
副隊長が円卓を指で叩いて、沈みかけた隣の男の意識を浮上させた。
「まあ、当たりだったら眠っている場合じゃないんでしょうけどね」
副隊長は紙袋から小瓶を取り出した。
「効果の持続時間はどれくらいなんだ」
ムドウ部隊長はどこか達観した様子で小瓶を取った。
「そんなに長くねえよ。今からなら、明日の復路のパレードには間に合うだろ」
「間に合わなきゃ困るだろ。先頭でないにしろ、顔を出してねえと、とやかく言われる」
「まあ、各街部隊長の他でパレードに出る部隊長ってのは、ベイデンだけだしなあ。これで新兵部隊の部隊長も出てこねえってなったら、期待外れもいい所だろうな」
「つまり、俺が間に合わなかったら、観客から物を投げられることになるってわけだな」
「よっぽど見栄えのする先頭じゃないかぎりは」
案内カウンターがパレードの先頭に当確した部隊長を思いだしたようだった。さして面白くもなかったのか、首を一振りした。
「いや、新兵部隊の部隊長は今回のパレードには必要だと、俺は思うがな」
それから思い出したように、笑う。
「しかし、ベイデン、なんでお前、当たる気満々なんだよ―――むしろ俺かもしんねえぞ」
案内カウンターは小瓶に手を伸ばした。
愉しむように瓶を塞ぐコルク栓に触れながら、
「体内に媚薬が回って、身体がカッカするまで、数十分。数十分あれば、ササヅカのアパートにも乗り込めるってね」
と、不吉な言葉を吐いた。
ムドウ部隊長が、なんとも云えぬ顔をした。おそらくこちらも同じような顔をしたに違いない。
「あら、ササヅカ隊員って女の子なの?」
副隊長の言葉に、案内カウンターがこちらへと目を向けた。
「さあ、どうなんだと思う―――アルルカ部隊長?」
―――あの時、案内カウンターに問われ、私はなんと答えたのだったか。
少年の心に傷を残し、道を踏み外すような行為は、絶対に、してはならない、とでも答えたか。
「ア、アルルカ部隊長」
こちらを見上げる子供は、記憶の中の子供より身奇麗だった。そして、目が違った。以前の痛々しい憔悴しきった迷子の目ではなく、明確に力のある目がこちらを見上げている。好ましいと思った。
もっとよく確認したい。欲求が抑えられず、頭を垂れる。
黒い瞳は素直だ。目が落ちるのではないかと危惧するほど見開いている。至近距離で気づくこともある。距離をかえず、幼い唇を見つめた。
「呼吸の仕方を忘れたか?」
こちらの問いで呼吸をしていないことを思い出したのか、幼い唇がかすかに開き―――小さな小さな一呼吸。遠慮しているのか、怯えているのか、再び呼吸を忘れたその唇を、好ましい、と思った。ならばその幼い唇、割り開いて、息の仕方を教示しよう―――
さらに顔を寄せると、今度は幼い唇が大きく開く。
「お、おおおお奉行さ―――お代官さまお代官さま、こ、これ何のおおおおお戯れ!?」
素っ頓狂とはまさにこの事、といった言葉だった。
自分が組み敷いた子供を見つめる。寝台に埋もれた子供の目を叫んだことで潤んだか、黒く濡れている。視線をはしらせ、窓の外を見やれば、陽光が室内に入り込む時刻となっていた。
四階の自室。寝台の上。
身体は依然として熱い。
そして、柔らかで大変好ましい身体が、寝台の上、自らの下に存在していた。
「ササヅカ隊員」
常より声がざらついた。
「オダイカンサマとはなんだ」
こちらの問いに、黒く濡れた瞳、震える唇が小さな声で告げる。
「帯を解いて、あーれーをするオッサンの総称です」
「帯」
視線を彷徨わせる。
「帯は見当たらぬ」
「み、見当たらなくていいです。解かれたら、こ、困るので!」
「そうか。解かなくていいのか」
「はい、ま、間に合ってます」
「そうか」
身体を起こす。ぎしり、と寝台が軋む。
「ではこちらから、願いがある」
見下ろす子供は、距離が離れたことで、こくん、と大きく首を動かした。なんとも―――好ましい。
一度子供の顔の脇に手を置き、寝台の頭に手を伸ばす。真下にある己とは全く異なる心地よい質感を無理やり脳裏に押しやった。目的の物を手探りで掴み、一つを子供の腹に置く。
腹部に置かれた物を手に取って見つめ、子供は、茫然と呟いた。
「……な、何故、ここで、短剣……?」
「介錯を頼む―――今、腹を切る」
寝台の上に胡坐をかく。腹を切るには邪魔になる上の衣服を脱ぎ、鞘を口でおさえて、片刃の短剣を引き出した。脱いだ上着を短剣に巻きつけ、刃を掴む。
おそらくこの子供の技量では、介錯による絶命は期待できまい。ならば、この手で自決する他に手立てはない。一字真横に腹を突き、その後、鳩尾から臍にかけて縦に斬れば―――
「ちょ、お代官さっ―――おおおおおお侍様、お侍様、切腹はダメっ切腹はダメええええ―――!!」
またしても、子供から、素っ頓狂な声が上がった。