白天祭 ― 公平な決議 3―
―――白天祭の夜、グレースフロンティアの上層部は本部に集まる。
毎年繰り返しているこの行為を、今年もまた故意に、または、本気で忘れている者達がいる。決議に誘おうものなら包丁が飛んできかねない料理長。おそらく忘れている三番。今頃、城の騎士団長達を酒でつぶしている隊長。日頃、名前すら上がらない四番部隊長。地面より上の世界に姿を見せない地下の牢番長。患者の「命」優先の医務室長。存在しているのかもはっきりしない裏門番―――毎年、決議を蹴る常習犯達に混じって、常であればいる男がいまだ姿を見せていなかった。
夜街部隊長、ダイラム。
その男は、煙草をくわえ、定刻を過ぎてからやって来た。
何気なく見た案内カウンターの椅子が埋まっていることに気が付くと、まるで壁にぶつかったかのようにぴたりと歩みを止めた。頬にかかる緩やかなウェーブがかった銀髪を、かきあげる。露になった顔からは、険しさが失われていた。菫色の瞳が、まじまじとこちらを眺めている。ピアスのついた眉尻がぴくり、と痙攣した。煙草を指で摘まんで、口からどけ、白い煙を吐き出す。煙がすべて吐き出された後も、夜街部隊長は口を開けたままだった。
開いたままの口と同じく、見開かれたままだった菫色の瞳が、天井を見上げる。
天を仰いだ男の口が弧を描いた。
「やーべ、一杯食わされた」
夜街部隊長は笑いながら、顔をこちらへ戻し、歪な形をした耳を引っ張る仕草をして見せた。
その耳は、ピアスの開け過ぎが原因か、耳全体にギザギザとした裂傷があり、耳朶には大きな穴が開いている。耳朶の大きな穴から、背後が余裕で覗けるほどの大きさだ。ホールが閉じないようにする為か、耳朶の穴は黒いリングで補強されていた。見るからに異質さを主張する耳の持ち主は、その耳を引っ張る癖を持っている。―――頭を働かせている時、特に、だ。
「なんだよカウンター、生きてんじゃんよ―――むしろピンピンしてやがるよ。ぶっ倒れて意識不明ってのは、真っ赤な嘘ってやつかよ? やーべ、うちのお粗末なカウンター、安易に本部の椅子に座らせちまった」
夜街の言葉に、バラッドは珍しく真剣に訊ねた。
「お前、あれをカウンターって呼んでるのか?」
「うちのカウンター、同職とも認めてもらえねえレベルかよ」
「少なくとも、俺の同職じゃねえと思うがな」
「そんな使えねえカウンター、部隊にいらねえだろ」
「まあ、本部にはいらねえけど、夜街にならあれで―――」
夜街はこちらの言葉を聞いていなかった。
「よし、職務怠慢つって撃ち殺そう」
バラッドは笑ってしまった。
いけしゃあしゃあと抜かしやがる。
自分の女が容量オーバーで注意力散漫なのをいいことに、本部のカウンターに自分の隊員をねじ込んだのはこの男だ。昼街部隊長は、カウンター不在というこの混乱を収束しようと奔走した。だがこの男はどうだ。己の部隊のカウンターなんぞ据えたら、事態収拾どころか混乱に拍車がかかると知っていたはずだ。自分の女の首が絞まると分かっていたはずなのに。
―――この男が何を狙って、本部のカウンターに自部隊のカウンターをねじ込んだのか。
昼街の力量不足を露呈させて失脚させたかったなら、この男の行動も理解ができる。だが、と、バラッドは円卓を囲む昼街部隊長に目をやった。彼女は静かに目を伏せ、決議が始まるのを待っていた。そこの女と夜街部隊長が深い仲なのは、鈍い奴でなければすぐに察することだ。
すると、この男。
自分の女の力量不足を露呈させて失脚させたかったことになる。いったいどういう神経なのか。その歪な耳と同じく、歪な神経をしていることは間違いが無い。趣味の悪い狂い方だ。油断ならず、性根が腐っていて―――バラッドは笑みを深めた。この男、全くもってグレースフロンティア向きな男だ。
夜街部隊長は歪な耳を引っ張りながら、空席の牢番長の席へと腰を下ろした。隣の料理長の席に腰掛けたムドウ部隊長を見つめ、そこからぐるり、と決議に集まった輩を見回した。自らの部隊長の席が空席であることを悟ると、再び眉尻のピアスがぴくりと動く。
「オヤッサン、うちのグリム部隊長、今どこにいるとか聞いてねえの?」
ムドウ部隊長は、バラッドから見ても分かるくらい嫌そうな顔をした。俺に聞くな。心の声が聞こえてくるようだ。案内カウンターや彼らの部隊長が何かしでかすと、シワ寄せが何故か新兵部部隊長へとやってくる。その話、俺に振るんじゃねえという顔は、部下の病的に白い痩身猫背の男の表情と、どこか似ていた。
「グリム部隊長なら、今、医務棟にいるわよ」
視線が入り口に集中した。
円卓を囲んだ全員が、席を立つ。
居場所を示唆した人物は、女言葉とは裏腹に、二重顎の男だった。夏の暑さにやられているのか発汗が抑えられないらしい。厚手のタオルで顔を拭きながら現れた男は、昔かっさばかれたことのある下腹部を揺らしながら、自分の定席へと足を向けた。
自分の席につく前に、円卓を囲んで立つ全員に、座れと脂肪のついた短い指で合図する。
そうして、男はその贅肉のついたたるんだ尻を「副隊長」の椅子の上に落とした。
「グリム部隊長が、医務棟に?」
腰を下ろしながら、ムドウ部隊長が顔をしかめた。
「あいつ、誰を撃ったんだ?」
ムドウ部隊長は、至極真面目に、そう訊ねた。
訊ねられた汗かきの男は、顔についた脂肪のせいで、糸目にしか見えない目をムドウ部隊長に向けた。
「いやあね、あれが倒れて医務棟に運ばれた、とかいう発想はないわけ?」
円卓に沈黙が広がる。
女のような言葉を繰り出す脂肪の塊の発言に、バラッドはしばし考えを巡らせた。
あのグリム部隊長が―――円卓に集結した『個性豊かな』部隊長達をまとめる、『さらに個性豊かな』あのグリム部隊長が、倒れた……?
バラッドはぼんやりと考えた。確かに、あの男、ギルド内にいる時は、常に異常なくらい働いている。過労でぶっ倒れてもおかしくはない働き方をするのだ。通常の仕事だってアホみたいにある。そのはずなのに、それでも足りないとばかりに私用任務をがんがんと入れ、さらに足りないとばかりに他人の仕事まで横取りし、まだまだ足りないとばかりに他ギルドの問題にも首をつっこみ、全体として事態をひっかきまわして愉しみ、いつの間にか、あれの思うとおりに事態が収束しているという……
そんな、グリム部隊長が倒れて、医務棟に運ばれた?
バラッドは、即座に言った。
「「「「「「「ありえねえな」」」」」」」
奇しくも、円卓を囲む全ての輩が多少言葉は違えど、同じ結論に達したようだった。すばらしい。今日もグレースフロンティアの上層部は、ある一点においてのみ、息がぴったりだ。
「三番部隊の隊員はある意味、統率が取れているって分かったわね」
たるんだ四肢の持ち主は、自分の顎の肉を引っ張りながらそう言った。その後、円卓を囲む者たちを眺め、にやりと笑う。
「しっかし、貴方までそういう発言をするとは、ねえ」
副隊長席にいる男のにやにや笑いが伝染したように、数人が口元を歪めた。
皆の視線が、ある男へと集中する。ある者は、珍しいその鎧を見つめ、ある者は顔にはしる大きな傷あとを眺める。そして、大半が男の頭部、独特な形に結ってある団子頭に目を向けた。
「あたし、まだ言ってなかったわよね」
普通のどこにでもいる太めの市民といった風情で女言葉を操る奇怪な男は、見たこともない独特な鎧と独特な髪型を持つ奇怪な風貌の男に笑顔を向けた。
「お帰りなさい―――アルルカ部隊長」