白天祭 ― 公平な決議 2―
「俺に言うな、だと?」
新兵部の部隊長が、こちらの笑い声を遮った。
「私用任務の管理者は、てめえだと思っていたがな」
太い声が、音量を上げて今にも怒鳴り散らしそうに震えた。
「俺は見当違いな所に話をしているか―――バラッド?」
料理長の席を陣取った男の言葉に、自然と自分の口の端が引きあがった。
ムドウ部隊長が円卓の向こうで、こちらを睨む。随分と怒っている、とどこか他人事な気持ちでバラッドは相手を眺めた。ベイデン・ムドウは怒っている。当然だろう。この時期、このタイミングでカウンター業務を投げたこっちに対して怒りを覚えないわけがない。だがそれに対して文句を言っているわけでは決してない。
この男が苦言を呈したのは、投げた表の仕事ではなく、むしろ裏で続けた私用任務を捌く業務についてだった。
本当に心から笑みが浮かんだ。
「さすがベイデン。いつ気が付いた」
素直に賛辞を送る。対するムドウ部隊長は複雑な顔をした。怒りを継続しようとしているのに、毒気が抜かれてしまったようだ。怒鳴ることもできず、どうしていいか分からなくなったような、何ともヒト臭い微妙な顔だった。
「てめえがぶっ倒れたのが、嘘だったことについてか?」
「いや、そこ、全部が嘘だったわけじゃねえよ。本当に死にかけたんだからな」
ムドウ部隊長は首を振る。
「俺も最初はすっかり騙された」
「いや、だから最初は騙してねえって。最初のぶっ倒れはマジだから」
「だがこれだけ混沌としている状況で、上がひとりも出てこねえのが妙だと思いはじめた」
「聞いてねえし。……しまったな、この計画、本当に死にかけた俺の苦労が全く解されなくなる計画なんだな」
「絶対安静なんて虚言を流した癖に、ぬけぬけと。自業自得だこの大嘘つきめ」
再び、怒りが再燃したのか睨まれる。
「バラッド、あのなあ……。てめえらがこっちに何の話も落とさねえもんだから、俺、夕街の案内カウンターを手配しちまったじゃねえか」
バラッドはムドウ部隊長の言葉に笑って頷いた。意識が戻り、その話をナイルから聞いた時には、「ベイデン、手際が良すぎる」と腹をかかえて笑ったのだ。
「いやー、まさか即日、夕街のベルトヴィナを拉致監禁がなされるとはなあ。意識が戻った時には、もうあれがカウンター席についちまってた。俺がいなきゃ、ベルトヴィナを本部カウンターに据えるのが唯一の解決策だったわけだし、適正な判断だったんじゃねえの」
「だからそれ、俺の判断で行なったら、全く意味がねえじゃねえか」
ごもっとも。
だがこの騒動の発端の男は、それぐらいの助力は合ってもいい、と踏んだのだ。どうせしばらくすれば、ベイデンも勘付く。勘付けば、表立って指揮をするような行動も控えるだろう。
ベイデン・ムドウは話さなくても、おのずと気付く。
こちらの意識をもぎ取る凶悪なブツを手渡した計画者は、そう判断を下した。
そうして、計画者は悪辣な方法で「グレースフロンティアの問題」を浮き彫りにしたのだ。
「もう今回はこれで十分、だろ」
円卓の向こうで、こちらの思惑にしっかりと気付いた男が苛立ったようにそう言った。自分の隊員達の疲労を考えれば、当然の苛立ちだ。
確かに、もう十分だった。それぞれの部隊の案内カウンターを本部のカウンターへも引きずり出せた。状況が日に日に悪化するのも見た。結論は得た。
「何が十分、ですって?」
凍てつくような女の声が、室内に投げられたのはその時だ。ムドウ部隊長は驚いたように目を見開いた。首を巡らし、入り口に立つ女をまじまじと眺めた。
女はその黒く縁取った切れ長の眼は、ムドウ部隊長を見つめ、そしてこちらを見つめて、更なる怒気をはらんだ。女の金の髪一本一本が逆立ちそうなくらいの怒気―――殺気である。
ムドウ部隊長がこちらへ振り返る。
その瞳には、奇妙な感動があった。
「おい、今、レナの気配、したか?」
ムドウ部隊長のそのノンキな言葉には、人を育てる師としての誇らしさがあった。
バラッドは笑った。
「いーや、入ってくるまでは全く気配がしなかったな」
……今や誰にでも分かるほどの殺気を背負っているわけだが。
殺気に鈍感なのか、この程度の殺気を気にしちゃいないのか、ムドウ部隊長はそのことに全く触れずに、入り口の女の成長をさも嬉しそうに褒め称えている。そういう場合じゃねえと、思うんだが、な。
「見事に気配が消せるなら、四番の隊員としても仕事ができそうじゃねえか、レナ?」
にやりと笑って、ムドウ部隊長はかつて自分の部隊を出た女にそう言った。
女の表情は硬い。こちらを見据えて、彼女は言った。
「悪いけど、降格するつもりがないからお断りするわ。私は、三番隊の、隊員だから」
「さーて、どうだか」
こちらの笑いを含んだ言葉に、昼街の部隊長の肩がびくり、と揺れた。
「何が言いたいのかしら。この多忙期に、仕事放棄で、遊んでいる、案内カウンターさん?」
斬り殺さんばかりの殺気が、心地よすぎてバラッドは笑った。
小娘は喧嘩を売りたい気分らしい。腰に手をあて、くい、と眉をあげるこの女特有の仕草をする。痛い目を見ると分かっていても、この女は立ち向かってくる。この性質、ムドウ部隊長ならば傭兵として好ましいと判断するだろう。自分なら―――ひねり潰したくて心が騒ぐ。
「別に遊んでたわけじゃあねえよ。お前らの部隊長が、アホみたいによく効く毒をこっちに寄こして、黙って事態を見てろと言った。だから表に出なかっただけの話だ」
室内の空気が重苦しくなる。
「……私の部隊長が、貴方にそう言ったの」
紅い唇が一瞬震えた。
女の白い肌から血の気が引いていた。
「本当に、グリム部隊長の指示で、貴方はカウンターに入らなかった、と?」
バラッドはレナの絶望を思い、哄笑した。周囲が聞けば耳障りに思うだろう笑い声。腹がよじれそうだ。円卓に突っ伏す。引きつるぐらい笑って、荒い呼吸を繰り返す。やがて円卓から顔をあげ、バラッドは晴れやかな笑顔を浮かべて、入り口に立つ女を見た。
「そうだ。俺抜きの本部がどうなるのか。昼街のお前だけで、どこまでやれるのか―――グリム部隊長はもう結論を得ただろうよ」
事実を言えば、あの仕掛け人が見たかったのは、昼街の動向だけではないだろう。隊員ひとりひとりが、部隊長のひとりひとりが、この状況でどんな行動をしたのか―――あの男が試したのは、グレースフロンティアの全体だ。
だがこの混沌に拍車をかけたのは、紛れもなくこの女の不必要なプライドが原因だった。
ムドウ部隊長が瞬時に出してきた唯一の解決策―――有能なる夕街の案内カウンターを、夕街隊員だからと追い返した。代わりが、夜街部隊の案内カウンター。バラッドですら、笑う気にもなれなかった。
夜街の案内カウンターを本部に据えて、いったい何がしたいんだ。客、撃ち殺したいのか。夜街の男へのご褒美か。どちらにしても明らかな采配ミス。
客専用の笑顔に毒が混じる。残忍に、晴れやかに、バラッドは笑った。
「グリム部隊長流の昇格試験、俺の予想としちゃあ、お前は完璧、落第点だな」
沈黙が落ちた。かすかに聞こえる女の浅い呼吸が、恐怖を意味している。
だが折れなかった。
女は唇を一瞬噛み締め、震えを止めた。
「……部隊長の降格は、昇格試験中に、その座を奪われた時だけよ。落第点であろうと、グリム部隊長には、私を降格することはできないわ」
まさにその通りだ。
―――部隊長になりたければ、その座にいる者を蹴り落とせ。
そうしてその座を「力」で奪った者だけが、部隊長に―――内部統括部隊である三番のグリムの隊員になり得るのだ。
「ま、お前の言い分は正しい」
バラッドは椅子の背もたれに、背を預けた。
「グリム部隊長には、お前を降格させて、新しい部隊長を指名することはできねえな」
玩具を取り上げられるのが嫌で、駄々をこねる子供に教えるくらいに穏やかな気持ちで、バラッドは続きを述べた。
「グリム部隊長には、お前を降格させることはできない。だがよ、よく考えてみろよ。あのヒト、お前を降格させる必要なんて、そもそもあるのか? ―――昇格試験前にお前の命が潰えたら、降格なんて面倒なことをしなくても、昼街部隊長の席は空席になる、って俺は思うがな」
再びの沈黙。
今度は浅い呼吸音すらしなかった。
「昇格試験前に、グリム部隊長が言葉そのものの意味で、お前の首を刎ねなきゃいい―――」
「昼街、情けねえツラしてんじゃねえ!」
野太い声がこちらの声を遮った。窓硝子が共振するほどの迫力のある声に、女の折れかけた精神と背筋が正される。
「白天祭はまだあと一日残ってる。明日の復路のパレードで、てめえがしっかり先頭を務めれば、グリム部隊長だって何も言わねえ。てめえはまだ昼街の部隊長で、三番部隊の隊員だろうが。しゃんと、してろ!」
喝を入れる言葉。
血の気の引いた女の顔に、色が戻る。
「言われなくとも―――私は、これからも、昼街の、部隊長よ」
ぎり、と奥歯を噛み締めて、レナは宣言した。
バラッドは変わらず笑みを浮かべたまま、女の様子を眺めた。
今まで、こうやって後進を育ててこなかった。だから、カウンターひとり不在な環境を作られただけで、グレースフロンティアの脆弱さが浮き彫りになってしまうのだ。
『結局、変わってねえんだろ』
耳の奥で、一連の仕掛けを施した男の嘲笑が蘇る。
『グレースフロンティアは、創立メンバーでしか動かせない』
どんなに組織が大きくなろうと。
どんなに街に根付こうと。
次代への引継ぎが全くできていない脆弱さを、指し示された。
グレースフロンティアの脆さがここにある。中枢メンバーが欠けたら、補えない。
兵はいる。だが将がいないのだ。
俺がグレースフロンティアを壊すなら、こう壊す。
内部統括の部隊長が、そう言っているような気さえしてくる。
……内部統括が、内部破壊をしてくる現状はどうか、とは思うが。だが間違ってない。グレースフロンティアの機能を停止したいならば、創立時の中枢を破壊すればいい。間違っていない。だからこそ、腹が立つ。
もう十分だった。
バラッドは、入り口に立つ昼街部隊長を見つめた。
この女が将として適正かと問われれば、否、だが―――
女のその瞳には、バラッドが気にいらなくとも、ないがしろにはできない強さがある。
「せいぜい気張れ」
バラッドは常と変わらず、口角を引き上げてそう言った。
「そもそも復路のパレードで先頭を歩きたきゃ、この決議でその座を射止めなきゃ始まらねえんだからよ」
通路から隠すつもりのない殺気が近づいてくる。
パレードの先頭は、グレースフロンティアの顔だ。
今まさに陥落しかけている昼街女王以外でも、箔をつけたいと座を狙う部隊長は多い。
バラッドは頬杖をつき、役者が揃うのを待つ。
さあ、もうすぐ―――決議の時だ。