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白天祭 ―歓声の往路 2―

 佐倉は完璧なその足から目をそらし、身体を反転させた。


 覗いてないよ! 痴女じゃないからね! と声高に叫びたかったが、事実扉を開けてしまったし、見たわけだし、しかも眺め舐めまわしたわけである。佐倉は弁解しようと叫びかけては息を吐き、再び叫びかけては息を吐き、最終的には諦めた。


「ご、ごめんなさい。覗きました……」

 蚊が鳴くような声が出た。痴漢を認めたみたいで、何とも情けない状況だ。でもさすがに謝罪だけで済ますわけにはいかない。それではただの変態である。男の浴室を覗くド変態である。

 事実は全然違うのだから、誤解の無いように弁明するべきだ。


 佐倉は、浴室の扉前に背を向けて立ちながら、懸命に言葉を探した。

「モントールがお風呂に行ってから、いろいろ考えてて」

 物の少ない部屋のこと、とか。

「なんだか、悶々としてきて」

 解決の糸口の見えない自分のこと、とか。

「そのうち心の中で……こう、居ても立ってもいられないような衝動がわき起こって」

 不安とか。

 焦燥感とか。

 モントールが、もうすぐいなくなるんじゃないか、とか。

 街から、だけでなく。

 外遊部隊として行った先、遥か遠くの地で冷たくなった身体に、土をかけられる日が来るんじゃないかって。

「もう、そう考えたら、どうにも出来なくて。思わず」

「飛び込んだ?」

 背後の浴室の中から、穏やかな美声が響く。

「そう! だから、決してその、わざと見ようというわけじゃ……」

「光栄だけど……俺、異性しかそういう対象には見てないんだ。ごめん」

「ううん、こっちこそごめ―――んん?」

 なんだろう。水音に混じって、妙なことを言われた気がする。


 そこで、佐倉は自分の言った言葉を、頭の中で反芻した。

『ご、ごめんなさい。覗きました。……モントールがお風呂に行ってから、いろいろ考えてて、なんだか、悶々としてきて、そのうち心の中で……こう、居ても立ってもいられないような衝動がわき起こって、もう、そう考えたら、どうにも出来なくて。思わず』


 その美尻、眺め舐めまわすように見てやろうと、浴室に飛び込みました、ふひひひひひってか。


 うわあ、何これ。

 見事な痴漢発言。どうしてこうなった。これでは痴漢をした人が、どうして痴漢をしたのかを説明しただけだ。おかしい。完全におかしい。自分としては覗きじゃないですって、弁明をしたかったはずなのに。


「どういうわけか勘違いされて、同性によく口説かれるんだが―――すまない」

 モントールはこちらを気遣うように言った。

 

 同性に口説かれる。異性しかそういう対象に見ていない。なんでモントールがそんなことを言い出したのか佐倉はようやく理解した。ササヅカ(♂)が、モントール(♂)の浴室に飛び込んできて「覗きです、うへへへへへ」と言ったら、言われた究極の美尻の持ち主はドン引きするに決まっている。

 むしろ覗かれた方が、「ごめん」とか言っている場合じゃない。怒るべきだろ。モントールよ、もっと怒るべきだ。浴室の中にいる魅惑の裸体の持ち主は、この気遣いとか、この穏やかさとか、この距離感で、同性を勘違いさせているのではなかろうか。……そもそも、『よく』口説かれてるの。そんなに『よく』口説かれてるの、モントール。

 いったいどこの誰に。

 思わず、鎧兜の野郎どもを想像した。うん。忘れよう。この想像は、忘れよう。


「いやいやいや、違うからね。覗きじゃないから。うん、自分も異性が好きだから! 大好きだから!!」

 佐倉は全力で宣言した。

 それを受けて、浴室内から安堵の声が漏れる。

「ああ、良かった―――それなら余計に悪かったな。妙なことを言ってしまった」

 伸びやかな笑い声。

「こっちこそごめん」

 佐倉は、浴室内で安堵する男に本気で謝った。こちらは異性が大好きと全力で宣言したばかりだ。だから本当ならば、この魅惑な裸体の持ち主は、安堵している場合ではない。

 浴室の笑い声と重なるように、水の音が止んだ。

 

 シャワーの水、止まった?

 

 背後の扉の持ち手部分が動く。

 扉が開く―――

 佐倉は即座に、背中で扉を抑えて閉め直した。

「い、いいいいい今出てきちゃダメ……!」

 今、出てこられたら、間違い無く真っ裸を拝むことになる。

「ササヅカ……?」

 浴室に閉じ込められる形になった魅惑の裸体の持ち主は、困惑したようにこちらの名前を呼んだ。

「これでは外に出られないんだが」

「ちょっと待って。今からここ出て行くから、それまで待って……!」

 佐倉は扉を抑えつけたまま、そう言った。

「なんだ。裸を見るのが恥ずかしい?」

 くすりと笑う声。

「同性が好きってわけじゃあないなら、どうってことないだろ」

 佐倉は口を開けた。思わず飛び出しそうになった言葉を飲み込んだ。

 ―――異性が好きだからこそ、どうってことあります。

 だから、必死で扉を抑えた。

「とにかく出てきちゃダメだから!」


 こちらの叫び声に、背後から聞こえていた温かな笑い声が、突然、途切れた。

「―――そういえばここに飛び込んできた時も、ダメって言っていたな」

 考え込むような、呟きだった。

「違うな。嫌、と言ったんだ―――行っちゃ嫌だ、と」

 扉一枚隔てて、モントールの声が響く。その言葉の子供っぽさに、佐倉は顔面の体温が上がるのを感じた。脳裏に仕事に行こうとする兄に向かって、小さな子供が「行っちゃ嫌だ」と泣く姿が思い浮かんだ。まさにそんな心境だった。

 モントールはこの見知らぬ大地でほぼ初めて会った人で、ずっと今まで気にかけてくれて、見守ってきてくれた人だった。もうすぐ外遊部隊に戻るのであろうモントール。その存在を失ったらと、小さな子供のように「行っちゃ嫌だ」と叫んだわけである。どんだけガキ。


 忘れて、と口を開きかけた佐倉より先に、モントールの声が静かに響いた。

「……そうか。気付かれてしまったな」

 扉が開かないように全身に力を入れていたはずなのに。

 モントールのその一言で、力が抜けた。

 

 やっぱり、モントールは。


「いつ、行くの」

 自分でも驚くくらい、小さな声。

「戻るのは昇格試験の頃だ」

 扉一枚隔てた向こうの声は穏やかだった。

 祭が終わったら、すぐに昇格試験は始まってしまう。

「あと数日ってこと?」

「だから、今日はどうしてもササヅカと祭を楽しみたくて。ムドウ部隊長に無理を言ってしまった」


 行っちゃ嫌だ。

 その言葉が、口から出掛かっていた。モントールは外遊部隊員だ。街の人じゃない。街の外にいるのが仕事だ。分かっている。分かっているのに、言葉が溢れそうになる。


「ああ、通りはもう騎士団のパレードの時間だろう? 歓声が凄いな。今年も大盛況だ」

 モントールの朗らかな笑い声。

 佐倉の耳にも歓声は届いていた。祭の一日目は、往路と呼ばれる王城騎士団のパレードだ。昼街のメイン通りからも見える丘陵上の白壁の城から、昼街の外門まで、王城騎士団が行進するのだ。一糸乱れぬその行進の足音と軍楽隊の演奏を背中で聞きながら、歓声で耳がバカになった状態で、興奮しすぎて通りに飛び出すアホ共を懸命に食い止める、なんともクソ素晴らしいパレードだと、最近お肌が土気色の先輩が言っていた。


 だが、どんどん近づいてくる士気を高揚させる音楽も、晴れやかな歓声も、今の佐倉にはどうでも良かった。

「王城騎士団には元グレースフロンティアの人間もいるんだ。朝街、昼街、夕街の最大手ギルドに所属していれば、平民であれ王城騎士団の登用試験を受けることができる。グレースフロンティアは昼街ギルドの最大手だから、王城騎士団に入団したくてうちのギルドに入ってくる奴も多い―――結局うちが居心地が良くなって、当初の目標だった登用試験を蹴る奴も少なくないけれど」

「モントールは?」

「うん?」

「モントールは、昇格試験とか王城騎士団の登用試験、受けないの?」


 一瞬の沈黙。


 佐倉は、扉に背を向けたまま、必死で言い募った。

「もし、今回の昇格試験をモントールが受けるなら、きっとどこだって受かっちゃうんじゃないかな。そうしたら……そうしたら、きっと」 

「ササヅカ。その先は飲み込め」

 扉一枚隔てた向こうは、変わらず穏やかな声でそう告げた。声を荒立てることも無かった。だから、佐倉は自然に言葉を飲み込んだ。―――そうしたら、きっと、これからもこの街で一緒にいられるのに。


 扉の向こうから、いつもと変わらぬ声がする。

「俺は外遊部隊員になって長い。その間に多くの想いを託された―――街に定住してしまっては、託された想いを叶えてやることができないんだ」

 困ったように。でも決して揺るがない信念を感じた。

 佐倉には、その信念が怖かった。

 モントールもいつか誰かに想いを託す時がくるのだろうか。

 

 それは、この男が息を引き取る間際だろうか。


 佐倉は固く目を閉じた。

「……外遊に行く」

 ほとんど無意識に呟く。

「自分も、外遊に行く!」

 何かしたかった。何かできるのであれば、とにかく何かしていたい。

 だが、扉一枚隔てた男は、困ったように笑った。

「ササヅカには無理、かな」

「なんで!?」

 振り返る。扉に鋭く問いただす。

「こっちだって、グレースフロンティアの新兵部隊員だよ。確かに、外遊部隊に入るにはこれから何年もかかることかもしれないけれど……!」

「うん。でもきっと無理だ」

「だからどうして……!」

「外遊部隊は表向きには、周辺地域の警護が仕事だ。でも実際はそうじゃない。人形を壊すことを目的として作られた部隊だ。ササヅカには、人形を壊すことはできないだろう?」

 さらりと言われて、返す言葉も無かった。

「もし今、紅のあの人形が現れたら、ササヅカはちゃんと壊せるか?」


 紅の色を纏う女が脳裏に蘇る。

 ベッドに頭を乗っけた姿も、馬の上にアクロバティック乗車した姿も鮮明に思い出せた。

 皮肉気な笑みを浮かべる左右均等の整った顔。紅く輝く珍しい瞳。失われた片腕。

 ―――ハルト。

 今、いったいどこで何をしているんだろう。

 すぐさま浮かんだのは、自分の時のようにヘマやらかして、またひとりで捕まったりしてなきゃいい、ということだった。こんなことを考えてしまっては、『ちゃんと』壊すなんてできるわけもない。



「モントールは」

 佐倉は扉を見上げ、その先にいるはずの男に訊ねた。

「ハルトを殺すの?」

 答えは分かっていた。それなのに、訊かずにはいられなかった。


「そうだな、人形は壊すよ」

 やはり思っていた通り、穏やかに肯定された。

 通りの歓声が、壁一枚隔てた先の男の決断を祝福しているように佐倉には聞こえた。

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