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白天祭 ―歓声の往路 1―


 都心の高級デザイナーズマンションのモデルルーム。


 鎧兜の男に案内されたのは、そんな感じの部屋だった。佐倉が借りている部屋の五、六倍の広さがありそうだ。うちっぱなしのコンクリートに似た石壁と真っ白な床。黒を基調としたインテリアの数々と、壁からにょっきり出た鹿の頭。


「……鹿の頭きたこれ」


 金持ち貴族の壁の、必須アイテムといったらこれだ。都心の高級デザイナーズマンション風の部屋と剥製の鹿の頭部の邂逅はある意味、相当、斬新な気がした。

 その部屋の持ち主は、さらに斬新な格好―――甘い蜜まみれの鎧兜姿で、室内を闊歩している。いや、部屋の主なのだから、部屋をうろつくのは当たり前なのだが、なんだか二重、三重に裏切られた感のある光景だ。こんなに『都会の仕事ができる大人の男の洗練された部屋』という感じなのに、要所要所で妙なモノが目に飛び込んでくるのだ。鹿の頭、しかり。鎧兜の男、しかりだ。


「ササヅカ、先、浴びるか?」

 鹿のつぶらな瞳を見上げていると、背中にそう声がかかった。振り返れば、蜜まみれの鎧兜の男がタオル片手に立っていた。

「先に、って?」

「シャワー。天蜘蛛で少し汚れてしまっただろう?」

 佐倉は首を横に振った。こちらはほぼ汚れていない。

 ほぼ汚れている鎧兜の人を優先すべきだろう。こっちが悠長にシャワーを浴び始めたら、この人は蜜まみれの姿で待つことになる。いったい何のバツゲームを執行されている人なのか。

「大丈夫。タオルでいいよ」

 佐倉はそう言って、モントールを浴室へ促す。しかしこの後、三回、同じ言葉を繰り返す破目に陥った。モントールがこちらを放置して浴室にこもることをよく思わなかったのだ。もともと甲斐甲斐しく世話を焼きたがる人なのだ。部屋の主は、客人放置をおおいに渋った。


 結局、佐倉が痺れを切らした。そのべたべたの高価な鎧兜で、この高級感溢れる室内をうろつかれて、落ち着いていられるはずが無い。ワタアメカップを硝子テーブルに投げ置いて、鎧兜の男の背中を押して浴室へ連行することとなった。

  

「ちゃんと待ってられるから。安心して、のんびり寛いで入って」

 佐倉はモントールを浴室に押しやりながら、そう宣言した。

「なんなら誓約書でも書く? 私、ササヅカ新兵部隊員は、モントール外遊部隊員が入浴中に、扉を開けたり、押し入ったり、覗いたりは決してしません、とか」

 モントールが笑った。

「いや、覗かれると思ってはいないけれど、ただ申し訳ない。何も無い部屋だから、待っている間に退屈する」

「バルコニーから人でも眺めてるから大丈夫」

 そう。このお部屋、鹿の頭でも十分楽しめそうなのに、バルコニーなんて特典もついている。モントールを鎧兜のまま浴室に押し込んで、佐倉は部屋へと戻った。そのままバルコニーへと足を向ける。手すりから身を乗り出して見下ろせば、大通りは人で溢れていた。


 見下ろす通りは、昼街のメイン通りである。

 モントールの部屋の下は高級ブティックが店を構えている。モントール曰く「知人が経営しているから、上を安く借りられた」そうだが、昼街の大通りに安く住めるはずが無い。そもそも、昼街自体にアパート数が少ないのだ。たいていの人が夕街に住んでおり、仕事の為に昼街へ通う生活をしている。グレースフロンティアの借り上げアパートがなければ、佐倉もまた夕街から昼街まで通っていたことだろう。昼街でグレースフロンティアの援助金無しでアパートを借りるのは、新兵部隊員のお給料では絶対無理だ。ましてやメイン通りに面した所に住むなんて、夢のまた夢、といった所だろう。


 夢のまた夢の部屋が、今、自分の眼前に広がっている。


 佐倉はバルコニーにもたれかかり、広すぎる室内を見つめた。

 バルコニーから見ても、室内の様子は完璧だった。コンクリートうちっぱなしのデザイン性の高い壁と、それを引き立たせるモノトーンの丸と直線模様の絵画が見えた。お洒落。文句なしにお洒落だ。そして完璧で一切の乱れが無い。そう。乱れていないのだ。

 そのことに気が付いて、佐倉は身を乗り出した。


 部屋に通された時から、なんとも言いがたい既視感を味わっていた。

 勿論、こんな高級そうな部屋に住んだことがあるわけではない。


 部屋が完璧すぎる。

 最初に抱いた印象のように、ここはまるで、まだ入居者のいないモデルルームのような完璧さがあった。生活感が微塵もないのだ。即ち、モントールらしさも無かった。佐倉が想像するモントールの部屋は、こんなイメージではない。黒い家具もコンクリートうちっぱなしの壁も白い床も、無機質で硬質だ。モントールならもっと柔らかくて温かい色彩の部屋に住んでいる気がした。この部屋は、階下のブティックの延長に見える。おそらく家具の全てが備え付け。

 モントールが選んだものは、ここには一つも無いかもしれない。


 この部屋のような場所を、佐倉はもう一つ知っている。

 佐倉の知っているもう一つの部屋は、こんな高級そうな部屋ではない。新しい住居者を迎えて一ヶ月と少しが経過するその部屋は、この部屋同様、最初にあった備え付けの物以外で、増えた物がほとんど無かった。


 生活感の無さで言えば、この高級な部屋に勝るとも劣らない部屋だ。

 佐倉はその小さなアパートに、どうして物が増えないのか、よく知っている。住んでいる人間は恐れているのだ。物を増やすことで、ずっと『ここ』で暮らしていくのだと認めたことになるような気がして―――


 佐倉は、無意識に深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 晴れ渡る青い空と、外の賑やかさにおかげで、喚きたくなるようなパニックを起こさずに済んだ。

 深呼吸で常に心の奥底にある感情を落ち着かせる。この問題に関して、泣いたり喚いたりしても何も変わらないことは、もうこの一ヶ月で幾度となく証明済みだ。泣いても喚いても、意味はない。それならじめじめと鼻垂れながら泣きべそをかくのは狭いアパートに帰ってからすればいい。何も、祭という晴れやかな日に、人様のアパートですることではない。


 佐倉は無理やり、意識を広い部屋へと向けた。

 小さなアパートの住人が、物を増やさないのは、『ここ』で暮らす覚悟が決まらないからだ。

 大きなアパートの住人が、物を増やさないのは、『ここ』で暮らし続けるつもりがないからだ。


 外遊部隊員は本来、街にはいない隊員だ。

 モントールは療養で街にいる。でも療養4日目で、こちらに付き合って六時間近く走った超人だ。さらに云えば、療養一ヶ月過ぎた頃には、元気に他人の家を焼き払っているような超人なのだ。


 そんな超人に、これ以上の療養が必要か。


 佐倉の指が無意識に震え出す。答えは、出ていた。もうずっと前から薄々勘付いていたのだ。モントールが肋骨を気遣うような仕草をしなくなったのはいつのことだったか。医務棟側から出てくる姿を見なくなったのは、いつのことだったか。

 


 ―――モントールの療養期間が終わる。



 きっとこの部屋の住人は、外遊部隊へ戻る。

 しかもそれは、近日中に起こる。そうでなければ、こんなに本部が混沌としているこのタイミングで、ムドウ部隊長が佐倉の休日をねじこむわけがない。そしてモントールだって、こんなに忙しい時期に時間をくれ、とムドウ部隊長に申し出たりはしなかったはずだ。

 突然、土の香りを嗅いだ気がした。指が震えているのを、佐倉は見下ろした。あの日の記憶が蘇る。紅い人形が去ったあの日の記憶。去る前に彼女の仲間は、多くの人命を奪っていった。


 無神経と罵られるかもしれないが、あの時、佐倉は知り合いに土をかけられることがなくて、安堵の涙を流した。

 でもこれからは?

 モントールが、外遊部隊に戻ったら―――?


 佐倉は居ても立ってもいられなくなって、部屋の中に飛び込んだ。怖かった。ただもう怖かった。―――鎧兜の骸に、土がかけられる時が来るかもしれない。佐倉は無我夢中で扉を開けた。

「モントール、行っちゃ嫌だ……!!」

 湿度の高い室内から、湯けむりが逃げ出そうと佐倉の顔にまとわりついた。


 頭上高くから湯を浴びていたのか、温かな雨が降り注いでいた。

 佐倉はタイルの上で波紋を広げる水の動きを凝視した。水はそのまま排水溝へ流れていく。うん。水は、排水溝へ流れている。その排水溝の前には、立派な踵とか引き締まった足首とか完璧な膝裏とか涎が出そうな太腿とか尻とか腰とか背中とか、ええ、断じて、見ていません。排水溝に水が流れていく様を見ただけです。

 

 うん。決して、その完璧な筋肉美を見たわけではないし、完璧な尻を眺め舐めまわしたわけでは―――

 私は、排水溝を、見ただけ、です。

 佐倉は笑顔を浮かべて、静かに、静かに、浴室の扉を閉めた。


 それまで微動だにしなかった男が、ゆっくりと振り返った。分かったのは、浴室の洒落た戸のおかげだ。佐倉が閉めたこの扉、下四分の一が透明硝子でそれより上は、上に行くほど濃いグラデーションのかかった濃紺色の擦り硝子だった。

 透明硝子から見える足のつま先がこちらを向く。

 佐倉は、モントールの足の先を見つめた。

 足先まで完璧な美しさである。爪の形まで文句なしだ。足のモデルでテレビ広告に出たら、靴でも靴下でも水虫の薬でもストッキングでも何でもバカ売れしそうである。


「……ササヅカ、今、扉、開けただろ」

 水音と一緒に、モントールの困ったような声が扉の向こうから聞こえてきた。

 佐倉は魅惑の足から視線をはねあげて、慌てて横を向いた。

「あ、開けてない開けてない」

 咄嗟に嘘をついた。なんせ、先ほどモントールを浴室に追いやる際に、扉を開けたり、押し入ったり、覗いたりは決してしないから、安心して入浴してくださいと宣言したばかりだった。舌の根も乾かぬうちに浴室に襲撃をかますとか。そもそもどうして飛び込んだか自分。

 居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。佐倉は自分の行動を反芻した。行動を反芻したら、浴室に立つ男の芸術的な筋肉で、脳内が埋め尽くされたけど。いや、飛び込む前は、そうじゃない。モントールがいなくなると思ったら、居ても立ってもいられなくなってそれで。

 それで、風呂に入っている男を襲撃するとか、普通、しないだろ。

 佐倉は先ほどあびた湯けむりを、再びあびたように、顔が熱くなるのを感じた。


「い、いや、開けてない。は、排水溝。そう、排水溝の詰まりがないか、眺めた、だけ!」

 

 モントールがしばらくの沈黙の後、吹き出した。

 兜に覆われていない明瞭な美声が浴室に低く響く。

「そうか。つまりササヅカは、排水溝を確認する為に、扉を開けたってことだな」


 ……自分、アホだな。

 佐倉は真剣に、そう思った。

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