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白天祭 ―天蜘蛛の糸 3―

 モントールが天幕の布を持ち上げ、佐倉は中を覗き込んだ。


 天幕の上部は梁だけだ。陽光を存分に取り入れた内部は、隅々まで見渡せた。梁から天幕の中心に、球体の蜂の巣のようなものが吊り下げられている。

 天幕内には坊主頭の男が立っていた。モップ片手に立つ男は、吊るされたその蜂の巣に向かって、ぶつぶつと何か呟いている。

「てめえら、人間サマに逆らうたぁいい度胸じゃねえか。ちゃんと飯もやってんだからきっちり働き―――ぉぶぁ!」


 坊主頭の男は、慌てたように自分の顔を拭う仕草をした。顔を庇うように振り返った男の顔面は、白い糸が張り付いている。背後に人がいることに、そこで気が付いたらしい。坊主男は慌てたように頭を下げかけ、鎧兜の男を見るや中腰で固まった。白い糸を顔面に貼り付けた状態で震えだす。


「ぉぶぁぁぁぁ……」

「おい、旦那は今日は客人だ。焼きに来たわけじゃあねえっつーから、天蜘蛛、動かしてくれ」

 佐倉の背後から、外にいた露店商ののったりとした声が飛ぶ。

「毎日どこかを焼き払っているわけではないんだけどね―――ササヅカ、はい、これとこれ」

 鎧兜の男は呆れたように言いながら、こちらに大きめの紙コップと白い布を差し出した。佐倉は受け取って、はて、と首を傾げた。今、渡された物のひとつの用途は分かる。紙コップはふわふわしていて甘い例のアレを入れる為の容器だ。

 ではもうひとつは……? 

 紙コップを脇に抱え、手渡されたもうひとつ―――白い布を広げる。折りたたまれていた白い布は、広げてみればフードつきの薄地のコートと判明した。……なんでここで薄地のコート?

「モントール、あの……」

 訊ねようと横を向けば、もう一着の白い布を鎧兜の男が広げるところだった。広げて見れば、すぐに分かる。鎧兜の男と露店商が一瞬、閉口する。広げたコートは明らかにモントールの体格には合っていなかった。


「……あちゃあ、旦那ぁ、それ一番大きいサイズなんですよねえ」

「……これだと間違いなく服の袖に腕が通らない」

「フードに頭も入らんでしょう。そもそも首元の釦、とまらないんじゃあないですか」

「大きな布でもいいんだが、何か別の物は」

「うーん……丈の長さは足りないですけど、鎧兜を脱いでもらえりゃそのサイズで事足りると―――」

 そこで露店商と鎧兜の男は沈黙した。

 露店商が首を振る。

「―――です、よねえ。布ねえ。どこかにそんな大きなサイズの布があったかな」

 露店商が思案するように周囲を見渡すのと、中の坊主男が「それじゃ、天蜘蛛動かしますよ」と声をかけるのがほぼ同時だった。坊主男はモップの柄で、梁から吊るされた蜂の巣のような球体を、軽く叩いた。

 露店商が天幕の中を覗き込む。

「いや-、ちょいと待て。旦那に合う布を探すから」

「ええ?」

 露店商の制止に、坊主男がモップの柄で叩く動作を止めた。

 蜂の巣の様子を眺め、首を振る。坊主男は入り口に小走りで駆けて来た。

「ダメダメ、もう動かしちまいました。待てと言われて、天蜘蛛がとまるわけもねえや」

 


 その時だ。蜂の巣からふわりと白い綿のような塊が漂い出た。佐倉は呆気に取られて、凝視した。間違いなく、蜂の巣のような球体から出て来ている。白い綿は球体を中心に広がり始め、空中をゆっくりと漂っている。そう、床へと落下せずに、ふわふわと漂っているのだ。

 天幕の中を漂っているのは、白い綿だけではなくて―――

「ああ、出てきちまった。旦那ぁ、こうなったらもうどうにもならないです。覚悟して浴びてください」

 露店商の言葉をぼんやりと聞きながら、佐倉はふわふわと漂う白い綿に手を伸ばした。いや、正しくは綿に、ではない。その小さな雲を運ぶ、小さな小さな生き物に、だ。伸ばした指は空を切った。するりと指を避けた小さな生き物は、くすくすと笑いながら天幕の奥へと泳いでいった。


 それは、人差し指ほどの小さな小さな『ヒト』だった。天幕を漂うどの『ヒト』も、翠の瞳で佐倉を流し見ては、華やかな笑い声を響かせて泳いでいく。白い綿をショールのように羽織って漂った後は、水の中にいるように足をくねらせ上昇する。ベリーショートの銀の髪に黄金色の肌。天幕内を踊るように泳ぐ小さな『ヒト』達は、まさに。


「どえろい……」

 形の良い胸を覆うのは面積の少ない布地のみだ。黄金色の蠱惑的なくびれの腰には布が巻かれている。腰骨下の際どいラインぎりぎりで巻かれた布は、腰の脇で結ぶ形だ。したがって結んでいるほうの脚は惜しげもなく曝される。

 人差し指ほどの大きさしかなくとも、色香沸き立つ『姐御』達だった。

「な、なるほどー!」

 佐倉は天幕の中の様子に、興奮して叫んだ。思わず隣の男の鎧をべちべちと叩く。

「わたあめってこうやって作られるんだ……!」

 なるほど、なるほど、屋台のわたあめっていうのは、こうやって不思議な妖精さんが作ってくれるというわけだ。いやー知らなかった。屋台のわたあめの製造方法。なるほど、こうなってるわけね! なるほどね! うん、なるほどじゃねえええええええ。

「いやいやいやいや……」

 そんなメルヘンなわたあめ、あってたまるか。


 飛び回る未知なる生物(しかも皆ドエロイ姐御)に魅せられて、佐倉は無意識に足を進めた。その肩をモントールが引き止める。

「ササヅカ、まずは着てから」

 言われるがまま佐倉は白いコートに袖を通した。しかし視線は天幕の中に奪われたままだ。手早く前釦をとめると、すぐさま天幕の中へと踏み出した。

「あ、こら、フードもちゃんと被って」

 慌てたような鎧兜の男の声が背後からした。佐倉の手がフードを引っ張りあげて頭にかけるより先に、鋼の指がフードを被せてくれた。

 その間も小さな小さな未知なる生物は、佐倉を誘うように流し見ては気持ち良さそうに泳いでいく。


「カップ、出してごらん」

 モントールの穏やかな声に促されて、佐倉はカップを持ち上げた。すると、漂い泳ぐ小さな姐御のひとりが、両足をイルカのようにくねらせて上昇する。そしてショールのように羽織っていた白い綿の両端を掴むと、ふわり、ふわり、と下降を始める。


 空気を含んで広がる白い綿をパラシュートのように扱って、小さな姐御はゆっくりとカップの中へと着地した。とすん、と手に軽い重みを感じる。カップ内に入った生物が少し慌てたような鳴き声をあげた。パラシュートにした白い綿が、カップを覆ってしまったからだ。佐倉がそっと綿を指で摘まむ。小さな姐御がぴょっこりと顔を出した。ほら成功したでしょ。というような満足気な顔が、やたらと。


「どえろかわいい……」


 なんだろう。これ、なんだろう。おうちにひとりお持ち帰りしたいぐらい可愛い。どうやって養えばいいのかさっぱり見当もつかないけれど。そもそもにこの小さな姐御、いったい何者なのか。

 佐倉は小さな姐御から目を離せないまま、モントールに訊ねた。

「天蜘蛛ってふわふわで甘いんだよね?」

「うん。かなり甘い」

「えっと、このカップに入ったお姐さんを、舐め回すってわけじゃない、よね?」

 モントールが吹き出したのが分かった。

「いや、天蜘蛛の糸は、フィフィが持ってきた綿のほうだ」

 つまり今、佐倉が指で摘まんでいるのが天蜘蛛の糸だ。これに関してはわたあめにしか見えなかった。良かった。カップの中のお姐さんをしゃぶって舐め回して甘さを感じろって言われたら、それはゲテモノすぎる。

「このお姐さん、フィフィって言うの?」

「そう。自然のフィフィは風の中にいる。とても目が良くて、道を教えてくれたりくれなかったり、はぐれた仲間の場所を教えてくれたりくれなかったり、大半、間違った情報をくれたりする」

「……つまり役には立たないってこと?」

「フィフィはイタズラ好きで、基本的には人間を下等生物と思っているからね」

 カップのお姐さんが、カップの縁で頬杖をつき、やたらといい笑顔を浮かべてくれた。その美しい笑顔が「え、騙して当然でしょ」と言っているように見えた。小さくても侮るべからず。

「そのフィフィが大好きなのが、天蜘蛛の糸。天蜘蛛という昆虫が、ああやって巣を作る」

 鋼の指が天幕の中心に吊るされた蜂の巣上の球体を指し示す。

「その時にできる糸が、フィフィの大好物なんだ。この糸目当てにフィフィ達は天蜘蛛狩りをして、巣を占領しそこを居住地にするわけだ」

 必死で巣を作った天蜘蛛、哀れすぎる。

 そしてフィフィお姐さん、マジ怖い。


 カップのフィフィお姐さんは自分の爪を舐めていた。佐倉が摘まんで持ち上げている白い綿を名残惜しそうに眺めている。そりゃそうだ。あまりの大好物すぎて他生物のおうちを荒らして占領するほどなのだ。これを食べたら、カップのフィフィお姐さんに悪い。いや、むしろフィフィお姐さんに恨まれそうで、食べようという気も起こらなかった。


 佐倉は白い綿をカップのお姐さんに返上した。カップのフィフィは佐倉の指から天蜘蛛の糸を受け取った。そしてその翠の瞳で佐倉を見つめる。姿勢を正し、やがて少し前に身を乗り出し、その後ゆっくりとその身体を持ち上げた。ドルフィンキックでふわりと上昇し、佐倉の眼前へとやって来る。

 カップにいたフィフィがこちらの顔に近づいてくる。ちょっと怖かった。得体の知れない人差し指ほどの大きさの生物が、自分の顔面に近づいてくるのだ。佐倉は一歩、身を引きかけた。だがそれより早く、フィフィが佐倉の唇に白い綿を押し付けていた。


 ……返したはずの天蜘蛛の糸を、今、唇に押し付けられている。

 それは、食べろという意味だろうか。寄り目になりそうな距離で、小さな姐御はその小さな小さな手でこちらの口を叩いた。あ・け・ろ。そう言われている気がして、おずおずと口を開けば、白い綿を押し込まれた。た、食べさせ方がアグレッシブすぎる。人の口に腕つっこんできたんだけどこの姐さん……!


 佐倉は戸惑いながらも、天蜘蛛の糸を口に含んだ。これを作ったのが天蜘蛛という昆虫であるという情報や、おそらく健気に頑張った巣を奪われた結果、自分の口の中に白い綿があることは、極力考えないよう努力した。

 すると、舌に白い綿の甘さが伝わってきた。完全に記憶の甘さと合致した。その味覚、完全にわたあめだった。懐かしい味。うん。間違いなくわたあめだ。嬉しくて頬がにやけた。

 ふわり、とフィフィが上昇し、佐倉の鼻頭を小さな小さな手の平で優しく撫でた。

 にっこり微笑むエロ可愛いその顔は、まるで「よく出来ました」とほめているかのよう―――あれ、なんか、この小さな生物に餌付けされているような気が……。いやいや、どうしてこっちが餌付けされる側なのか。戸惑っている間に、カップには別のフィフィが投げ入れた白い綿が山盛りになっていた。その間も最初にカップに飛び込んだフィフィを含め何人かが佐倉の周囲を飛び回り、白い綿を口に運んでくる。佐倉は口を動かしながらも、困惑して隣の男に助けを求めた。


「な、なんか物凄く好かれている気がする」

「だな。こんなにフィフィが近寄って来ることなんて早々あるもんじゃない」

「可愛いけど、目のやり場に困る、よね」

 扇情的な格好のお姐さん方が「はい、あーん」をしてくれるのだ。サイズはともかくとして、こんなどエロ可愛いお姐さんに囲まれての「あーん」は、男の夢のシチュエーションかもしれない。うん、男じゃないことが悔やまれる。


「確かに、可愛い」

 隣の鎧兜の男がそう言った。なるほど、モントールにとってもエロ可愛いお姐さんに囲まれての「あーん」は夢のシチュエーションということだろうか。でも少し意外でもあった。こういうことに無頓着そうな鎧兜の兄さんからの「可愛い」発言だったからだ。佐倉は面白くなって隣の鎧兜の男を見上げ―――ようとした時、カップに山盛りになった白い綿を、鋼の指が摘まみ上げた。


 鋼の指がフィフィ達と同じように、白い綿を佐倉の唇へと持ってくる。

 あれ、「あーん」して欲しいんじゃなくて。

 兄さんや、それじゃ「あーん」する側……?


「え、そっちで―――」

 いいの、と言葉を紡ごうと唇が緩んだ瞬間、鋼の指が口をこじ開けた。最初のフィフィのようにわたあめを口に押し込んだ形だ。でもよく考えて欲しい。その鋼の指はフィフィの腕よりはるかに太い。佐倉は驚いて口を閉じようとし、鋼の指を噛んだ。もちろん歯のほうが痛かった。慌てて、鋼の手首を掴む。


「ちょ、いったい何を―――っぁ!」

 叫ぼうとした佐倉の唇を、濡れた鋼の指が優しくなぞる。

 押し込まれたわたあめ同様、唇もなんだか甘くなった気がして、むずむずした。顔が火照る。なななななんだろう。な、なんか恥ずかしい気分になってきた。なんで今「あーん」されたかさっぱり不明だが、うわ、うわ、これは恥ずかしい。いやそもそもだ。「あーん」の後に、普通、その濡れた指で唇をなぞり撫でますか。何その行為。これはめちゃくちゃ恥ずかしい。

 こういうことを後輩隊員に対して、さらりとやってくる外国人のノリ、恐るべし。 

 佐倉は鎧兜の男が直視できず、鋼の手首を掴んだまま、俯いた。フード被っていて良かった。きっと今、全身、耳の先まで紅いに違いない。


 そうして佐倉は俯いて、ぐるぐると頭の中で考えを巡らせた。

 だから気付かなかったのだ。

 その指もまた、紅く染まっていたことに。


 鎧兜の男の視線が、鋼の手首を掴む―――その紅く染まった指に、集中していたことに。 


「ああ、なるほど」

 モントールが、少し考えるように呟いた。

「うーん、確かにこれは、目のやり場にも困る、かな」

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