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白天祭 ―天蜘蛛の糸 2―

 佐倉とモントールは、露店前で歩みを止めた。

 頭に紺地の布を巻き、背を向けて立っていた男が、気配を察知したのかのんびりと振り返った。


「いらっしゃいやせーぃ、今日は祭だー晴れの日だーこんな日にゃぁー甘い天蜘もぅうわあ旦那ぁぁ?」


 やる気の見られない間延びした客引き文句は、鎧兜を認識するやいなや、素っ頓狂な悲鳴に変化した。露店商はあきらかに佐倉の横の鎧兜の男を見て、凝固している。


「モントール」

 佐倉は困惑して、掴んでいる鎧の後ろを引っ張った。

「この人と、何かあったの?」

 この隣の男は、こんなふうに叫ばれるようなことをする人では、断じて無いはずだ。

「まあ、何かはあったかな」

 鎧兜の『旦那』は、穏やかに肯定した。

「でも、大丈夫。その件は、ほぼ、解決済みだから」

 モントールはこちらを安心させるようにそう言うと、露店の中を覗きこんだ。

「繁盛している?」

 その穏やかな言葉に、露店商はこっくりと頷いた。

「そりゃーもう、昼街の祭サマサマっつーもんで」

 吸っていたのであろう煙草をテーブルに押し付けてもみ消すと、露店商は間延びした口調でそう言った。


「天蜘蛛とはまた凝ったものを持ってきたなあ」

「天幕と仕掛けの拝借にだいぶ奔走しましたけどねえ。なんとか当日には間に合ったんで」

「へえ、滋養強壮の飲料販売は、祭では控えたってわけか」

 露店商が、ゆっくりと笑顔を浮かべた。

「旦那ぁ勘弁してくださいよ。その件は解決済みだって、今、旦那が言ったばかりじゃあねえですか。あれで懲りて、ここ数日もう一切、あの手のことには関わっちゃあいねえんです。旦那たちが乗りこんできたあの日あの瞬間で、俺の人生とあの商売は一度店仕舞いつーもんで。まあ、まぁだ一週間も経ってねえ口で言うことじゃあねえかもしれませんが、今じゃ、品行方正、ここらで一番真っ当な商売してますよ」

「へえ、品行方正、真っ当ねえ」

 モントールは兜を巡らせ、こちらを見た。


「ササヅカにはこの露店商、どう見える?」

 佐倉は露店商に顔を向けた。普通のどこにでもいる露店のおっちゃんに見えた。紺地のタオルを頭に巻いた男の言葉を参考にすると、この人はどうやら最近、何か違法な事業に手を出して、グレースフロンティアに目をつけられた人らしい。

「どう見えるって……」

 佐倉はモントールに顔を向け直した。

「一度、人生で間違えちゃったけど、ヤキいれられて更生したオジサン……?」

 露天商はこちらの無礼な言い分に怒ることもなく、朗らかに笑って頷いた。

「そいつぁ間違っちゃいねえや。確かに、ヤキっつーもんを入れられた。それも言葉の意味通り、実際に焼き、入れちまうんだもの。旦那が商品も道具も家屋も一切合切、燃やしていったもんだから、俺らも強制的に再出発を余儀なくされちまってなあ」


 ヤキ入れ、いや、焼き入れをした張本人は、至極穏やかに事の顛末を説明してくれた。

「最近、媚薬入りの飲料物が、届出無しで製造販売されていたことがあってな。それの首謀者がそこの男だ。依頼主の要望は、事件を無かったことにしろ、とのことだったんだが―――事件を無かったことにって、どの範囲までを示しているか不明だろう?」

 鋼の指が、露店商を指し示す。

「これも無かったことにするのか、依頼主に問い合わせたかったんだが、運悪く依頼主の長期不在と重なってしまって。とりあえず製造元と販売ルートを無かったことにして、あとは出回っている違法物の回収を細々している所なんだ」

 鋼の指が、もう一度同じ方向を指し示す。

「これに関しては、依頼主が帰ってくるまで保留、ということになっている」

 その言葉で、露店商の顔に驚きが浮かんだ。

「ぇえー? この件は解決って旦那、言ったじゃないですか」

「保留していること以外は、ほぼ、解決しているだろう?」

「うわあとんでもねえな、さすがは天下のグレースフロンティア。人が生きるか死ぬかの瀬戸際だってのに、ほぼ解決って判断しちまうんだもの。それが一番重要な問題じゃあないんですか。まいったねえこりゃ。罪不問ってことで、あの牢番長と顔を合わせずに済んだと思っていたんだが、どうやら勘違いだったようだなあ」

 露店商は、本当にまいっているんだかいないんだか良く分からない、のったり口調でそう言った。隣の兜からも朗らかな笑い声が響いた。


「大丈夫、安心するといい。あの牢番長を通すと、事件のこと、事細やかに紙に残されてしまうだろう? そうなると依頼主の『事件そのものを無かったことに』という依頼に反する。だから、命があることになっても、無いことになっても、牢番長に会うのは回避できると思うよ」

 モントールが陽だまりのような安心感を与えてくれる声でそう説明すると、露店商も安心したように頷いた。

「なるほど、そら安心ですねえ。そちらさんの牢番長、地獄にも天国にも旅立たせてくれない生き地獄な話し合いが得意っていいますもんねえ」

 露店商と鎧兜の隣の男の会話は、談笑といって差し支えの無い穏やかさがあった。だがよくよく思い出して欲しい。今、談笑している二人は、家屋をヤキ入れされた人とヤキ入れした人で、もしかするとこの先、命にヤキ入れされてしまうかもしれない人と、ヤキ入れするかもしれない人なのだ。そんな二人がどうしてこんなに穏やかに談笑しているのだろうか。



「ま、そちらさんの牢番長にも会いたきゃあねえですが、旦那がまた会いに来るってのも遠慮ですね」

「俺もその手間を省きたいと思って、依頼主には確認をとるつもりが無かったんだけどなあ」

 ぼやくように、モントールが言った。

「あ、つまり見逃してもらえるってことですか」

「そのつもりだったんだけど、ね」

 モントールが露店のカウンターに手をつき、露店商のほうへと身を乗り出した。


「長らく丁々発止の狐と狸の化かし合いと獅子と猛禽の殺し合いを眺めていたら、不思議とある種の人間の独特の間を解するようになってしまって―――ササヅカにはこの男、一度の過ちから更生したように見えたようだけど……残念。この男は品行方正、真っ当とは程遠い、かな」

 言われた露店商が、ゆっくりと目を見開いた。

 鎧兜の男は天気の話でもするかのように、穏やかに続けた。

「祭で露店を出すには、商売内容と場所の申請が必要だったはずだ。少なくとも一ヶ月前にはね。媚薬紛いの栄養剤の首謀者を炙りだしたのが、つい先日。それから天蜘蛛で祭参加の申請を出したとすると、許可がおりたのは昨日、一昨日の話になるね。よくあの大混乱なうちの本部から許可がおりたものだなあ。それに俺の記憶違いでなければ、今年ここに天蜘蛛の天幕が出される予定は無かったはずなんだが、ね―――さてさて、品行方正で真っ当な商売人に聞きたいものだ。ここでの天蜘蛛、許可、おりているんだよな?」


 沈黙が流れた。

 佐倉達の背後を通った人の楽しげな笑い声が、祭の雰囲気とは異なる緊張感を浮き彫りにする。



 露店商が、手を上げた。頭に巻いた紺地の布に触れ、それからゆるゆると露店の天井を見上げた。はは、と軽い笑い声が漏れた。

「やっぱり外遊のモントールってのは、噂違わぬ切れ者ってことか。こっちが煙に巻こうとしているのに、簡単に見破りやがる―――アンタが街勤務じゃなくて良かったねえ。アンタみたいなのに街にいられちゃあ、きっと俺らみたいなのは息が詰まって生き難え世の中になっちまう」

 笑いながらそう言って、露店商は露店奥の天幕を指し示した。

「アンタの言う通り、この商売も無許可だ。燃やしますか? 派手に燃えて一興だとは思うが、借りモンなんで、できることなら燃やされたくはねえんですがねえ」

 佐倉がぎょっとした。あれ、もしかして天蜘蛛の糸、体験(?)する前に、燃やされそうになっている? それは困る。ものすごく困る。口の中はすでにワターメさんを欲しているのだ。思わず、斜め前に立つ男の鎧を引っ張った。

「ああ、燃やす」

 モントールは鎧が引っ張られて、がちゃがちゃ激しく鳴っているにも関わらず、あっさり肯定した。ちょ、なんて鬼畜なことを……! 食べ物をちらつかせておいて、食べさせないとか……! 


「―――と、言いたい所だけれど、連れから今まさに凄まじい抗議を受けている」

 モントールが困ったように、首を巡らして自分の背後を見た。

 露店商も露店から顔を出し、こちらを見た。

「あれまあ、お連れさんはこっちの味方だ」

「天蜘蛛、体験したことがないみたいなんでね。まあ、見れば分かると思うけど、非常に楽しみにしていたわけだ」

「燃やされちまったら天蜘蛛、食えないですしねえ」

 露店商は、にっかりとこちらに笑んだ。

「天蜘蛛はなあ、甘くて、ふわふわしててなあ。口の中でしゅわーっと溶けちまう祭でしか見られない食いモンだ。さあさ、お連れさん、旦那の考えを変えさせて、家の修繕費を稼ぎてぇ露店商を助けてはくれませんかねえ」

「また汚い手を」

 呆れたようにモントールが言った。

「そんなことせずとも今回の祭の違法には介入するつもりが―――あー、ササヅカ。大丈夫だから。ちゃんと食べられるから、ね。そんな顔で見なくても、燃やしたりしない……うん。よしよし、いい笑顔」

 鋼の指がこちらの頭の上で跳ねた。


 露店商が目を瞬かせた。

「旦那、この件、介入しねえんですか?」

「今回の一件は任務外。だが、まだ何かやらかしてそうだなあって、裏を探りたくなってはいるけれど」

「いやいやー? さすがに手の内にあるもんは、もう全部引っぺがされた状態ですよ。ま、解決ってことで、天蜘蛛の糸、遊んできますかぃ?」

 露店商は言い終わってから、のったりとした笑い声をもらした。

「まあ、旦那が断ったら、お連れさん、猛抗議だとは思いますけどねえ」

 モントールが頭の上に置いたままだった鋼の手の平をどけ、こちらの顔を覗きこむ。モントールはくすり、と笑った。

「それじゃあ、天蜘蛛、二人参加で」

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