白天祭 ―面談 3―
昼街部隊、全力拒否の佐倉を見て、ムドウ部隊長は呆れたようにため息をついた。
「こんの馬鹿者。死ぬと分かっている所に、自分の隊員を送り出す部隊長がどこにいる」
ムドウ部隊長は、自分の前に置いたままの資料の表面を太い指で叩いた。
「昼街部隊が受けられねえお前には、ここの部隊を受けてもらう」
資料の束が押し出され、佐倉は目線を落とした。
資料の表紙には――夕街部隊、とある。
「夕街ってあの、いかがわし……変な外観の建物がある所、ですよね?」
佐倉の頭に浮かんできたのは、古城のような建物と、洗濯物が橋渡しされて頭上ではためく路地だった。店ばかりが立ち並ぶ昼街とは全く異なる、落ち着いた街。きっと夕街は、この国の人たちが仕事を終えて、家族で夕ご飯を囲む場所なんだろう。
「夕街部隊って、どういう仕事をしてるんですか?」
「基本的には昼街部隊と変わらねえ。夕街支部勤務で、夕街の警備と外門管理と喧嘩と部隊長のお守りだ」
佐倉は頷いた。なるほど、夕街部隊は夕街の警備と外門の管理と喧嘩と部隊長のお守りをしているらしい。……うん、部隊長の、お守り?
「夕街部隊は、外遊部隊や昼街部隊のような大きな組織向きじゃねえ奴が入隊する。癖が強く、集団行動ができず、扱いにくく、血の気が多くて喧嘩っぱやく、殴る蹴る、で物事は解決すると思っている単純な脳筋どもが行く部隊だ。ちなみにここに入隊すると、夜街部隊に入隊しやすくなる」
ムドウ部隊長が話についてきているか、こちらの目を覗きこんで確認する。佐倉は頷いた。つまり夕街部隊は、新兵部隊や昼街部隊より頭のおかしい部隊ということだ。
「夕街部隊へ入る奴は、たいてい夜街部隊を目指す。集団行動が要求される外遊部隊への入隊は絶望的だが、夜街部隊に入隊できれば、さらに上の部隊へ行ける可能性も高くなる」
「さらに上?」
「例えば部隊長だな。今の部隊長達は、夜街部隊上がりの奴がほとんどだ。夜街部隊を経験すると――」
ムドウ部隊長が顔をしかめて言葉を切った。
「そうだな。人間として見事に歪む。夜街部隊ってのは、夕街部隊を悪化させたような部隊だ。癖が夕街部隊より強く、集団行動という言葉の意味がその頭から失われ、扱われることを嫌い、血の気が多くて殺し合いをしたがり、殴り殺す蹴り殺す斬り殺す撃ち殺す、で物事が解決すると思っている複雑怪奇な脳筋どもが行く部隊だ」
ここでもムドウ部隊長が話についてきているか、こちらの目を覗きこんだ。佐倉は頷いた。大丈夫。つまり夜街部隊は、新兵部隊や昼街部隊や夕街部隊より、いっそう頭がおかしい部隊ということだ。絶対に、関わり合いたくない。
「将来、外遊部隊で人形を相手にドンパチやりてえなら、昼街部隊。将来、夜街部隊で人間を相手にドンパチやりてえなら、夕街部隊ってことだ」
「ドンパチをやりたくない場合は、どうすればいいですか」
佐倉は真剣に訊ねた。
「傭兵ギルドに入るな」
相手も真剣に答えてくれた。
ごもっとも。少なくともドンパチをやりたくないなら、グレースフロンティアに入るべきじゃないってことだ。佐倉はもう何も言えずに口を閉じた。ムドウ部隊長が話を続ける。
「昼街部隊の上が変わらねえ限り、お前には昼街部隊という未来はねえ。つまり今回は、夕街部隊を希望するしかねえってことだ」
そう言いながら、対面の部隊長が身を乗り出し、佐倉の前に置かれた夕街部隊の概要資料をめくっていく。つづり紐でまとめられた資料の最後の一枚に辿りつくと、紙を指で叩いた。見れば『昇格試験 申請書』とあり、希望部隊名や氏名欄やギルド隊員番号などを記載する場所が空欄になっている。
ムドウ部隊長はまず、さらさらと「夕街部隊」と記入した。そしてペンを紙の上に放るとこちらに差出し「書け」と短く告げた。佐倉は慌ててペンを取った。なるほど、自分は夕街部隊を受けるらしい。しかも今すぐ、申請書を出せと要求されている。その間にムドウ部隊長は、隣の痩身男の指導に取り掛かった。佐倉に渡した資料とは異なり、『昇格試験 申請書』一枚だけをラックバレーに突きつける。「綺麗に、書け」と言うその声は、佐倉にそう告げた時よりも遥かに荒々しかった。
「本気で、今日提出なんスね」
ラックバレーは呆れたように呟いて、ムドウ部隊長からペンを受け取った。
ラックバレーは、希望部隊名を書いた。夕街部隊。やはりラックバレーは昼街部隊ではなく夕街部隊を受けるらしい。なんとなく昼街部隊にラックバレーがいる、というのが佐倉には思い浮かばなかったのだ。
そのまま慣れた手つきで書き続ける。さらさらと。
「こら、てめえ、綺麗に書けって言っているだろうが! ミミズ字を書くんじゃねえ!」
「いや、これでもだいぶいつもより丁寧に書く努力して……あ」
「おい、ぐちゃぐちゃと文字を潰して修正すんな! ――てめえ」
ムドウ部隊長が、ラックバレーにゲンコツを落とした。
「真面目に書く気、ねえだろ」
たぶん、まだ本日一回目のゲンコツだから、軽いやつだろう。ラックバレーも頭を抱えるほど痛がってない。これの二回目がものすごく痛いのがくるのだ。今日のゲンコツは頭頂部よりやや手前。一回目のゲンコツは場所決めで、二回目からは寸分違わず、そこに本気の拳が振り下ろされることになる。
ムドウ部隊長がラックバレーから紙を回収し、新しい一枚をファイルの中から抜き取った。もう一度初めから書かせることにしたらしい。
「誤字脱字は、問答無用で落ちる。必須記入箇所は当たり前だが、必ず、全部埋めろ。試験期間は申請書を出した一部隊のみ受験可能だ。新兵部隊員が、昼街と夕街以外の部隊の申請書を出しても、推薦書が無い限りは申請段階で、はじかれると思え。ついでに申請書を二枚も三枚も書いて提出したり、夕街部隊の申請書と昼街部隊の申請書の両方を書いて二枚提出したりしても試験放棄と見なされる――どこかで酔っ払った勢いで二枚目を書いて、カウンターに提出なんざしてみやがれ。俺はもうゲンコツじゃすまさねえぞ。除隊させて、四階のこの部屋から蹴り落とす」
おお、ムドウ部隊長、どうやら本気だ。ムドウ部隊長は訓練での指導以外では、隊員に頭に拳を打ち下ろすゲンコツしか与えない人だ。つまり、蹴ったり殴られたりした人は、新兵部隊在籍中の隊員ではありえない。そんな愛あるゲンコツを打ち下ろす人が『四階から蹴り落とす』と言っているのだから、今回のラックバレーの試験は、事前準備から万全の体制で臨むということだろう。
「ササヅカ、何、ボサッと見てやがる。手ぇ動かさんか」
「ぅあ、はい」
言われて、佐倉も慌てて書き始めた。佐倉が迷いながら書いている間に、隣の男は書き終わり、書いたものを音読させられ、そのミミズ文字に、書いた当人すら言葉につまった瞬間、二撃目をくらって悶絶し、すぐさま三枚目に突入した。もっとゆっくり丁寧に書けばいいのに。
どうにか佐倉が書き終えた時には、隣の男は申請書の六枚目に取り掛かり中だった。ムドウ部隊長が、こちらを見て書き終えたのを確認する。そして申請書に手を伸ばす。紙を掴み、持ち上げかけられ、佐倉は思わず書き終えた申請書を手で押さえた。
「なんだその手は」
ムドウ部隊長が顔をしかめた。
「あ、いえ……えっと、これを出したら、夕街部隊の試験を受けるってこと、ですよね」
「そりゃ、申請書を書いたんだから、そうだろ」
佐倉は言葉に詰まった。そりゃそうだ。今、申請書を書いたんだから、この先、夕街部隊を受けるのだ。何を当然のことを確認しているんだろう自分は。この先、夕街部隊を受けて、夕街部隊員になって、夕街の警備をして、夕街で生きていく――自分の未来のはずなのに、全然、ぴんと来ていなかった。
「ササヅカ、受かるなんて間違っても思うなよ」
ラックバレーが申請書を書きながら顔を上げずにそう言った。
「昼街部隊より夕街部隊のほうが、昇格させる人員定数をかなり絞り込んでる。そもそもてめえの実力で受かるんなら、そこらへんの猫でも受かる試験だぞ」
ラックバレーにそう言われて、佐倉はムドウ部隊長を見た。
「それじゃ、なんで受けるんですか」
落ちるって分かっているなら、受けなくたっていいではないか。
「お前の場合は、昇格試験に慣れる為に受けさせるだけだ。お前が今回、受かるなんて俺も思っちゃいねえよ。いつかの本番の為の模擬試験だと思ってろ」
模擬試験と云われて、肩の力が幾分抜けた。押さえていた申請書から、ゆっくりと手をどける。申請書はムドウ部隊長に回収された。
「さて、と。ササヅカ、面談は以上だ」
「あ、はい」
これで、終わりと言われて、佐倉は椅子から立ち上がった。
そこで、ムドウ部隊長が居心地悪げに、身じろぎした。後頭部を揉みながら、「面談は以上、なんだが」と言葉を続ける。
あれ、終わり、じゃないの?
珍しく歯切れの悪い言い方をされて、ゆるゆると椅子に座り直す。ラックバレーも、ムドウ部隊長の様子に違和感を覚えたのか、手の動きを止め、顔を上げていた。
「まあ、あれだ。お前はここに来て、まだ一ヶ月、だろ……ああ、いや待て。今のは忘れろ。ここから話す。グレースフロンティアの隊員ってのはよ、街を守るのも大切な仕事なわけだ」
「はぁ、そうですね」
「街を守る人間が街を知らんっつーのは、おおいに問題だと思わんか」
何が言いたいんだろう。いつも説教とも指導とも違う雰囲気に、佐倉は間の抜けた「はぁ、そうですね」を繰り返した。
「そして、ササヅカ、お前は昨日の非番が一日、潰れたと聞いている」
あれ。グレースフロンティアと街の話をしていたんじゃなかったか。突然の非番の話に佐倉はついていけずに呆けた。仕事の話はどこへ行ったのか。
隣の痩身男は何かに気がついたらしい。身体を起こし、椅子の背もたれに背をつけて、呟いた。
「なるほど、ねえ」
何かが分かったかのような相槌に、ムドウ部隊長の顔がますます厳つくなる。
ムドウ部隊長は、ラックバレーを無視して先を続けた。
「非番っつーのは、本来ちゃんと休むもんだ」
「そんなこと言い出したら、こいつの非番なんてほぼ訓練に連行していたわけですし、今までもほぼ無かったと思うスけどね」
ラックバレーが、にやにやと抗議する。
「非番っつーのはな、本来、ちゃんと、休むもんだ」
ムドウ部隊長は、ラックバレーの横槍をさらに無視して、繰り返した。
ラックバレーも、ムドウ部隊長の言葉を無視して、ブツブツと言いはじめた。
「俺だって他の新兵部隊員だって、最近の休みなんて無いようなもんじゃないスか。非番に休めって言うなら、俺らの潰れた休みはどうするんスか。ササヅカに今から言おうとしていることは、贔屓って見られても仕方ねえんじゃないスかねえ。うわー不公平だ。ガキだからって甘やかしてんじゃないスか。酷えやムドウ部隊長それは酷」
「うるせえな! ごちゃごちゃ抜かすんじゃねえ! たかだか新兵の最末端のガキ三人が抜けたくらいで、立ち行かなくなるようなギルドじゃねえだろうが! 立ち行かなくなるんなら、そんな三流ギルド、そこで潰しちまえ!」
「あ、なるほど。他二人も、今日は休みってわけスね」
ラックバレーの言葉に、ムドウ部隊長がぐっと言葉を飲み込んだ。
そこでようやく、佐倉にも話の流れが見え始めた。
え、今日、休みになるの?
そう思った瞬間、窓下の賑わいや陽気な音楽が、地獄からの怨讐に満ち溢れた叫びではなく、ちゃんとした朗らかで心が躍るような祭の音に聞こえ始めた。
――この祭の日に、休みがもらえるってこと?
眠気も疲れも吹き飛んだ。祭、仕事じゃなく、観てまわっていいってことだろうか。思わず頬が緩む。佐倉は、眼前の部隊長から「本日休日」宣言が出たら、すぐさま飛び上がって喜ぼうと、うずうずと椅子に座って待機した。
ムドウ部隊長はラックバレーに怒鳴ろうとしたのか口を開けたが、こちらの顔を見つめ、何も言わずに口を閉じた。首を一振りし、深々とため息をついた。そうしてラックバレーへと視線を向ける。
「分かった。認める。若干の甘やかしは、認める。こういうガキくせえ素直な顔を見ると、つい、な」
「ガキくせえ素直な顔?」
ムドウ部隊長の言葉にラックバレーがこちらに顔を向けた。自分としても、いったいどういう表情をしていたのかは不明だ。喜んでいるのが、そんなに丸分かりなんだろうか。ちょっと恥ずかしくて、笑わないように努力した。だが、すぐに無理だと分かった。祭、何をしよう。まずはやっぱり屋台で美味しそうな食べ物を買って――そう思ってしまったら、浮かんだイメージが楽しみすぎて、佐倉は口角が上にあがるのを止めることができなかった。
その瞬間、視界が覆われて、馴染みになりつつある痛みが顔面を襲った。
佐倉は叫んだ。
「だから、ラックバレー、なんでそこで顔面、掴むの!!」
「うるせえ! ガキくせえ締りのねえ顔晒してんじゃねえ!」
「いや、おいおいラックバレー、俺はササヅカに喜ぶなとは言っちゃいねえんだが……」
「こんな顔、絶対、駄目だ。てめえ、グレースフロンティアの隊員らしく、もっと眉間に皺を寄せろ! いや、眉間に皺が寄るように、今からその顔を折ってやるからちょっと待ってろ……!」
「いやいやいや何その荒々しい整形方法!? 誰も求めてない求めてない……!」
まずい。再び顔面を折りたたまれそうになっている。佐倉はラックバレーの腕を掴んでなんとかしようと必死で抵抗した。
「まあラックバレー落ち着けって。てめえの休みがねえのに、こいつの休みがあるのは気にいらねえかもしれねえが……。ササヅカが街のことも白天祭もちゃんと体験してねえってのは事実だろうが。それに、こいつに関して言えば、少々込み入った事情もあって、だな」
「込み入った事情?」
顔面を覆われた佐倉の耳にラックバレーの声が届く。ムドウ部隊長が、少し黙り込むのも分かった。だが顔の締め付けが強すぎて、その沈黙の意味を考える暇はこちらには全く無かった。
「……まあ、よ。いろいろあんだよ、ササヅカにも」
「いや、だからその込み入ったいろいろな事情ってのは、いったい何なんスか」
ラックバレーがさらに質問を重ねた瞬間、乾いたノック音が部屋に響いた。
――誰か、来た?
ムドウ部隊長の呻き声。
「今、取り込み中だ! 後にしやがれ!」
怒鳴り声で筋肉ダルマの部隊長が伝えると、扉の向こうは一瞬の間を置いた後、のんびりと声が返してきた。
「それは失礼しました――でも、通信機が切られてしまって、ササヅカと待ち合わせができる時間を、聞きそびれてしまったので。そもそもササヅカは今日、時間を取れそう、なんですよね?」
その声は、ほかほかの太陽のように穏やかで優しくて、不思議と誰にでも好印象を与えそうな声だった。
兜と扉で隔てられていても聞きとりやすいその声を聞いた瞬間、部屋の住人たちは三者三様の動きをした。筋肉ダルマの部隊長が舌打ちをし、佐倉の顔面を掴んでいる痩身男の手の力が驚くほど弱まった。そして、佐倉はその声に反応し、ゆるゆると背筋を伸ばした。
扉の向こうの声の主、今、「ササヅカと待ち合わせ」って、言わなかったか。
つまり扉の向こうの声の主は、この祭でこちらと一緒に行動してくれる、ってこと……?
それに気付いた佐倉は、椅子の上で飛びはねかけた。そうだよ。きっとこの人は、一緒に、祭を楽しんでくれるつもりなんだろう。他の激務中の隊員たちとは違って、療養で街に戻ってきていた人だから、仕事はもちろん無いわけで……!!
やった。祭、一緒に見てまわってもらえる……!
佐倉は、大喜びで扉の向こうにいるであろう――鎧兜の男の名を叫んだ。
「モントール……!」