表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/110

白天祭 ―面談 2―

 良かった。顔面は谷にも山にも変化していない。手で触って確認した佐倉は、部屋の隅の椅子を掘り起こしにかかった。


 椅子の上に置いてあったファイルを他の資料の上に置く。こうやって他の人が勝手に触っていたら、必要な時に資料がどこにあるかを探すのは、大変なんじゃないだろうか。

 佐倉は手に持った紙資料に目線を落とした。黒い紐でまとめられた分厚い紙の束の表紙には、『竜の躾』とある。……竜の躾。思わず凝視した。竜。竜って、何。頭に浮かぶのは、お寺の天井に描かれているような蛇に足が四本生えたような姿をした空想上の生物だった。ムドウ部隊長は人を育てるのでは飽き足らず、竜、なるものまで育てようとしているのか。いやいやまさか新兵部隊員たちに対して、人として育てるのを諦め、竜、なるものの育成論に切り替えた、とか? どんだけスケール大きく人を育てるつもりなんだろう。最終目標は火か。火を口から吐けとか言い出すのか。そんな馬鹿な――ふ、と青灰色の眼の獰猛種が脳裏に浮かぶ。


「……そっかあ、竜の躾で間違ってないわけだぁ」

「ササヅカ、こっちに椅子を置け」

 ムドウ部隊長の野太い声に振り返る。すでにラックバレーが椅子を用意し終え、ムドウ部隊長が壁際のテーブルを大移動させていた。紙の束をなぎ倒しながら、である。あの人、ファイルしたものを読み直すつもりがないに違いない。

 佐倉は自分の椅子を運び、腰を下ろした。隣にはラックバレー。その反対側にムドウ部隊長が座った。

「普通なら祭前に全員、面談を終えるんだがな。今年は、ずれにずれて祭当日までかかっちまった」

「面談って、昇格試験の面談なんですよね?」

 先程、ラックバレーが言った言葉を思い出す。

「そうだ。祭が終わったら、あっという間に昇格試験の時期になる。その前に隊員ひとりずつとじっくり話す時間を設けてるんだ」

 ムドウ部隊長がファイルの山へと手を伸ばす。幾つかの紙書類を机上へ置いていく。

「それで、てめえはどこを志願する?」

 ムドウ部隊長はこちらを見ていなかった。まだ資料を探す為、横を向いていたからだ。そして、こちらは完全に沈黙した。どこを、志願する?


 どこを、志願するのか?

 佐倉は何か言おうと口を開き、しかし何も言えずに再び口を閉じた。テーブルの木目を見つめ、言葉を探す。どこを志願するか、と聞かれても――


「なんだお前」

ムドウ部隊長の声に、佐倉は目線を跳ね上げた。テーブルの向こう側に腰を下ろす筋肉ダルマが、顔をしかめていた。

「志願先、全く決めてないのか」

「えっと、全く決めてない、というか」

 佐倉は言葉を濁した。歯切れの悪いこちらの返答に、対面の部隊長の眉間の皺がさらに深くなる。

「と、いうか、なんだ」

 うわ、聞き返されてしまった。聞き返されてしまったからには、答えなくてはならない。困った佐倉の視線が、無意識にラックバレーへと寄っていく。ラックバレーはテーブルに片肘を置き、頬杖をついてこちらを眺めていた。目が合うと、

「全く決めてない、っていうか、なんだよ」

 ラックバレーまでもが先を促した。


 佐倉は困り果てて、黙りこんだ。どうしよう。どう説明したらいいのか。ムドウ部隊長が言うように、佐倉は志願先なんて、全く決めていなかった。いや、それ以前の問題で――

「ササヅカ、まさかてめえ」

佐倉の横で、ラックバレーが何かに気付いたように声を上げた。

「うちのギルドにどんな部隊があるかが分からねえ、とか言わねえよな……?」

「いやいやいや、分かるから」

 佐倉はすぐさま否定した。

「偉い順で言ったら、外遊部隊が一番偉くて、夜街・朝街・夕街・昼街ときて、最後に新兵部隊、ですよね?」

「偉い順ってなんだ。偉い順って。番格って言え。しかも外遊より上は、てめえの頭の中にはねえのか」

 ムドウ部隊長が、鼻で笑いながらそう言った。

 佐倉は口を閉じた。外遊より上は、全く頭の中に無かった。

 そんな佐倉の様子に、ムドウ部隊長が笑いを引っ込めた。

「……まさか、冗談じゃなく本当に外遊より上を知らんのか」

 ムドウ部隊長は『そんな馬鹿な話、あるのか?』という表情を浮かべていた。佐倉は神妙な顔で、ただただ対面の部隊長を見つめていた。するとムドウ部隊長の表情が次第に変わっていく。『そんな馬鹿な話が……あるんだな?』そこまで表情が変わった時、佐倉はゆっくりと頷いた。頷かれた男は、ゆるやかに両肘をテーブルにつき、頭を抱え込んで『絶望』を身体全体で表現した。


「ササヅカぁ。お前、いつ入隊した」

「一ヶ月くらい前、です」

「そうだよなあ。一ヶ月前は街にもいなかったんだもんなあ。そりゃあ、ササヅカに非はねえよなあ。加入試験の時から、成り行きって臭いをぷんぷんさせてたガキに、ギルドの体系を教え込まなかったこっちが悪いよなあ。そうだよなあ。ぽげぽげしてるガキに、教えなかったほうが悪いよなあ」

 頭を抱えていたムドウ部隊長の手が、突然伸びる。

 頬杖をついていたラックバレーの髪を、むんずと掴んだ。

「世話係ぃぃ……」

「俺の責任!? ちょ、俺の責任スかこれ!?」

 ラックバレーの言葉に、ムドウ部隊長は声を発しなかった。ただ、髪を掴んでいる拳が一瞬、ぐ、と軽く引っ張られる。

 そのまま引っ張ると……。

 新兵部隊員2名は、同時に叫んだ。

「天頂部からハゲる……!」

「罪はない、それに罪はないです! ラックバレーの毛根は、悪くない!」

 佐倉は、痩身男の髪を掴む太い腕の持ち主に、懸命に訴えた。その掴み方はダメだ。絶対ダメだ。そのまま引っ張ったら、ラックバレーの毛根の広範囲が死に絶える。

「すみませんすみません、自分が! ぽげぽげ! していたせいです! ぽげぽげ!」

 こちらの必死な言葉に、ムドウ部隊長の指の力が弱まった。

「これから部隊の説明も含めて昇格試験の話をするが、その空っぽな脳ミソにしっかり叩き込むって約束できるか」

「もちろんです、もちろんですとも! ちゃんと叩き込みます!」

「よし」

 ムドウ部隊長は、ラックバレーの頭から手を離した。直後、ラックバレーが椅子を後ろに引き、テーブルと距離を取る。だがムドウ部隊長は、世話係の毛根にはもう目を向けてはいなかった。


「一年に二回の試験を強制的に受けさせるにしても、お前の意識が中途半端じゃ受かるわけもねえ。目標がない奴ほど、上にあがるのが遅れる」

 佐倉の視線が自然と、頭皮を揉む男へと向けられる。佐倉の視線を追ったムドウ部隊長が、首を振る。

「それは、例外だ。目標とする隊は決まっているのに、試験会場まで辿り着けねえバカなんだ」

 ムドウ部隊長は容赦なくそう言うと、話を続けた。

「新兵部隊員が目標とする部隊は、二部隊ある。ひとつはどこだか分かるよな?」

「昼街部隊ですか?」

「そうだ。新兵部隊員の大半が昼街部隊へ入隊する。たいていの奴が、その先の外遊部隊への入隊を目標にしている。もしこの先、お前も外遊部隊に入りてえっていうなら、一番の近道は、昼街部隊だ」

 ムドウ部隊長が、ファイルから紙を取り出す。渡されたのは昼街部隊の概容資料だった。

「なぜここが外遊部隊への一番の近道か、知ってるか?」

 佐倉は素直に首を横に振っていた。

「それは、昼街部隊が外遊部隊をモデルにしてるからだ。大所帯で規律にきびしい。昼街部隊での経験がある奴は、外遊部隊にすぐ馴染む。だから昼街部隊へ行くのは外遊部隊への近道、とされている――そもそも新兵部隊だって、外遊部隊に送り込む人間の育成する場所だ。少なくとも指導する側は、てめえら全員、外遊部隊員にする為の基礎を叩き込んでいるつもりだ。だからもしお前が希望する部隊がねえのなら、今回の試験申請の紙には、昼街部隊、と書かせる」

「は、はい」

 佐倉は緊張して頷いた。どうやら強制的に、志望部隊が決まりそうだ。渡された紙を再び見つめる。志望先、昼街部隊になるのか。

「と、普通の隊員には言うんだが」

「え?」

 佐倉が紙から顔をあげた。


 ムドウ部隊長は顔をしかめていた。

「ササヅカ、お前がもし昼街部隊を受けたら――どんな試験内容であれ、間違いなく合格する」

「ええ!? 昇格試験って、そんなに簡単に受かるものなんですか」

 こちらの驚きの声に、ラックバレーが唸り声を上げた。あ、すみません。調子こいた発言してすみません。うん、そんな簡単な試験のわけがない。

 ムドウ部隊長もこちらを睨んだ。

「ようやく寝返りがうてたくらいのレベルの赤ん坊が、試験に受かると思うか?」

 そうかー、自分、今ようやく寝返りがうてたレベルなのかあ。

 そりゃ受かるわけが……

「だがお前は受かる。昼街、と申請用紙に書いて提出しただけで、問答無用で確実に試験合格、昼街部隊の仲間入りだ」

「だから、な ん で !?」

「なんでか? それをお前が言うか? 思い出せねえほどのトリ頭なのかお前は」

 ムドウ部隊長に言われて、佐倉は思った。どうしよう。どうやら自分はトリ頭らしい。そこまで昼街部隊に熱烈に愛される理由が全く思い当たらなかった。寝返りがうてるようになった程度の赤ん坊を受からせるとか、昼街部隊はこちらにいったい何をさせたいのか。お座り、か。お座りした時の感動をわかちあいたいのか。絶対に嫌だ。


 むしろ昼街部隊には嫌われ抜いている、と思っていたのだが――そこでようやく佐倉は、あることを思い出した。それは、女王様のしなった手の動きだった。今、頬を叩かれたみたいに、佐倉は身を強張らせる。


 そうだ。何も好かれているから受かる、とは限らない。

 昼街部隊はこちらを心底、嫌っている。


 血の気が引いた。

「……それ、受かったら確実にまずい、気がするんですけど」

「ま、合格通知が発行されたら、お前、昼街部隊の訓練中にいつか事故死するだろうよ」

 ムドウ部隊長がさらりと不吉な宣言をした。

 佐倉は納得した。そうかあ。昼街部隊はこちらとお座りの感動をわかちあいたいんじゃなくて、死神の鎌を持って手ぐすねを引いて待っているっていうことかあ。


「ひ、昼街部隊は受けません! ダメ! 絶対!」

 佐倉は、涙を浮かべて必死で訴えた。横の新兵部隊の最長記録保持者から、「何がどうあれ、受かるんならいいじゃねえか」と、頭のおかしい発言が聞こえた気がしたけれど、そういう問題じゃない。断じて、そういう問題じゃない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ