白天祭 ―面談 1―
怒号で窓硝子が揺れた。
「――分かったっつってんだろ! ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ喧しい!! 時間を割いてやるから、しばらく待ってろ!!」
そう怒鳴ると、ムドウ部隊長は通信機を乱暴に切った。
室内に、ようやく静寂が訪れた。
しかしそれは一呼吸にも満たない、一瞬の平穏だった。
ムドウ部隊長が、通信機から手を離そうするやいなや、手元から再びけたたましい機械音が鳴り響く。
佐倉は入り口に立ったまま、黙ってその音を聞いていた。
ラックバレーもこちらの隣に立ったまま、何も発言をしなかった。
そして、呼び出されている本人――ムドウ部隊長もまた、こちらに背を向け、通信機下に置かれたテーブルに手をつき、もう片方の手を通信機に当てたまま、一切の動きを止めていた。
出ろ、出ろ、と催促の機械音が一定の間隔で鳴り響く。
その一音が響くたびに、室内の空気が少しずつ、少しずつ、重くなる。
機械音は途切れることが無かった。
こちらが息を潜めて途切れるのを待っているのを、百も承知、とばかりに鳴り続けている。ついに太い腕の持ち主のほうが観念した。ゆっくりと通信機が持ち上げられる。
「……なんだ」
その地を這うような低い声は、常の怒声やゲンコツより、鬼気迫るものがあった。
ムドウ部隊長は、怒鳴らなかった。黙って相手の話を聞いている。ただ相槌もしなかった。無言である。いつもの唸り声のような相槌でもあったほうが数段マシだ。きっと通信機の先は、相当、話しにくいに違いない。
「断れ」
ムドウ部隊長が、淡々と通信機の先に言った。
「今回は、流す、とすでに伝えてある。向こうがごねようが、泣き喚こうが、脅迫まがいの交渉をしてこようが、相手にするな」
そう告げると、通信機を切る。今度は切り方も丁寧だった。その背中から感じる空気は怒鳴り散らしていた時よりも遥かに重い。背を向けたまま、ムドウ部隊長が嘆息する。疲れたように、自分の首の後ろあたりを揉み、振り返る――まさに、その時。
再び、通信機が鳴った。――空気を読め、通信機。佐倉は心から思った。お願いだからこれ以上ムドウ部隊長を刺激しないでほしい。背中から発せられる静かな怒りが怖すぎる。
再び、部屋は通信機の独壇場となった。三人が息を詰めている。やはり止まらない音。ムドウ部隊長は、さきほどよりさらに粘った。出たくねえんだ、という意思表示を先ほどより長く長く続けた。だが、ちっとも状況を読まない通信機は、延々と鳴り響く。
しばらくしてムドウ部隊長が深く深く息を吐く。
「バラッドがいねえとよ」
筋肉ダルマの背中から、ぽつり、と呟きが漏れた。
「本来なら、あれのところで潰しているだろう話が――」
太い腕が、再び持ち上がる。
掴んだのは、通信機――本体。
「がんがんがんがん入ってきて」
壁に固定してある通信機本体が太い指に掴まれて、みし、みし、と不気味な音を発しはじめた。
「なあどうして、魔法で出来ているらしい通信機ってのは、こんなに煩わしくて耳が腐り落ちそうな機械音で、人を呼び出すんだ?」
誰に尋ねているのか、返答を待っているのかも分からない言葉が投げられた時には、通信機本体は壁から完全に剥がされていた。呼び出し音が不意に止む。壁からぶち切られたコード線が幾重も垂れ下がる。通信機本体が、窓から放り投げられた。非常にアグレッシブなポイ捨てだった。四階から投下なんて、往来を行く人にぶち当たったら、死ぬレベルだ。
「一昨日までは、少なくともこういった最低限のレベルは守られていたんだがな」
ムドウ部隊長はポイ捨てのことなど、綺麗さっぱりと忘れたような顔で振り返った。
「夕街支部からベル嬢が来てたスもんね」
答えたのはラックバレーだ。
ムドウ部隊長が頷く。佐倉も激しく同意したかった。
ベル嬢と周囲に呼ばれるその人は、案内カウンター唯一の弟子なのだという。夕街支部でカウンター業務をしているというその人がいた頃は、ホール全体が混乱していても最後の一線であるカウンター業務は、まだ崩壊を迎えていなかった。
彼女は、カウンターが倒れたその日に、本部へと駆け込んできた師匠愛に溢れた女性だった。安否を確認しに来たその人を待っていたのは、網を持ち、縄を持ち、嘘臭い笑顔を貼り付けた新兵部隊の野郎共だった。彼らは『夕街カウンター捕獲作戦』を決行した。夕街支部にバラッドが倒れたと情報を流し、見事に飛び込んできた獲物を捕獲し、そのままカウンターへと軟禁したのである。その上で、ムドウ部隊長を筆頭に皆で拝み倒したらしい。――頼むから、案内カウンターが復帰するまでここにいてくれ、と。
見舞いに飛び込んできた夕街支部のカウンターは、何故か昼街の本部カウンターに軟禁され、見舞いにも行けずに一昨日、昼街部隊員達に「帰れ」と送り返されるその時まで、一階カウンターで忙殺されていた。結局、あの人は、バラッドに会えたのだろうか。本部軟禁中はつねに師匠愛を叫び、カウンターに足をかけ逃亡を謀ろうとしたり、ムドウ部隊長の尻を蹴飛ばしてでも見舞いへ行こうとしていた――そんな彼女の姿が、佐倉の脳裏にこびりついて離れなかった。
「この段階で、唯一の解決策だったベルトヴィナを追い出すとか……昼街隊員共の正気を疑いたくなるよな?」
「ベル嬢は夕街支部の人間スからねえ。昼街部隊にとっちゃ夕街部隊はあんまり頼りたくないんでしょ。今の状況も、昼街のクソ贔屓加減が分かるってもんで」
「どこの部隊の奴だ。今の使えねえカウンターは」
「今日から二日間、まるまる夜街がカウンターを占領だそうスよ」
「だからこんなにくだらねえ内容の連絡がひっきりなしにかかってくるのか。夜街のカウンターに本部のカウンターを任せるなんぞ、アホすぎるだろう。なんだ、祭で死人を量産したいのか」
ムドウ部隊長が納得したように頷いた。いやいやいや、佐倉に言わせればとうてい納得できるところではない。
「夜街のカウンターだと、死人を量産することになるの?」
佐倉は不安に襲われて、隣のラックバレーに訊ねた。
観光客が死ぬのだろうか。それとも、自分たちの過労死の確率が跳ね上がるってことだろうか。
「そもそも夜街支部のカウンター業務が、まともなカウンター業務じゃねえんだよ。通常業務が、支部に殴りこんできたゴロツキを撃ち殺したり、または支部に殴りこんできてもねえゴロツキを撃ち殺しに出向いたり、だからな。あそこはまともなカウンター業務なんて一切してねえんだ」
佐倉は呆気に取られた。
「なんでそんな危険な支部のカウンターが、祭当日なの」
頭がおかしい。これは完全に頭がおかしい采配だ。どうしてベル嬢が夕街支部に戻って、そんな使えないカウンターが本部にのさばることになっているのか。白天祭を取り仕切るのは昼街部隊の役目だ。新兵部隊員は、昼街隊員サマ達にこき使われる下っ端でしかない。でも言わせてもらえるならば、カウンターが抜けた後の白天祭準備は、佐倉でも分かるくらい大混乱だ。毎年、クソ忙しいという話はあらゆる所から耳にしてはいるが、皆が口を揃えて言う。――今年は、ひでえ。
「なんでって、そりゃお前、夜街が、女王様を組敷いて喘が……」
笑うラックバレーがこちらを見て、押し黙る。
目が合っている。見上げるこちらと、ラックバレーの目がしっかりと合っていた。
「よるまちが、じょーおーさまをくみしーてあえが……?」
こちらがラックバレーの言葉を繰り返すと、緩やかに死相漂う男の顔に血の気が戻ってきた。
「その丸い目で……」
ラックバレーが呟いた。
ラックバレーの片手がこちらの顔を掴んだ。
指の腹で顔を締め上げられる。
佐倉は悲鳴を上げた。
「なんで今!? ねえ、なんで今、それ!?」
「うるせえこっち見んじゃねえ! そもそもなあ、俺はこの後、仕事があるんだよ。ナンデナンデ虫に付き合っている暇はねえ!」
ラックバレーはそう言うと、荒々しく手を離した。こちらは顔を抑えて、悶絶だ。そして思う。ナンデナンデ虫って何なのいったい。質問したかったが、これを質問したらナンデナンデ虫め! と再び顔を締め上げられそうだ。
ラックバレーは、部屋を出ようとドアノブに手をかけた。引き止めたのはムドウ部隊長だった。
「待て待て、お前にも用事があんだよ」
ラックバレーは、ムドウ部隊長の制止に怪訝そうな顔をした。
「昇格試験の面談スよね? ――俺、かなり前に終わりましたけど」
「そうなんだが、お前、まだ申請の紙出してねえだろ」
ムドウ部隊長はそう言って、顎でしゃくってこちらを示した。
「こいつと一緒に、今日、俺の前で書かせる」
ラックバレーが一瞬押し黙る。
しばらくして、痩身猫背の男がそっと言った。
「あの、前回のような、申請書が判読不能って言われて落ちる、なんてことは、酔った勢いで書かない限りは、ない、と思います、けど……?」
「酒飲みながら申請書を書くんじゃねえよ! ただでさえ悪筆で誤字脱字が多いくせに、酔った勢いで書かれたら、てめえのミミズのたうった字なんて読めるわけねえだろうが!」
ムドウ部隊長が怒鳴った。ラックバレー、字が汚くて申請書が通らなかったことがあるのか。受ける気あるんだろうかこの人は。
「いやもうお前のことは昇格試験に関しては、一切信用しねえって決めたんだ。申請書は書いたら俺が預かる。その後の受験票もだ。お前は試験場所に3日前から見張りつきで監禁だ」
ラックバレーはムドウ部隊長の言葉を理解すると叫んだ。
「何だその受験……! めちゃくちゃ管理されてやがる。いったいどうやって逃亡したら」
「なんで逃亡する必要があるんだこのボケがぁ」
「いや、ほら。試験前ってが、ストレスがたまるじゃないスか。今度こそって思うと、ついつい女を引っかけイッパt」
ここでラックバレーがはっと息を呑み、何故か再びこちらを見た。またしても目が合う。
「ついついおんなをひっかけいっぱてぃー?」
あ、まずい。佐倉はラックバレーと見つめあいながら、悟った。まずい。なんかさっきと同じパターンに入った――再び、顔を片手で掴まれた。きりきりと側頭部を締め上げられる。ぎゃああああああ。掴まれたまま、佐倉は足をばたつかせた。だから、何で今それなの!
「じゃれてねえで、さっさと中入って座れ」
ムドウ部隊長が呆れたように声をかけてくる。いやいやいや、この状況のどこを見て『じゃれている』と判断するのかこの人は。あきらかに顔を潰されそうにな人と潰そうとしている人の図である。決して、『じゃれている』わけじゃない。こんな危険なじゃれ方があってたまるか。
佐倉はあまりの痛さに叫んだ。
「な、中に入れるような部屋じゃないじゃないですか!」
思わず、ラックバレーではなく、ムドウ部隊長に噛み付く。ラックバレーの手で覆われて見えないが、やってきたムドウ部隊長の部屋の汚さは想像を絶するものだった。部屋の中は足の踏み場もない状態で、床から積み上げられたファイルの山、山、山。紙書類の山だらけである。服や下着や食べ物が投げてあるということはないけれど、まるで整理されていない資料室に入り込んだような部屋なのだ。
もちろん座る場所など、あるわけもない。
「いったいどこに座れと!?」
顔が谷折りされそうな痛みと戦いながら、佐倉は抗議した。
ラックバレーもまた、ムドウ部隊長の言葉が不服だったらしい。こちらに続いて、抗議の声が上がった。
「じゃれてなんかねえスよ! いったいどこをどう見たらそう見えるんスか! ほら、ちゃんと締め上げてるでしょうが!!」
ラックバレーの抗議とともに、顔を掴む指の威力が増した。
「うぁぁあああ、ひしゃげる、やばい、ひしゃげる……!」
佐倉は、顔に張り付いたラックバレーの手を両手で引き剥がそうと必死になった。谷折りだ。このままいったら、本当に、顔を谷折られてしまう……!