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白天祭 ―四階―

 たった一ヶ月とちょっと。

 されど一ヶ月とちょっと。


 佐倉は踊り場から階段を見上げて、その言葉を反芻した。『一ヶ月とちょっと』前の自分なら、この階段を二段飛ばしで駆け上がったに違いない。しかし『一ヶ月とちょっと』後の自分は、最初の一歩すら踏み出せずにいる。


 グレースフロンティアへやって来て、一ヶ月とちょっと。

 佐倉は、すでに知っている。


 グレースフロンティアの四階は、魔の巣窟。

 なんせこの先には、特別なお部屋が並んでいるそうだ。ムドウ部隊長、牢番長、案内カウンター―――目の下にクマをこさえたチョビ髭の先輩隊員の話によれば、グレースフロンティアの上層部と特別職の人達の『自室』があるらしい。へえ、そう。佐倉はその話を深夜勤明けの無回転の頭で聞いていた。正確に言えば、深夜勤後の非番がなし崩しで立ち消えて、日中は昼街中を奔走し、気付いたらもう一度深夜勤明けの時間を迎えていた―――そんな時に言われたのが『四階は、魔の巣窟』という言葉であった。

 何の話からそんな話になったのかもさっぱりだ。もはや、へえそう、以外の言葉をぼんやりとした頭からひねり出すことも出来なかった。過去に誰かが「四階に部屋がある」と抜かしていた気がした。……気がしたが、睡魔に負けた。仮眠室のベッドで眠ることすら放棄した隊員達が、通路で気絶するように身体を横たえている中、佐倉も同じく通路の隅で眠りについた。爆睡だった。ラックバレーに耳を引っ張られて、叩き起こされる前までは。



「何してんだお前」

 ラックバレーの声が、佐倉の背中にかかった。振り返れば、目の下のクマどころか、すでに死相に近い顔の男がこちらを見つめている。何日、眠ってないんだろう。間違いなく、棺桶に片足突っ込んでいる顔だった。

「早く行けっつってんだろ。お前が居眠りこくから、面談の時間ぐちゃぐちゃなってんだよ」

 そうなのだ。それでラックバレーに叩き起こされたのである。

 チョビ髭の先輩は、佐倉に「四階のムドウ部隊長に会いに行け」と指示をした(らしい)。眠ったことで、幾分すっきりとした頭で考えても、全く記憶に無かった。憶えているのは「四階は、魔の巣窟」という部分だけだ。


 ラックバレーは佐倉を追い越し、階段を上がっていく。その足に躊躇はない。

「あ、あの、ラックバレー?」

 呼びかければ、もうすぐ棺桶に両足を突っ込みそうな顔の男が振り返った。

「四階って、新兵部隊員が、簡単に行ってもいい場所なの?」

 佐倉は訊ねた。


 四階への一歩を踏み出せずにいるのは、『一ヶ月とちょっと』の間に、グレースフロンティアの内情を聞きかじったのが原因だった。『一ヶ月とちょっと』前の自分なら、「四階は、魔の巣窟」と聞いても、具体的な想像は何も出来なかっただろう。『一ヶ月とちょっと』後の自分は知っている。四階に、上層部の部屋がある、ということは、だ。「煩わしいから」と、人に向かって平然と銃を撃つ三番部隊長の部屋もそこにある、ということだ。噂に聞くその頭のおかしいグリム部隊長と四階で鉢合わせたら、自分はいったいどうすればいいのか。死んだフリか。通路で、死んだフリでもすればいいのか。実際の三番部隊長がどんな人かは知らないが、佐倉としては今のところ、全然、知りたくもなかった。


 ラックバレーは最初、こちらの質問の意図が飲み込めなかったらしい。疲労の濃く出た顔をこちらに向け、しばらくして「ああ」と納得した声を上げた。最近、グレースフロンティアの隊員達はすこぶる反応が遅い。

「お前、ムドウ部隊長の部屋に行く前に、他の部隊長と遭遇するって心配してんのか。―――安心しろ。部隊長達は裏門を使うから、遭遇するようなことにはならねえよ」

「裏門?」

 裏門なんてあっただろうか。

 佐倉はグレースフロンティアの本部を思い浮かべた。いつも出入りに使用する獅子門は、間違いなく表門だろう。獅子門とは反対側にあるのは、医務棟の門だ。だが、あれを裏門なんて呼び方はしていなかったはずだ。


「裏門ってどこにあるの?」

「知らねえ」

 知らねえってなんだ。知らねえって。佐倉はラックバレーを見上げて思った。説明するのが面倒くさいってことだろうか。いやいや、ちゃんと教えて欲しい。場所が分かれば、その裏門とやらにだって安易に近づくようなバカな真似をしなくて済むのだから。ラックバレーは、いいから早く来い、と階段の半ばに立って親指で四階を示す。佐倉は口をへの字に曲げたまま、踊り場から動かなかった。ちゃんと裏門の話をしてくれるまで、動くつもりは無い。

 しばし無言の攻防。

 折れたのはラックバレーだった。


「本当に、知らねえんだって。裏門っつーのはな、どこにあるか分からねえ門だ。ある、って言われている。言われちゃいるが、その門を見たって話は聞いたことがねえ。まあ、ただ俺は、確実にある、とは思う。隊長達が獅子門から出入りしていたら、それだけで騒ぎになるはずだからな」

「つまり裏門って、隠し扉みたいなものってこと?」

 佐倉は、忍者屋敷のようなものを思い浮かべた。壁が反転するとか、獅子門の獅子の像の脚を撫でて抱きつくと、別扉が出現するとか。……いや、獅子門の獅子の像を撫でて抱きついている人がいたら、それこそ不審者だけれども。とにかく裏門というのは、そういう得体の知れない門らしい。


「でも、ムドウ部隊長は普通に獅子門を使っているけど、騒ぎになったこと、ないよね?」

「そりゃムドウ部隊長は常に、本部にいる人だろ。皆、見慣れちまって、むしろ時々ある不在日のほうが、逆に騒がれ……って思い出した。ムドウ部隊長に、お前をさっさと連れてこいって言われてんだよこっちは!」

 ラックバレーが階段を下りた。あ、肩に担がれる。ラックバレーの動きに、佐倉は咄嗟に腹筋に力を入れた。担がれると、肩の骨が腹に突き刺さって痛いのだ。勿論、頭が逆さになるから苦しいし、担がれる高さが高さだから落とされたらどうしよう、という怖さもある。


 ラックバレーが佐倉の前に立ち、手を伸ばす。佐倉は麻袋状態を予期して身構えた。靴裏が床から離れる―――と思って覚悟を決める。しかし、何も起こらなかった。

 目の前に立ったラックバレーが、中途半端な位置に手を伸ばしたまま、固まっている。



 あれ、肩に担ぐんじゃないの。

 ラックバレーは、よくそうやってこちらを運搬するのだが。特に、こっちの聞き分けがよろしくないとラックバレーがみなした時には、たいてい強制運搬されることになる。


 ラックバレーと目が合う。いつもにまして死人のような顔色の男が、困惑したようにこちらを見ていた。

「今、肩に担がれる、って思ったんだけど」

「いや、俺もそう思ったんだが」

「ええと、なんでそこで止まったの?」

「持ち方忘れた」

「ええ?」

 何を言い出したか。この人は。

「何度も何度もそうやって運搬されていた気が」

「うるせえな! ちょっと待ってろ。最初にどこを掴んでいたのか、思い出せねえんだよ!」

 ラックバレーが焦ったように言った。こちらに手を伸ばしかけては、掴む前に手を引く。まるで、本当に最初の掴み方が分からないようだった。いやいやいや、何度も運搬されたほうとしては、どうして今頃、肩に担ぐ手順が分からなくなるのか、心底問いただしたい。



「あの、ラックバレー、こっちの懐にタックルを決めるみたいに肩を近づけて……」

 佐倉は、自分の腹を指さした。

「で、そのままヘソあたりに肩をつけて、突き上げるようにして持ち上げてたんだと思うけど」

「懐にタックル、だあ?」

 こちらの助言に、懐にもぐりこもうと中腰になるラックバレー。いつでも来いと、佐倉も再び腹に力を入れる。ラックバレーは中腰のまま、こちらの腹あたりを凝視し、その後、動揺したように視線を跳ね上げた。

「おい、肩に担いだ後、俺の手はどこに置いてあった」

 ラックバレーの視線が、こちらの腰より下を彷徨った。

「ケツか。腰か。……太腿か」

 呟きが異常に重い。しかも何故か、眼前の男はどんどん憔悴していっている。

「………あの、ラックバレー、寝たほうがいいと思う」

 この人、いったい何日眠ってないんだろう。確実に、脳がやられている。そして、それは自分も同じだった。


 ラックバレーに担いでもらう必要なんて、ないだろ。

 佐倉は眩暈がした。なんで自分は、ラックバレーに担いでもらえるように助言をしているのか。


 踊り場で、担ぎ方を指導する新兵部隊員と、その指導を受ける先輩隊員。しかも指導を受けた先輩隊員は、こちらの懐にタックルを決めようと中腰だ。なんだこのレスリング試合みたいな様相。踊り場ですることでは断じてない。いや、踊り場以外ですることでも、断じてない。しかもラックバレーは、「以前の俺は、なんでいとも簡単に担げてたんだ?」と、訳の分からないことを呟いている。肩に担ぐ行為にもあっさり担げる時期と、担げなくなる―――スランプ時期があるのだろうか。いやいやいや、意味が分からない。全く意味が分からない。


 佐倉は脱力して、呻いた。

「疲れてるね。お互い、ものすごく疲れてるね」

「………そうだな」

 ラックバレーもこの妙な状況の中、ようやく我に返ったらしい。中腰の姿勢を戻して、階段へと引き返す。佐倉もそれに続いた。


 遠くで、祝砲の音がした。

 今日の日程は、佐倉の頭にも入っている。

 二日続く祭の一日めは、王城の騎士団のパレードが目玉だ。贅をこらした華やかなパレードなのだと云う。『皆』がとっても楽しみにしている。そう。『皆』、とっても楽しみにしているのだ。



 昼街へ、国内外から、人が、押し寄せ続けている。

 外門管理の隊員達を殺す勢いで、人々が殺到しているのだ。


「毎年、この日が来ると思うんだよな」

 階段を上りながら、ラックバレーが呟いた。

「白天祭なんてクソ祭は、この世から抹消するべきだ、って」

 佐倉は黙っていた。否定は出来なかった。同じように思っていたからだ。


 今頃、ホールを担当している隊員もまた、同じことを考えているに違いない。本部一階のホールは、この祭の賑わいを象徴するかのように、観光客と街の住民が押し寄せひしめき合いごった返していた。この惨状は、祭当日の今日突然、始まったことではない。もう幾日も、ホールは阿鼻叫喚という状態が続いていた。

 押し寄せた人々は、祭によって生じる大小様々なトラブルを『祭運営本部』であるグレースフロンティアに、時には涙を流しながら、時には怒りに震えながら、訴えてくるのだ。

 急ごしらえのホール担当の隊員達は、時には同じように涙を流し、時には罵倒し、時には客すら蹴飛ばし、時には過労で意識を失って担架に乗った隊員を羨ましげに見送りながら、押し寄せる人々に対応している。


 一階ホールは、もはや戦場だ。

 しかも昼街中のあらゆる場所より酷い、地獄絵図が広がっているのだ。

 近寄りたくない。本部四階と同じくらい、佐倉は近寄りたくなかった。


 以前のホールは、決してそんなことはなかったのに。佐倉は思った。以前の一階ホールは、人は大勢いたけれど、落ち着きがあった。すでに耳慣れた鎧のがちゃがちゃという音と声を抑えた人々の囁き声が心地良かった。そして、ホールの奥の案内カウンターから、煙草を燻らせる男が余裕綽々の笑みを浮かべながら、周囲を眺めていて――――


 先に階段を上るラックバレーのぶつぶつと呟く声がする。何を言っているか、聞き取れない。本人も独り言を言っている意識がないのかもしれない。

「―――それにしても」

 ふ、とラックバレーの呟きが耳に入ってきた。抑揚のない声だった。この先を歩く痩身猫背の男は、明日には本部のどこかで遺体として発見されるのではなかろうか。その死因は、佐倉でも分かるはずだ。過労死だ。ラックバレーが明日死んだら、絶対、過労死だ。

 もしかしたらすでに、棺桶に両足を突っ込んでいるかもしれない男の呟きは続く。



「カウンター、まだ復帰できねえのかなあ」



 それは抑揚のない呟きだったが、悲痛な叫びとして佐倉には聞こえた。

 そしてこれは、ラックバレーだけが思っている言葉では、決してない。



 ―――これは、今日から始まる白天祭に関わっている、ほぼ全てのグレースフロンティアの人間の、魂からの叫びであった。

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