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蝶のはばたき 8

 戸が開いた。厳しい表情の筋肉ダルマが立っている。その視線が、室内を彷徨った。ベッドサイドに立つ医務室長、ベッドに腰かけたバラッド、そして背を向け頭を抱えて丸くなっている少女、そして再びこちら―――バラッドのほうへと厳しい視線が注がれた。


「おい、仕事投げ出して、何してやがる」

「何って、チップの回収。ササヅカが持ってくることになってた」

 バラッドは、チップを指で摘まんで、振った。

 ムドウ部隊長の眉間の皺が、深くなる。

「なんでササヅカが、チップを持ってくることになってんだ? ササヅカは行き先も告げずにロビーから飛び出して行った。お前、確かあの時、そう言ったよな」

 バラッドは肩を竦めた。

 言った。今朝、ササヅカがあの厄介極まりない男に誘拐された時には、男のことをムドウ部隊長にも言うわけにも行かず、苦し紛れにそう言った。なんせ、掲示板で「H」と名前を伏せているのだ。本人がどういうつもりで名前を伏せているのか分からない以上、こちらも話すわけには行かなかった。うっかりやらかして、脳に銃弾を打ち込まれるような事態は、避けられるなら避けるべきだ。


 そして、あの段階では、あの男がどこへ行ったか、知る由もなかったのだ。

 さて、どう説明をつけるべきか。バラッドは思案した。

「ああ、途中で合流したんスよ」

 突然、ラックバレーの声がした。

「ササヅカの奴、一度なんか忘れもんをしたとかでアパートまで戻ったらしいんスけど、本部戻ってきたらカウンターで新しいチップを渡されて。それで俺らを追いかけてきて―――いやー、そのチップ、とんでもねえ性能なんスよ。おかげで、夕街の君に協力要請をする手間が省けました」


 すらすらと、言いやがる。

 ラックバレーの嘘だと知っているこちらまで、そうだったと思うような話しぶりだった。

 あまりに見事で、バラッドは改めてマジマジとラックバレーを見つめた。


 こいつ、新兵部隊で、いったい何をしてるんだ?


 力量もある。仕事だって手馴れたもんだ。サボリ癖は少々あるが、サボるのは訓練だけで、頼まれ事に関しては信頼できる。新兵部隊にいる意味が分からない。そういや昇格試験の時は、いつも、こいつの身には何かしらの不幸が降りかかっていた。試験希望部隊と新兵部隊の喧嘩を止めに行って巻きこまれて、怪我をして落ちる、とか。本部に女連れ込んで、それを上司に見つかって、説教中に意識飛ばして、目が覚めたら試験終わっていて落ちる、とか。風邪引いて死にかけて這って試験に出て、案の定何も出来ずに落ちる、とか。熱さにやられて倒れて落ちる、とか。道で花売りの荷車に轢かれて、落ちるとか。受験票をそこらで引っ掛けた女の家に置き忘れて、家がどこか分からなくなって、落ちる、とか。願書の記載内容が判読不能で、書類審査で落ちる、とか。―――あいつ、まともに受けたこと、なくねえか。


 そもそも、だ。

 バラッドは、すらすらと嘘を述べた痩身猫背男をマジマジと見つめながら、思った。

 本当に、そもそも、だ。

「お前、頭の傷なんとかした方がいいぞ。出血多量で死ぬんじゃねえの」

 バラッドはさすがに、そう助言した。

 ラックバレーは、先程の自傷行為で、頭部を切ったらしく派手に出血して、再び顔面を赤く染めていた。そんな男が、事態の説明をしている場合ではない。


 ムドウ部隊長も部下の顔を見て、嘆息した。

「医務室長、診てやってくれ」

 ムドウ部隊長の言葉に、医務室長は小首を傾げた。

「ヤブ医者は、診ても治せないかもしれないけどね」

 おや、トゲのある言い分だ。ラックバレーがササヅカを診てもらう時に言った「ヤブ医者」発言を根に持っているらしい。


「くだらねえことをネチネチと……」

 ラックバレーは、血まみれのまま、鋭く医務室長を睨みつけた。

「ボケたことぬかしてんじゃねえぞこのイカレヤブ医者がぁ」


 整った顔立ちの男は、薄い笑みを貼り付けて、銀縁眼鏡をのんびりと押し上げた。

「骨格標本に採用してあげようかこのモヤシ野郎」


 ラックバレーは頭に血がのぼったようだ。のぼった血は、常であれば体内の循環をするわけだが、今日は見事に出口があった。ぴゅっと血が脱出した。元気に飛び出した血液を目で追ったムドウ部隊長が、面倒臭そうにこちらを見た。


 何だ、こいつら仲悪いのか。


 バラッドの笑みを肯定と取ったムドウ部隊長は、早々に一喝をくらわせて場を納めることにしたらしい。すっと息を吸う。


「ん……やぁぅ」


 きりきりと緊張感が高まりつつあった場が凍りついた。

 バラッドが吹き出した。

「ササヅカぁ、絶妙なタイミングで啼いたなあ!」

 こちらに背を向けて丸まっている少女に、にやりと笑う。

「一瞬ムドウ部隊長が啼いたかと思って、見ろよ、トリハダ立った」

 殺気立ったのは、ムドウ部隊長だった。

「何を馬鹿なこと言って―――おい、バラッド、そもそもいつまでここでダラダラしてやがる!」

「おお、見事に飛び火したな」

「飛び火じゃねえ! 仕事に戻りやがれ!」

 そしてムドウ部隊長の目が医務室長に向いた。

「仕事放棄するなら、てめえはヤブで当然だろうが! それからな、ラックバレー、てめえもだ―――って、だからなんで、てめえは頭突きを始めるんだ!」

 ラックバレーは再び、血まみれの顔面を壁に激しくぶつけ続けていた。

「ん、やう、って、何語だ! まじで! 何語だ! それ!」

「やめんかアホたれ死ぬわボケ!」


 部下の奇行に、上司が首根っこを掴んで壁から引き剥がした。 

 完全に気がそがれたらしい医務室長が、白かったはずの壁を見つめて「見事に汚したねえ」と感嘆するように呟いた。混ぜっ返そうとしたバラッドは、部下を押さえつけたままの殺気立った筋肉男の視線に気が付いた。素直に黙って立ち上がる。


 随分と愉しんだ。

 バラッドは満足していた。だからムドウ部隊長の「散らねえと殺すぞ」目線にも、素直に従う気になれた。カウンターに戻ったら、やりたいことは山ほどある。祭。媚薬の件。それに、これだ。バラッドはチップを手の中で転がした。


 全く隙間が無いくらいぎちぎちの黒色に染まった円柱硝子。

 ふ、と思った。

 ―――早めに、取り込んでおくか。


 どうせ、中の情報整理は時間がかかる。少しでも早く答えに辿り着きたいなら、さっさと取り込むべきだ。他の作業と同時進行になるから、少し重くなるかもしれないが、まあ、大丈夫だろう。

 背後で、医務室長の声がする。

「ムドウ部隊長。その抑えている男のことだけど、出血多量で死ぬ前に、ムドウ部隊長の絞殺でカタがつくと思うけど、いいの」

 バラッドはにやりと笑った。いったいどんな状況だ。見たかったが、チップの処理を先に済ませてしまおうと思った。眠るササヅカのベッドのヘッドボードに、バラッドはチップの底辺を軽くぶつけた。力加減はゆで卵の殻にヒビを入れるのとほぼ同じくらいだ。それだけで、円柱硝子の底辺に亀裂が走った。


 亀裂から漏れる黒色は、接触している空気をかすかに歪ませる。いつものチップなら、チップを割ると、数字の羅列が飛び跳ねる。だがやはり今回は異なっていた。

 亀裂から漏れた黒色は禍々しかった。

 バラッドはその様子を見つめ、顔をしかめた。黒色の部分から、数字もさっぱり見えてこない。情報が圧縮されすぎて、使い物にならなくなっているのではなかろうか。


 背後は相変わらず、ぎゃあぎゃあと騒々しい。

 バラッドは笑いながら、チップを口へと運んだ。

 上を向き、口を開け、円柱硝子の亀裂が入った側を下に向ければ、黒色のそれが口の中へと流れこんでくる。


 いつもと変わらず無味無臭。

 バラッドは、そのまま、塊を嚥下した。


 嚥下し、振り返る。

 騒々しい新兵部隊の部隊長とその部下と医務室長を笑ってやろうとして―――


 脳の内部で一部の経路が、焼き切れた衝撃を味わった。おい、何だ今の。思わず、手が頭に伸びかけ、直後、来た。身体から力が急速に抜けていく。立っていられず、ベッドのヘッドボードを掴む。おかしい。バラッドは自分の身体の内部を探った。チップを取り込んだぐらいで、身体が機能を停止しかけている。脳が身体の機能を停止して、内部処理速度を速めようとしている。いや、絶対におかしいだろ! たかがチップで何故こんなに追い込まれているのか!


「バラッド……?」


 ムドウ部隊長の声が歪んで耳に届く。身体はすでにこちらの指示には従わなかった。くそ、脳が経路を強制切断しやがった!

 ぐらりと身体がベッドへと傾ぐ。感触は無かった。音も途切れていた。わずかな視界経路しか残っていなかった。わずかな視覚が情報を脳へと届けた。ラックバレーとムドウ部隊長が驚いた顔で駆けつける姿を最後に切り取って、視界経路も焼き切れる。



 バラッドは外と完全に遮断した状態で、先程取り込んだチップの正体を見極めた。

 声があったら、悪態をついたことだろう。

 足があったら、あの男を探したいと思った。

 手があったら、あの男を殴り殺したいと思った。


 バラッドは、機械のことなら何でもできるつもりであった。

 チップにどんな情報があっても、処理できないわけがないと思っていた。


 それが、機械の範疇に入るならば、だ。



 処理に奔走する脳が、次々と映像や声を蘇らせた。柔らかい肌の少女。魔法貧血。チップの歪で禍々しい色。ありえない情報量。再び禍々しい色。魔法貧血の少女と禍々しい男。あの男。あいつ、殺すべきだ。




 あの野郎。

 バラッドは罵った。

 この機械処理しかできない人形紛いに向かって。

 浮かぶのは青灰色の目をした男が、愉しげに笑う姿だ。損得で言ったら、損なことも、時々平気でかましてくる狂った男――――


 あの野郎、魔法の形で渡して来やがった……!




**********************


 雷鳴が聞こえた気がした。

 ああ、夕立の時間だ。

 佐倉は寝返りをうち、ようやく、深い眠りから目を覚ました。

 もう一度、眠りに引きずり込まれかけ、しかし、目蓋は緩やか押し上げられた。

 何故なら、隣にワイシャツのはだけた男が横たわっていたからだ。


 目覚めとしては完璧だ。佐倉は思った。インパクトは相当のものだった。だが状況がさっぱり見えてこない。なんで、私、今、ワイシャツはだけた男の人の隣で眠っているんだろう。


 しかも、佐倉の目には、隣の男が案内カウンターに見えた。

 見たこともない至近距離で、真横から案内カウンターを眺め、そしてその伏せられた目蓋を見つめ、咽喉仏、鎖骨、胸板と下がり……いったいなんぞこの状況。


「マズイな」

 野太い声が遠くから聞こえてきた。ムドウ部隊長の声だ。

「……カウンターがぶっ倒れたら……うちは……立ち行かなく……」

「ハヅィを置いとくわけには……すでにカウンター前が、信望者で収拾が…」

 ラックバレーの声もした。


 佐倉は首を動かした。

 まず目に入ったのは、壁の血だった。何の宗教かと思うくらい、べっとりと付着している。

 佐倉は思った。自分はまだ夢を見ているに違いない。

 ああ、だからバラッドさんがシャツもはだけた状態でベッドに横たわっているわけかあ。私の深層心理で案内カウンターを脱がしたいって思っているわけだ。成程、成程。


「いや、成程、じゃない。全然成程じゃない」

 いったい、どういう深層心理に陥ったら、案内カウンターを脱がしたいなんてことになるんだか。


 佐倉は肘をついて、上半身を起こした。戸口の外にラックバレーとムドウ部隊長が見えた。ムドウ部隊長が、腕を組んで険しい表情をしていた。夢にしてはリアルだと思った。あれ、やっぱり私、目が覚めているってことだろうか。

 厳しい表情で視線を落としていたムドウ部隊長が、視線を跳ね上げた。

 こちらに気付いたらしい。

 一瞬、ぐっと表情が締まる。引き結ばれた口元に、怒られると思った。でも、こちらを見つめたムドウ部隊長は、結局何も言わなかった。首を振って、自分の前に立つラックバレーに室内を顎でしゃくって合図をする。


 こちらに背を向けて立つラックバレーの肩が跳ねた。

 彼は勢いよく振り返った。

「てめえ、ようやく起きたか!」


 珍しく、嬉しそうに笑った男に、佐倉は夢だと確信した。


「血まみれの顔面とか、現実ありえないだろ」

 案内カウンターを半裸にしかけたり、ラックバレーを血まみれにしたり、自分の深層心理はいったいどうなっているのか。謝ったほうがいいレベルだ。特にラックバレーには。何故血まみれ。何故ラックバレーの血まみれを所望したか深層心理よ。謝れ。ラックバレーに謝れ。


 佐倉はそのまま、身体を倒した。


「ちょ、てめえ、何、二度寝かまして……」

 ラックバレーの慌てたような声。

「……寝たよこいつ。この非常事態に」


 いや、ラックバレーの顔が非常事態になっているわけで。

 ラックバレーの呆れ声を聞きながら佐倉は意識を手放した。

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