扉の先 03
甲冑男、モントールは『それ』を無視しろと言った。
でも無視させてくれるほど、『それ』――――紅の女は大人しくはなかった。
「サーサヅーカちゃーん」
床に転がって佐倉のことを呼んでいる。もちろん、モントールの言いつけ通り、放置することにしたけれど、名前を知られていると容易には無視できない。
それでもどうにか黙っていれば、紅の女は、頬をふくらませた。
「なにさ、あれの相手はするくせにあたしの相手はしてくれないってわけかい」
縛られたまま、うねうねと身体を動かして彼女は抗議している。
「不公平だよ。人種差別ってやつだよ」
うねうね。うねうね。うねうね。
芋虫みたいだ。何あの動き。ちょっと怖い。
「これだからニンゲンってのはさぁ。自分たちだけで群れて、こっちを迫害するんだよねぇ」
そう言うと、紅の女はこちらに背を向け、丸まった。
勝手に拗ねられた。佐倉としては釈然としない気分だ。こっちは群れた覚えもなければ、迫害した覚えもない。むしろ危害をくわえられかけたのは、こっちのほうだったはずだ。
「しっかし、あんたも紛らわしい子だねえ」
いじけたと思えば、こちらに背を向けて転がったまま、紅の女は可笑しそうにケタケタと笑い出す。
「村の子供じゃあないなら、最初っからそう言えば良かったんだ」
「言う暇なんて、全然なかったじゃない」
うわ。しまった。口に出しちゃった。
思わず息を呑む。
紅い女はごろん、身体をこちらに向ける。そしてニンマリ。
「おやまぁ、相手してくれるんだ。嬉しいねえ」
「いや、さっきのはなし」
「ダメダメ。さっきのはあり」
「とにかくなしで!」
「そう言いながら、会話はちゃんと成立してるんだけどねえ」
「…………」
な、なんてお馬鹿!
自分の失態に固まる佐倉に、紅の女は「成程ねぇ」と呟いた。
「あんた気持ちいいくらいに」
そこで紅の女は、言葉を切った。何、その続きはいったい何。馬鹿って言いたい? 救いようのないお馬鹿って言いたいのか。でも答えは紅の女からは語られなかった。紅の女は、続きは言わずに別のことを言ってきた。
「ねえ、あんたってちょっと変わってるねえ。その肌の色、あたしは長年ニンゲンを見てきたけど、そんな肌の色、見たことないよ」
何を言われているのか良く分からず、相手を見つめる。肌の色? 自分の指を見る。日に焼けたいつもの皮膚がそこにある。何が変なのかが分からなくて、佐倉はマジマジと紅の女を見つめた。
紅の女の肌は、確かに佐倉とは違う。白いと思った。それに比べれば、佐倉の肌は黄色がかっている。黄色人種だもん。白人とは違うに決まっていた。
でも自分の肌の色よりも――――
「貴女のその髪と目のほうがよっぽど珍しいと思うけど」
紅の女は、佐倉の言葉に赤い目を瞬かせた。
しばらくして、彼女は静かに囁くように言った。
「珍しい? あたしが?」
「え……あ、うん。赤い目なんて、初めて見た」
「おやまぁ、そりゃぶったまげたね」
何その斬新な相槌。
「ぶったまげることなの」
赤い目がもしや標準装備?
いや、でも思い出した村人たちはそんな派手な目をしていなかったはずだ。
「あんた、あたし達のこと知らないんだ!」
紅の女が面白そうに大きな声で言った。そりゃ知っているわけがない。なにもかも知っていると思うなよ。
口がへの字に曲がる。
「知ってるわけないし」
佐倉の言葉に、紅の女はゲラゲラ笑った。本当に腹をよじって笑ってる。息つぎが出来ないのか、ひいひいしてる。縄で縛られた女がひいひいって、なんか別の扉が開きそうな光景だ。まあ、今眼前の女は笑い死にそうなくらい、笑っているだけだけど。
でも笑われているほうは、もちろん、いい気分はしなかった。
佐倉の不機嫌が伝わったのか、笑い転げる女(もう最初から転がってはいたけれど)は、ごめんごめんと肩で息をしながら謝ってきた。
「あたし達のことを知らないなら、まずは自己紹介をしなくちゃあね」
そう言うと、紅の女は、床を――――信じられないことに、床をごろごろと転がってベッドに近寄ってきた。まさか転がってくるとは。佐倉はドン引きだった。テレビから出てくる幽霊より、縄でしばられた女が転がりながら近寄ってくるほうが、背筋がぞわぞわする恐怖がある。
そして紅の女は、腹筋で上半身を起こし、なんとまぁ、ベッドの上に顔を載せた。
顔だけベッドの上にあって、まるで生首が載っているようだ。怖ぇぇぇー。
「あたしは、ハルトさ」
そして、まさかの自己紹介。ベッドの上で、生首に自己紹介されるなんて人生そんなにあるわけがない。
「わ、私は笹塚佐倉、です」
「あれえ、名前が伸びた?」
「いや、伸びてはないけど」
それでモントールに名字しか名乗ってないことを思い出す。
「笹塚が名字で、佐倉が名前なだけ」
「ふーん? じゃぁあんたのことはサクラって呼ぶよ。しかし変な名前だねえ」
そしてまさかの、ベッドの上で生首と自己紹介をやりあった後、名前にケチをつけられるという全然ありがたくもない経験をした。
「ねぇサクラ?」
「何」
要所要所で、失礼な紅の女、ハルトはニンマリと笑った。
「お願いがあるんだけど」
「……何」
「あたしをさ、ここから逃がしてくんない?」
ハルトの言葉を借りるなら、
「おやまぁ、そりゃぶったまげたね」
ってくらいぶっ飛んだ発言だった。