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バルフレア・ハイン 16

 通信機を切った。通信機の配線から回線解析防止用の端末を引き抜いて、ラックバレーは項垂れ、疲労しきった顔を両手で拭った。なんだこれ。今、いったいどういう計画になってんのこの任務。


 通信機の先との当初の計画は、こっちがバルフレア・ハインに潜入し、案内カウンターが遠隔操作で機械ロックを外す、というものだった。魔法ロックは、案内カウンターもこっちもお手上げだ。自分に魔法の才能は無いし、案内カウンターにはもっと無さそうだ。どうあがいても、研究ギルドに太刀打ちできるもんじゃない。だから、魔法ロックはムドウ部隊長の知人任せという計画だった。極めて簡単な仕事。「よし、じゃあそれで」って、話し合いで決まったはずだった。

 こっちは、バルフレア・ハインへ行って、バルフレア・ハインの客人にご挨拶をして、あとは研究棟を散歩すりゃいい。なんとも単純。なんとも簡単。口笛吹きながらでもやれそうなレベル。


 それが―――いつの間にか、手に負えないものになっていた。



 ラックバレーは部屋の扉を開けた。扉の前には、紙袋を胸に抱える制服姿の、いや女子生徒用の制服姿の、いやいや女子生徒用のロングスカートの制服姿の、子供が立っていた。扉が開くと、大きな目でこちらを見上げてくる。そもそもなんで入り口前で待機なんだこいつ。鍵開けたんだから、入ってくれば良かったのに。

 ふ、と服の乱れが直っていることに、気がついた。どうやら、こっちを待つ間に、部屋の外で直したらしい。でも紙袋は胸前に抱え込んだままだ。


 その袋の中か。


「お前、チップ持ってんの」

 大きな目が、さらに大きくなる。きょとん、という顔だ。

 ……何だ、その顔。

 ラックバレーは、落ち着かなくなり身じろぎした。


「あ、これのこと?」

 変声期を迎えてない声がそう言って、手の平を見せた。

 開いた手の平に、チップがあった。

 見た。

 チップは見た。

 でも、認識したのは、手が小せえってことだった。

 そこ、じゃねえだろ。大事なのは、ササヅカの手の小ささじゃ、断じて無い。


 小せえ手に収まった硝子を見下ろし、なんだそれ、と思った。

「くろい……」

 一見してドス黒い。

 異様な黒色。それ、チップなの。まじでチップなの。そんな色だった。情報が蓄積すればするほど色が濃くなるのがこれの特徴だ。でも、このチップほど情報を詰め込んでいるのであろう色を見たことがない。しかも、これ最低保存容量のチップじゃないのか。その小ささ、間違いなく、どこでも使われる一般市民向けだった。


 ―――S1情報って、一般市民向けチップに、詰め込めるものじゃないだろ。


 バルフレア・ハインの機密文書の中では、扱いが軽い物。それがS1だ。だが、表に出てくる情報ではない。それが、一般市民向けのチップに入ってやりとりされたら、大問題だろう。だから、当然、一般市民向けのチップになど、入るわけが無い、というのが常識的な考え方だ。

 だが、この小せえ手の平にある、このチップを持って帰ってこいと言われたのだから、この中にS1情報が入っているというわけだ。本当に、当初の計画はどこへ逃げていったのか。案内カウンターに問いただしたい。


 チップを回収しようと指を伸ばしかけ、触れる前に手を引かれた。

 視線を跳ね上げれば、ササヅカと目が合う。手は胸の前で抱きかかえる紙袋のあたりに戻っていた。ササヅカは、戸惑っているような表情を浮べていた。

「これ、バラッドさんに渡さなきゃならないもの、だから」

「そりゃ奇遇。俺もそれを案内カウンターに持っていこうと思っていた所だ」

「ラックバレーも?」

 大きな瞳が見開かれた。続いて、素直な子供の目が、何かに気付いたかのように揺らめいた。

「もしかして、さっき私の格好のことで話していた相手って」

 言葉は切られた。

 そして、恐ろしいことに、本当に恐ろしいことに、ササヅカはこちらの胸に飛び込んできた。

 飛び込んできて、こっちの服を掴んで、その大きな瞳で見上げてくる。顔、真っ赤にして、怒っているんじゃなくて、これは、そう、恥ずかしがっている。感情が溢れて、目を潤ませて。

 そして、叫んだ。

「ラックバレー、制服のこと、今、バラッドさんに言った!?」


 続く呟きは、小声だった。

 うわあ、あの人にまで知られるとか。死ねる。こいつぁ素敵に死ねるぜ……

 こいつらしいトンチンカンな言葉は、くぐもって聞き取りづらかった。何故なら、ササヅカはこっちの胸に額を押し付けて、呻くように言ったからだ。小っせえ頭と、小っせえ肩。こっちの服を掴んでいる小っせえ指。息を吐いたのも、服にあたる感触で伝わる距離。おい、お前。ラックバレーは、自分の身体が傾いだ気がした。猛烈な眩暈に襲われる。お前、分かってんのか。いや、分かってねえだろ。



 ―――それ、抱きついてんのと変わんねえんだけど。


 

 くわえて、先ほどの、困りきったような声が脳裏に浮かぶ。

 ―――信じて、って言ったら……


 再び、脳が恐ろしい勘違いしかけた。

 がつんと脳が揺れた。

 いや、正しくは、がつんと脳を揺らした。

 ラックバレーは、開けた扉に思い切り、頭突きした。

 

 ササヅカはこっちの凶行に身体を押され、数歩離れた。

 その顔は何してんの、って顔だった。何してんの、だ? 素直な表情を浮かべた子供の顔にキレかかる。自分でも、何をしているのかよく分かってねえんだから、答えられるわえねえだろう! そんな状態で、ササヅカの顔を見たら、凄まじく頭にきた。

 ただ、やばいことだけでは確かだった。

 手に負えないと、警鐘が頭の中で鳴り響いている気がした。

 眼前のこいつと制服(女子用)の組み合わせは、こっちのこれからの人生を崩壊させようとする危機的な何かがあった。何だかわからんが、近寄るべきじゃない危険なものであることに間違いが無い。


 だから、ラックバレーは相手の頭を掴み、部屋の中へと押し込んだ。

 かわりに自分が、外への石畳の境界線を跨いだ。

「着替えてろ!」

 こちらの言葉に、ササヅカが、こいつ特有の目を丸くする表情をした。さっきも見た、きょとん、ってやつだ。その素直な顔と、かすかに小首を傾げている姿と、勘違いさせる厄介極まりない服の組合せが凶悪だった。凶悪すぎた。くそ、脳がイカレて、目が腐りはじめたに違いない。こいつ、可愛―――んなわけあるかあ!!


 ラックバレーは怒鳴った。

「いいか、俺がミカエル達を連れてくるまでに、さっさと着替えて、その服燃やしとけ!」

 

 燃やせ。

 心底、願った。

 絶対、その服が原因だ。

 この勘違いは、制服以外に理由が、あるはずがないのだ……!

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