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バルフレア・ハイン 12

 首が、もげるかもしれない。

 佐倉は痛みに、身体を丸めようとした。でも背後の人の腕力で、無理やり起こされているのでは、それも叶わなかった。頭、落ちるんじゃないだろうか。噛み切られて、ごとんって落ちるんじゃないだろうか……!


 こんな危機的状況、平坦な機器音声が佐倉の叫びを遮った。


「S5用のチップではありません。S5用のチップではありません。容量が足りない為、データの移動を中止します」


 中止?

 中止、って何。


 佐倉は叫び声を出し切って、痛みに喘いだ。

 つまり、何か。頭が真っ白になる。こっちが背後の人に首を噛まれているというのに、まだ終わらないって言っているのか、あの半顔石膏!

 まだ終わらないどころか、中止ってことは永遠に終わらないってことだ。

 死ぬ。首、千切られて絶対、死ぬ。


 佐倉は、再び机を膝蹴りした。

「いいからさっさとやれよ!!」

 佐倉の言葉に反応するように、隣の狼も今までとは全く違う咆え方をした。

 まるで敵を威嚇するような唸り声。

 機器音声が再びざらつく。


「S5、保存中。保存中……」

 その時だ。水が湧いている所に手を浸しているような感覚が、手の平に生まれた。

 どんなに必死に手の抜こうとしても、机上の膜内から全く動かなかったのに。

 手、押されて戻ってきてる……?

 佐倉の手と一緒に、片手と重なっていた大きな手も、隣の獣の両脚も、そして円筒硝子も、膜表面へと押し上げられて揺らめいた。



 手首、手の甲、そして指先と徐々に解放され――――

 ついに佐倉の手は、机から完全に解放された。 

 後は無我夢中だった。叫び、飛び跳ね、闇雲に手を振り、横へ逃げ、扉に向かって逃亡を謀った。ハーヴェストは追ってこなかった。掴まれることもなかった。ノブに手をかけ振り返った時、佐倉は理由を知った。

 振り返った直後、狼の爪が空を切っていた。続く牙もまた、獲物を捕らえず空振りに終わった。佐倉と同じように、自由の身となった四足歩行の獣が、体勢低く牙を剥き出しにして唸り声を上げている。その視線の先には、二足歩行の獣がいた。


 あれ、あの狼―――教授、味方してくれている? 

 佐倉は噛まれた首におそるおそる触れながら、一人と一匹の動向を覗った。教授が唸り声を上げ牙を剥いているのは、間違いなくハーヴェストだ。

 協力、していたんじゃなかったのか、あの一人と一匹。


 突如、狼の獲物となった白衣の男は、狼の猛攻にも慌てた様子が無かった。彼は佐倉の方へと視線を寄こし、ドアノブに手をかけているこちらを見て、面白そうに口角を引き上げた。


「時間切れだな」

 ハーヴェストはそう言った。机の上へと手を伸ばす。狼が一際大きく唸り声を上げる。ハーヴェストは動きを止めた。

「教授、チップを取るだけだ。これをグレースフロンティアの案内カウンターに渡す。そういう話、だっただろう?」

 ハーヴェストはそう言うと、指で摘んだ『それ』を佐倉の方へ投げて寄こした。

 

 うん、こっち、投げてきた。

 佐倉は慌てて両手でキャッチした。

 手の平に乗ったのは、やはり、円筒硝子―――チップだ。


 しかも、色が劇的に変化している。

 この部屋の扉を叩いた時、佐倉が持っていた円筒硝子は無色透明だった。無色透明の硝子の中に、無色透明の液体が入っていたはずだ。

 今や、無色透明の硝子の中は、黒色の液体へと変化している。揺れ動く隙間も無いくらい、満杯の黒色だった。

 最初のチップを見ていたからこそ、佐倉にも一目で分かった。

 満杯。これは絶対、何か情報、で満たされた状態だ。よく分からないけれど、情報を略奪できたことは確かだった。


 そして、このチップが自分の手にあるということは。

 聞くまでも無い気がした。

 ―――お前が、案内カウンターへ届けろ。

 と、いうことなんだろうきっと。しかも渡されたってことは、ハーヴェストはついて来ないってことだ。ここで、一緒に来ないの、と問えば再び「一緒でなければ、出来ないのか」と揶揄されるに決まっている。


 それでも若干の抗議を兼ねて、佐倉は視線を投げた。白衣の人にはやはり通用しなかった。むしろたった今、味方についてくれた教授ですら、戦闘体勢を解き、こちらにその鼻っ面を向けていた。隣の白衣に噛み付いてやればいいのに。やってやれ教授! 念じてみたが、狼に通じるわけもない。


 佐倉の想いなぞ露知らず、狼は滑らかな床をかしゃかしゃと爪音をさせ動いた。ハーヴェストの前を素通りする。そのまま部屋の隅へ行くと頭を垂れた。鼻先に紙袋。その落ちていた紙袋を口にくわえて、頭を上げた。

 それは佐倉が見当違いな方向へ投げた紙袋―――洋服を入れた袋だった。

 教授はくわえて持ち上げた。

 教授はこちらへと顔を向ける。

 なるほど、持ってきてくれるらしい。

 出来ることなら、置いておいて欲しかった。自分で取りに行くから。正直、自分の大きさを遥かに超える動物が近づいてくるのは、怖かった。佐倉はいつでも逃げられるように扉に片手をついた。


 あと数歩、という所で、室内に冗談交じりの唸り声が響いた。狼が立ち止まり、振り返る。佐倉も音の出所を見た。ハーヴェストが白衣のポケットに手を入れ、笑った。そして狼の唸り声を器用に真似してみせる。それは先ほど、ハーヴェストが佐倉に円筒硝子を投げた際の、教授の唸り声のようだった。


 真似、してるんだよね?


 佐倉は教授を見た。その横を向いた顔が―――紙袋をくわえる口の端が、引きあがっているように見えた。まるで笑っているように。いやいや狼は笑わない。狼があまりに人間くさいから、いや、ハーヴェストがあまりに獣っぽいから、混同しているだけだ。

 狼が頭を一度振り、数歩で佐倉の前にやってきた。そうして紙袋を佐倉の鳩尾に押し付ける。


「あ、ありがとう、ございます」

 佐倉は紙袋を受け取った。あとはもう、ここにいる理由が無かった。

 佐倉は頭部が半分にならずに生還できることに安堵しつつ扉を開けた。そして安堵しているはずなのに、なんとなく後ろ髪引かれる思いで振り返る。

 手前に狼がお座りしていた。佐倉と目が合うと、ぱたんと一度、尾で床を叩いた。

 さらに室内へと目を向ければ、机の前に白衣の男が立っている。

 彼は笑みを深め、ゆっくりと頷いた。


 その頷きに後押しされるように、佐倉は扉から一歩出た。視線をハーヴェストに向けたまま、扉を閉める。両扉の間からハーヴェストが片手をポケットから出すのが見えた。そうして彼は、自分の白衣の襟を指で二度叩いた。彼は何か言った。笑いながら。

 何?

 佐倉も扉を閉める手を止めず、声無く訊ねた。扉の隙間からハーヴェストが再び白衣の襟を叩き、口を明確に動かした。

 短い単語。

 奇跡的に読み取れたのは、扉を閉めた直後だった。


 彼は言った。

 自らの襟を指し、こちらに向かって。


 ―――『乱れてる』


 佐倉は、扉を閉めてから自分の服を見下ろした。シャツの裾はスカートから出され、ほぼボタンは外されかけている。うん、そりゃ乱れてる。拘束されて後ろから脱がされかけたんだからね! そりゃ乱れているに決まっている。

「やらかした当人が言うな!」

 佐倉は扉を蹴っ飛ばした。中からの反応は無い。いや、反応があっても困る。というか反応があったら凄く困る。

 

 今、蹴ったのでハーヴェストが、面白がって出てきたら、もの凄く、困る。

 扉が開いて肩を掴まれるのを想像して、佐倉は慌てた。

 片方に紙袋、片方に円筒硝子を持ったままボタンを留めようとする。通路のあまりの薄暗さに、ボタンを留める手もおぼつかない。

 佐倉は紙袋を口にくわえ、片手の自由を確保した。


 その時、だった。


 ぐい、と肩を掴まれたのは。

 勢い良く、振り向かされて、紙袋をくわえたまま息を呑む。

 そこにいたのは、扉を開けた白衣の男、





 ――――では、なかった。

 いや、白さでは負けていないと思ったけれど。


「―――で、てめえはここで何をしてるんだ?」

 薄暗くても、その聞き慣れた声で分かる。

 特有の猫背で分かる。

 肩を掴む指の細さでも分かる。



 ラックバレー。

 佐倉は目を見開いて固まった。

 補足するなら、シャツのボタンを掴み、紙袋をくわえたまま、固まった。


 通路の蝋燭灯りでもラックバレーがすでに眉根を寄せてこちらを不審そうに見ているのが分かった。口にくわえた紙袋を見つめて、何か言いかけた口を閉じ、さらに下へと視線をおろし、留めかけている腹辺りのボタンを注視し、さらに下、乱れた裾とロングスカートを凝視して、その後、凝固した。


 蝋燭灯りの狭い通路。

 動けない二人の間に、奇妙な沈黙が落ちた。


「お前」

 数秒後、ラックバレーが、動揺したように視線を跳ね上げた。

「……ここで、何をしてたんだ?」


 …………なんか、質問が過去形になりました。

 こちらが逆に聞きたい。

 何を思って過去形に変更したのか、と。

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