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バルフレア・ハイン 09

 足がすうすうする。

 佐倉は、上がってきた石階段を振り返った。階段下の踊り場は、石壁に取り付けられた燭台でどうにかその存在が浮き彫りになっている。暗いからはっきりとは言えないが、背後には誰もいない。それでも落ち着かなかった。

 いや、この薄暗さに落ち着かないのではない。

 問題は、この腰から下を覆っている物だ。

 佐倉は早足で階段を上った。女子高校生って凄いと思う。もちろん、日本の女子高校生だ。膝上が当然と思っている日本の女子高校生達は本当に凄い。駅の階段を平然と上り下りしていた、つい最近までの自分に言ってやりたい。


 ――あの隠す面積の少ないスカートで、よく堂々と歩いていたものだ、と。


 今に至っては、スカートの丈が長くとも全く落ち着かなかった。足がすうすうする。スカートって、驚きの構造だ。腰をおさえただけなのだ。今、着ているものは長い丈だから、人様の目に生足が晒されることはない。だが、スカートの中で剥きだしになった足は、動かすたびに風をきる。物凄く、無防備になった気分だ。


 着てきた服を入れた紙袋を片手に、もう片手にはチップと呼ばれた硝子を握り締め、佐倉は二階へと辿り着いた。階段から真正面にも廊下が続いている。薄暗い石の通りに、時折、真四角に一際、明るくなった場所がある。入り口が開いていて、中の光が薄暗い廊下を照らしているらしい。開いた入り口からは、子供達の音読をするような声もした。


 学校にいるんだと肌で感じた。いかがわしい外観の建物でも、学校ならベッドタウンのこの街にあっても許せる。むしろ家族は、子供達を別の街へ通わせるほうが心配かもしれない。通学で使うのが、あの緑の変なやつだとしたら、登下校が無駄に命がけすぎる。


「右、四番目の、扉を叩く」

 ハーヴェストに言われた言葉を繰り返す。

 右の通路は真正面の廊下より、狭い石通路だった。開いている扉も無いのか、燭台の灯りだけが頼りだ。人がいるのかどうかもはっきりしない暗さだ。緊張感が増す。授業中なのだ。そんな時間に、偽物の生徒がうろついて、大丈夫なんだろうか。

 大丈夫なわけがない。

 引きとめられたら、最後だ。質問されても、行き先も何をしに行くのかも、答えられない。

「右、四番目、扉」

 早く行かなくては、と気持ちが急いた。


 そうして見えてきた扉は、行き過ぎた三つの扉とは少し形が異なっていた。

 四番目の扉は、両開きの扉だった。今までは片開きの装飾もない戸だったのに、四番目の入り口は立派な装飾の施された重厚感ある扉だ。立派な扉なのに、扉の真上に設置された燭台の蝋燭は、凄まじく貧相だった。燭台の蝋燭はほぼ尽きている。どうにか最後の一本の蝋燭が揺らめいていたが、一本程度の蝋燭では、その足元すら明確に照らしてはくれなかった。

 そして、その扉には、銅でできたようなプレートが一枚、打ち付けられていた。


『マカラム教授』


 つまり、マカラム教授の部屋ってことだろうか。ハーヴェストの言葉が思い出された。―――教授がいる。教授にそのチップを渡せ。

 佐倉はチップを握り締めたまま、そっと、扉をノックした。

 二回ノック。

 緊張したまま、手を引っ込めて様子を伺った。

 返ってくる声は無い。……あれ?

 もう一度、今度は堂々と二回、扉をノックする。


 反応無し。いやいやいや反応が無いとか。佐倉は困惑した。中に誰もいないってこと? それとも間違えた? いや、確かに四番目の扉はここで合っているはずだ。佐倉は思わず扉を強く蹴った。ノックより遥かに大きな音がした。でも、反応は無い。コノヤロと思った。どうやら全然ダメ。渾身の力で叩いてやろうか。佐倉は拳に力をこめた。ふんぬ、と腕を振るいかけ―――


「すみません、そこの方!」

「―――ふん、」

ぎゃああ! 廊下側から声をかけられた! 佐倉は飛び跳ねるかと思うくらいに驚いた。声をかけてきたのは、佐倉がやってきた階段側からだった。薄暗い廊下では、ぼんやりと人がいるな、程度しか分からない。でも確実に、人がいて、その人が声をかけてきている……!


 まずい、どこから見られていたんだろう。蹴ったところは見られていませんように。蹴ったところは絶対見られていませんように!


「は、はい……?」

「道をお聞きしたいのですが」

 大層、凜とした良く通る美声だった。

 そして、不思議と聞き覚えがある。うんうん、最近やたらと突っかかってくる声に良く似ている。訓練でも一度はこちらを転ばさないと気に食わないという感じの、凜とした中性的な声。


 でも、そいつがここにいるわけがない。

 だって、そいつは遠く離れた昼街の傭兵ギルドの本部にいるはずで……


 階段前の人影からもう一度、声がかかった。

「学長室はどちらでしょう」

 ダメ押しの一声だった。

 その声から思い浮かぶのは、金色の髪をオカッパにした白冑の美童の姿だけだ。


 ……いやいやいや、ここにいるわけが……!!

 佐倉は固まった。声も出なかった。

 どんなに否定しても、あの階段前に立っているのは―――

 

 ミカエル・ハヅィだ。

 間違えようがない。この凜とした説得力のある声。もう声からして人を惹きつける将来有望な声。

 どうして。

 どうして、ミカエルがここにいるんだろう。


「デイシーに任せておけばいいんじゃねえの」

 投げやりな声が階段側の人影から聞こえた。

 ミカエルの声より衝撃だった。

 ミカエルの声より、遥かに聞き覚えがある。―――だってその人の声は、ほぼ毎日、すぐそばで聞いているのだから。

「ラッ」

 言いかけた。 

 あの先にいるであろう猫背で血色の悪い痩せた男に飛びつきたかった。飛びついて、こちらの事情を説明して、一緒についてきて欲しかった。絶対、面倒臭がるけれど、あの人ならきっと―――


 布地が膝に触れて、駆け出しかけた足先がぴたりと止まる。

 足元が、すうすう、する。


 佐倉は、今の自分の姿を思い出した。制服だ。女の子の制服だ。

 この格好で、ちゃんと説明出来るだろうか。

 仕事の内容は、ちゃんと説明出来ると思う。

 問題はこの格好。このスカートの説明が、ちゃんと出来るかどうかだ。


 佐倉には、どう説明していいか分からなかった。――――ラックバレー、あのさ、ちょっとお仕事を手伝ってほしいんだけど! え、この制服? ああ、趣味、趣味。潜入する時は女装って決めてるんだ! ……うん、ダメだ! 全然意味わからん!


 そして何よりも、ラックバレーやミカエルにこの格好を見られると思うと、猛烈な羞恥心に襲われた。それはもう、知り合いの前を真っ裸で歩くくらいの恥ずかしさだった。この格好で、ラックバレー達の前へ行くのは、あり得ない。鎧着るより恥ずかしすぎる!


 こちらの衝撃など露知らず、階段先の一塊の影からは、のんびりとした声がした。

「坊ちゃんは、ここ卒業してねえだろ。少なくともデイシーはここに通っていたんだから、デイシーに任せりゃいいだろ」

「それで行き着いたのが食堂だったのは、何故だ、デイシー」

「あぁぅ」

 気弱そうな少年の声がする。

 佐倉は思わず最高の笑顔で微笑んだ。

 わあ、素敵。

 チロもいる。

 即座に行動が決まった。逃げよう。とにかく逃げよう。この格好で皆に会うなんて、それこそどんなプレイ。佐倉は扉に手をかけた。ドアノブを回すと、かちり、と音がした。ゆっくりと引っ張ると――


 開いた。


「失礼、学長室はここを直進で合っていますか」

 ミカエルの声がかかる。

 佐倉は、激しく頷いた。

「合ってます!」

「それから?」

 それから、も何も知らない。

「ひ、左! そこがそうです!」

「ああ、ありがとうございます」

 ミカエルの声が柔らかくなる。ちょっと感動した。こいつ、こういう他人への配慮とか愛想といった対人スキル、ちゃんと持ち合わせていたらしい。

 最近、あの白冑の美童の中で佐倉という存在が、目に付かないそこら辺の綿埃から、絶対目に付く粗大ゴミへランクアップした。以前の軽い無視扱いから、いまや訓練では必ず一度は剣をはじかれる『気に入らない奴』へ見事に昇格を果たした身としては、こういうミカエルの対応は新鮮だった。

 人影がひとつ動いた。そのきびきびとした影を、慌てて小さな影が追う。

 でも最後の影が、動かなかった。


 きっと、ラックバレー。

 佐倉は扉のノブに手をかけたまま、その影を凝視した。

 気付かれた、かも、しれない。

 瞬きもできなかった。


 動かなかった人影が、もぞりと動いた。

「どーも」

 影は、ラックバレーの声でそう言った。

 そして前の二人を追っていく。三人の影はいなくなった。

 うわあああ、もう!

 佐倉は勢い良く扉を開き、逃げるように中へと駆け込んだ。


 心臓が激しく打ち、変な汗をかいている。

 頭の中で、先ほどの再会を反芻する。やはり、最後までこちらを見ていたのはラックバレーだった。

 うん。ラックバレーだった。

 ラックバレー達がいた!


 佐倉は閉めた扉に額を打ち付けた。改めて思う。いったい何しに来たんだろう。そして不安に襲われた。ラックバレー達は、直進して左に何もなかったら、戻ってくるのだろうか。怪しいと思って、この扉を叩くだろうか。佐倉は慌てて鍵に手をかけた。これで外からは誰も入って来れない。そうは分かっていても、怖かった。

 佐倉は固く目を閉じた。ハーヴェストはグレースフロンティアの為にやっていると言った。でもその話をラックバレー達が知っているわけがない。すると、ラックバレー達に見つかったら、自分は捕まるのだろうか。怖いと思った。それはもう、震え上がるくらいに怖かった。


 やることやって、即座に帰ろう。

 必死に心を落ち着けて、握り締めたままだった硝子を意識する。

「そうだ、教授」

 佐倉は扉に額をつけたまま、思い出した。

 四番目の扉の先には教授がいる。


 扉から顔を上げる。振り返ろうとした瞬間だった。

 額をつけていた扉が、軋んで揺れた。

 何事……? 

 振り返ろうと顔を横へと向ける。佐倉の目に、黒い塊が飛び込んできた。それは、漆黒のごわごわとした毛の生えた脚、だった。

 思わず、漆黒の毛に覆われた脚をつたい見る。すると扉の板に食い込む爪に行き着いた。わあ、立派な前脚。佐倉は感嘆した。顔くらいの大きさはあろうか。四足歩行の立派な前脚だった。


 うん、前脚だね。

 理解して、瞬時に、なんだそれと思った。

 扉板に食い込む鋭利すぎる爪を見ながら、本当に、なんだそれと思った。


 首筋に獣の―――本物の獣の呼吸音がした。犬のように舌を出して呼吸する音だ。

 音に気付いて、佐倉は反射的に振り返った。


 振り返らなければ良かった。

「あ、あ、あああ」

 扉と挟むように佐倉を見ていたのは―――

 扉に両前脚をかけて立つ、大人の男の人くらいあろうかという大きさの。


 狼、だった。


 佐倉は狼と対峙したまま、後ろ手ですぐさまドアノブに手をかけた。巨大な獣の爪が食い込み、体重が掛かっているドアはビクともしない。がちゃがちゃとドアノブを回す。ロックが掛かったように反応が無い。いや、そもそも。佐倉は思い出した。


 さっき、自分で内鍵、締めたしね!

 ラックバレー達が入ってきたらどうしようと、鍵をかけたのは自分だ。

 ぅわあーい、巨大な獣に、自ら鍵までかけて、はい召し上がれ、をしたってわけだ!


 しかも比喩表現でなく、リアルに餌だ。本当に食いちぎられて狼の胃袋行きだ。死ぬ。学校で狼に食い殺されて任務失敗ってやつだ。

 佐倉は獣と正面に対峙したまま、内鍵を開けようとした。自分でも驚くくらい指が震えていた。何度か失敗し、がちゃん、と鍵が回る。ドアノブを掴みなおそうとした時、狼が動いた。その鼻っ面で硬直する佐倉の額を押した。額を押されて、後頭部が扉につく。押され続けて、自然と顎が上がった。


 ―――仰け反って露になったのは、首だ。

 佐倉が息を呑む。首が、無防備。


 狼の瞳が、金色に輝いた。


 佐倉は自分の未来を悟った。

 首だ!

 首を噛みちぎられる!

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