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バルフレア・ハイン 07

 何故、私達は、こんな所に座っているんだろう。


 佐倉は石の長椅子に腰を下ろしたまま、ぼんやりと思った。

 隣には、ハーヴェストがのんびりと腰かけ、石壁に背を預けている。この人の手は相変わらず、こちらの手と繋がっていて……試行錯誤、策を練って自分の手を奪還しようと試みたが、どうにも出来ないと悟った。それからは、そのまま忘れることにした。―――ほぼ、忘れることに、失敗しているけれど。


 佐倉は、隣の存在を極力無視して、広いエントランスホールへと目を戻した。

 ここは、隣の人曰く、ガクジュツトケンキュウノギルド、らしい。それがどんなものかは、このエントランスホールが多少なりとも教えてくれている。


 ガクジュツトケンキュウノギルドのエントランスホールは、外観から佐倉が想像していたものと、少し違うようだった。いかがわしい吸血鬼の住処というよりは、中は無骨な印象を受けた。外の通りと同様に石畳が敷き詰められていて、内部の壁は剥きだしの石壁だ。

 壁を覆うタペストリーが、視覚に温かみを加えてくれた。でも、肌が感じるのは石の壁が伝えてくる肌寒さだった。

 ここにはシャンデリアは無い。天蓋付きベッドも登場はしないだろう。薔薇は、咲いているかもしれないが、手入れはされていないかもしれない。そして、大理石の浴槽に薔薇を散らすことは、絶対無い。

 想像していたのは、滑らかな床に豪奢な絨毯が敷かれている光景だった。だが実際は、ごつごつした石路に、薄汚れた赤茶色の絨毯が敷かれている。


 昼間なのに採光できる窓が無く、壁の蝋燭が周囲を照らしている。

 退廃的、というより、陰気。吸血鬼より、地下牢にもっと野蛮な怪物が閉じ込められていそうな不気味さがある。


 そんな陰鬱な建物内を、制服を着た子供達が元気に駆けて行く。白衣の老人は、両手に持ったビーカーをさらに掲げて、子供達とぶつからないように脇へと逃げた。エントランスホールには人が大勢いた。佐倉は蝋燭の明かりより、人の多さに心が救われた気がした。

 行き交う人は性別、年齢も様々だ。そこも佐倉が見慣れた傭兵ギルドとは大きく異なる。光で溢れたグレースフロンティアのホールは、鎧兜と依頼客のオッサンでごった返している。もう見慣れてしまった鎧兜がここには全くいなかった。


 幸いにして、制服も白衣も鎧も着用していない佐倉達でも、奇異な視線を向けられることは無かった。ホールには、ガイドマップ片手の観光客も混じっていたからだ。制服の子供達も白衣の大人達も、観光客の存在を気にする素振りがない。観光客がここにいるのも、日常の光景ということだろう。ガイドマップを持った観光客達は、人々には目もくれず建物の内部を見回していた。


 やはり、建物自体が観光する価値のあるものらしい。


 もちろん、私達は観光をしに来たわけではないはずだ。

 エントランスホールの薄暗い隅っこで、佐倉は思った。長椅子に座って周囲を眺めているけれども、これが目的、では絶対無い。

「で、何をしに来たの」

 佐倉は、周囲に顔を向けたまま、その質問を隣へぶつけた。

「ご飯でも」

 佐倉は言葉を切って顔をしかめた。すぐに顔が熱くなる。

 でも、訊かないことには始まらない。

「二番、でもないよね」

 密着している腕から、隣が声も無く笑ったのが伝わった。きっと口元に笑みが浮かんでいるはずだ。

「何も知らなければ、発覚しても無罪放免だ。それでも聞くか」


 ……………うん、たった今、隣の人が、さらっと凄いことをおっしゃられました。

 成程、この隣の人、罪に問われることをやりに来たらしい。


「知った後で、事態が明るみに出れば、俺と牢獄まで付き合うことになるぞ」

 ハーヴェストの声は、穏やかだった。

 平常より穏やかに、物騒なことを言っている。

「ああ、うん」

 佐倉は頷いた。間の抜けた相槌に、隣は興味を持ったらしかった。

「ああ、うん?」

 ハーヴェストが佐倉の言葉を繰り返す。

「それは、知らずに連行されるってことか、それとも、知った上で行動を共にするということか? ―――その返事じゃあ、分からないんだがな」

「ああ、うん、どっちにしろ牢獄にぶちこまれることを、やりに行くんだなって思っただけ」

 ハーヴェストは笑った。

 繋いだ手に、少しだけ力が加えられる。


 佐倉は急に、心が落ち着かなくなって、隣の存在が無視できなくなった。

 自分の背筋が緊張するように、伸びるのが分かる。ホールの人の流れを眺めていた顔が、自然とハーヴェストにひきつけられた。彼は壁に頭を預け、半眼でこちらを眺めていた。

「守られて、安全に、何も知らないままでいるか」

 青灰色の瞳が輝きを増す。

「それとも、共に泥の中を這いずりまわるか」

 ゆっくりと彼が身を乗り出した。壁に預けていた背が、壁から離れる。覗き込むように顔が近づく。

 ぐわ、とハーヴェストの意識が、こちらを向くのが分かった。圧倒される。ハーヴェストの威圧感が、襲いかかってきた。温かいお湯に浸かっていたような感覚が、現実に引き戻された。五感の全てが苦しいとつげてくるような圧迫感を感じて、佐倉は息が出来なくなった。


「どちらが好みだ―――ササヅカ、新兵部隊員?」

 どちらが好み?

 ええとなんだっけ。

 圧倒されすぎて、一瞬、意味が飲み込めなかった。

 つまりは、これから起こる犯罪行為を知らないまま、安全にやり過ごすか、それとも一緒に頭のおかしい犯罪を嬉々としてに実行するか。

 どちらが好みか?

「私は」

 急に胸が苦しいと感じた。そうだ、まず息を吸わなきゃ。

 圧倒された感覚の中、佐倉はもがいた。息を吸って肺に酸素を取り込んだら、力も湧いてきた。

 佐倉は言葉を続けた。


「私は、安全なのがいい」

 そうだよ、この身に危険が及ばない選択肢が、一番良いに決まってる。

「安全、ねえ」

 ハーヴェストが少し首を起こした。

「つまり、お前は、何も知らないままでいることを選ぶか」

 身に襲い掛かってきていた圧迫感が、急激に失われる。

 青灰色の瞳が、熱を失う。興味がなくなったようだった。掴まれていた手に込められた力が弱まった。


 ハーヴェストはあっさりと身を引いた。

 背を再び、壁に預ける。

 でも、佐倉には閉じた瞳と離れた距離が、心の距離も表している気がした。


 だから、こちらが繋いだ手を強く握った。

 握ったまま、強く引っ張る。びくともしなかった。

 佐倉はさっきの距離が良かった。

 それなのに、全然、彼は首をこちらに傾けて顔を覗きこんでくれない。空いている手が伸びる。ハーヴェストの服の胸倉に指がかかった。思い切り、引っ張る。


 さすがに、その行動は予期していなかったらしい。青灰色の瞳が見開かれた。

 胸倉を掴む手で引っ張ると、彼は身体を起こしてくれた。

 再び間近になる距離。

 眼前のハーヴェストに、佐倉は挑むように言った。

「勘違い、すんな」

 その瞳だけを見つめる。


「私は安全なのがいい。身の危険が少ないのが一番だと思ってる。でも本当に、安全なのは、知らないまま連行されることじゃない―――私がちゃんと事情を知った上で、ハーヴェストの言う通りに、的確に動くこと、だと思う」

 佐倉は小首を傾げた。

「そもそもハーヴェストが、牢屋にぶち込まれるようなヘマをするって、私、想像がつかない」

 この尋常じゃない威圧感とか、尋常じゃない物腰とか、絶対普通じゃない。よくよく思い返せば、この人がどこの誰かも良く知らない。だがこの人が、『普通』に当てはまらないことだけは確かだ。

 こんな普通じゃない人が、簡単に捕まる訳がない。


「ハーヴェストが捕まるとしたら、それは、役に立たない私を連れているせいだと思う」 

 なんで連れてきたのか甚だ疑問だけれども、それを棚上げしても、やっぱり足手まといは自分だろう。


 もしこれから行く先が、地雷、千個埋めましたって場所だとする。全く何も聞かされていない自分が、そこで何をするのかを考えると凄く怖い。何も聞いてない足手まといが鬼ごっこでもしようとしたら、さすがにこの人だって状況の露呈を免れないだろう。そんなの絶対、安全とは言わない。少なくとも自分は、そこ、地雷、千個埋めましたって教えてもらえれば、そこで鬼ごっこをしようとは思わない、はずだ。……多分。


 何をするのか知っていたほうが、お互い、より安全に行動できるに決まってる。

 ただ、嬉々として頭のおかしいことを一緒にやります、と宣言する前に、佐倉にはどうしても知っておきたいことがあった。

 佐倉は相手の胸倉を掴んだまま、相手の嘘を見抜けるように、よりしっかりとその瞳を見ようと身を乗り出した。

「ハーヴェストは、人に危害を加えたり、しないよね?」

 眼前の男は見開いていた瞳を、ゆっくりと眇めた。

「今回は、人に危害を加えたりはしない」

 ……今回はってなんだろう。今回はって。今回じゃなきゃ危害を加えて……いや、あまりそこは掘り下げないでおこう。大事なのは、今回だ。

「じゃあ、今回、ハーヴェストは誰の為に、行動をするの」

「誰の為に?」

「つまり、ハーヴェストが違法行為をすることで、誰が喜ぶの」

「誰、というか、うちのギルドが助かる、な」

「つまり、グレースフロンティアの為に、何かをする、ってこと?」

 彼は何も言わなかった。こちらをあきらかに愉しそうに見ている。

 こちらがどういう結論を導き出すのか、興味があるというように。


 結論は出た。

 覚悟も決まった。

「グレースフロンティアの為なら、私、やる」

 それから胸倉を掴んだまま、相手を睨む。

「そもそもね、今日会った時に、仕事だって言ってくれれば、私、むしろ喜んで協力したと思うんだけど」

 ギルドの為ってことは、これも一応、仕事だろう。

 少なくとも、自由部隊のハーヴェストは仕事でここに来ているんだと思う。

 つまり自分にとっても仕事扱いであるならば、勤務をサボったことにはならないし、ムドウ部隊長のゲンコツもくらわずに済むことになる。

「ハーヴェストはさ、ごちゃごちゃうるさい二択を何度もぶちかましてないで、早く言えば良かったんだよ。仕事があるから手伝えって」

 佐倉はそこまで言って、顔をしかめた。

「これ、私の賃金、ちゃんと発生してるんだよね?」

 ただ働きだったら、悲しすぎる。


 小首を傾げたこちらに、眼前の男がゆっくりと瞬きをした。

 そして、次の瞬間、弾けるような笑い方をした。彼は笑いすぎて腹がよじれたように、笑い声を引きつらせるほどに笑った。佐倉は呆気に取られた。何がおかしいの。この人は。獰猛に、無邪気に、八重歯を見せて笑うこの男を、置いてけぼりをくらった気分で眺めることになった。


「これだから―――」

 ハーヴェストはくっくと笑い、口元を拭った。彼はそれ以上の言葉は紡がなかった。首を振る。視線をそらして、ホール全体へと目を向ける。佐倉も視線につられた。ホールを見つめると、周囲の人の中で目が合う人がいた。慌てて、目線をそらされる。

 

 あれ、なぜそらされた?

 隣がくつくつと咽喉で笑ってから、耳元で囁いた。

「公衆の面前で、お前が、俺の服を、むしり取とうとしているように見える」

「何を馬鹿なことを……」

 ハーヴェストは、こちらの手を指差して、突っついた。


 佐倉の手は、彼のシャツを掴んでいた。片手はいまだに繋いだままで、至近距離にこの顔が合って、胸倉を掴んで引き寄せていたのを思い出した。長椅子でちゃんと顔を見ようと、佐倉の身体はハーヴェストのほうへ向いている。さすがにむしり取るようには見えないと思うけれど、この薄暗い隅っこの長椅子で、何か致しそうな雰囲気は出来上がっていた。―――うん、何かを致しそうだ、このシャツ掴んだ手が、特に大変いかがわしい…… 


 電気が走ったみたいに佐倉はシャツから手を離した。勢いが良くて、ついでにもう片方の手までちゃんと自由の身になった。

 ギクシャクと両膝に両手を乗せて、行儀良く座り直す。

 何してんの。本当に、自分、何をしてるの。顔から火が吹きそうだ。膝に行儀良く置いた自分の両手を見つめ、唸り、最終的に頭を抱えた。公衆の面前で、本当に、恥ずかしい。恥ずかしすぎて死ねる。ついでに、ずっと繋いだままだった手も、ここに行き着くまでの間、周囲にずっと見られていたかと思うと、穴があったらもぐりこんで、次の夏まで出て来たくないくらい、恥ずかしい。


「ササヅカ新兵部隊員?」

 ハーヴェストがのんびりとこちらの名前を呼んだ。

 佐倉は唸った。顔も上げられない。

「詳しいことは、奥で説明する。そろそろ鐘が鳴る。講義が終われば、教授が動き出す」

 教授?

 佐倉が顔を上げた。


 彼は、佐倉を見つめたまま、獰猛に、心底愉しそうに口元を引き上げた。

「任務を開始する」

 まるでゲームを始めるように彼は言った。そしてしなやかに立ち上がる。長椅子に座るこちらを見下ろす彼は、手を繋いできた人と明らかに違う人だった。


 さあ、獰猛な獣のお目覚めの時間だ。


「ササヅカ新兵部隊員」

「は、はい」

「これより、この糞ギルドが抱え込んでいる情報を―――略奪する」 

 襲いかかる背筋が凍るほどの圧迫感。

 でも、あまりにも攻撃的で、あまりにも愉しそうだったから、佐倉は勇ましく頷いた。


「よしきた、任せろ!」

 威勢良く立ち上がる。頭の片隅で、馬鹿かお前はと理性が叫んだ。うん、感じていただけで歯止めは全然きいていなかった。まあ、いつものことだけどね!

 佐倉達は長椅子から離れた。二人はホールの人込みへと足を進めた。



 その時だった。

 陰鬱なエントランスホールに、白い鎧の美しい少年と、病的に細い猫背の男が姿を現した。

 美童は、隣の男に負けないくらい真っ青な顔をしていた。


「あんな、野蛮な乗り物……何故、乗る輩がいるのか、信じられない……!」

 首を振れば、少年の美しい金の髪がさらさらと揺れる。

 目立つ頭だな、とわずかに敬遠しながら、痩身猫背の薄暗いホールを見回した。いつ見ても、このギルドは人で溢れている。さっと視線を走らせてから、痩身猫背の男は目立つ頭の少年を見下ろした。

「あれの何がいいって、住民がタダだってことだろ。夕街に住んでいる奴らは、毎日あれに乗ってくるもんだ」

「頭がおかしいんじゃないですか。重傷者を出す乗り物が許されるはずがない」

「教会が隣接してるから、死んでもすぐに祈祷してもらえるから安心しろ―――おい、坊ちゃん、吐きそうな顔してるが、まさか乗り物酔いじゃねえだろうな」

「僕は坊ちゃん、じゃ―――」

「あー、俺、酔い止めは持ってねえぞ。昼街一の酔い消しパンは……明け方にしか売ってねえしなあ。帰りもあれに乗るってのに、行きでそれだと持たねえんじゃねえの」

「うるさい、僕の前であの野蛮な交通手段の話をするな!」

「ああ、やだやだ。びいびいうるせーったら」


 痩身猫背の男が、振り返る。

 そこに、もうひとり。

 気の弱そうな下がり眉の少年が、所在無げにおろおろと立っていた。

 「な、お前も言ってやれ。朝街の坊ちゃん以外は、あれに当たり前のように乗るってな。―――お前は夕街住民代表だ。言え、こきおろせ、チロ・デイシー」


 下がり眉の少年、チロは、怖い先輩隊員と美しい同期少年に睨まれて凝固した。下がり眉の少年は思ったかもしれない。本日の勤務を投げ出した少年は、いったいどこにいるのかと。

 下がり眉の少年が困って凝固した時、バルフレア・ハインのエントランスホールは一瞬、人の波が途絶えた。偶然にも、何かを小走りで追いかける佐倉の背中が見えたのだが―――三人とも、気付いてはいなかった。

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