バルフレア・ハイン 05
ハーヴェストは円形広場を右へ曲がった。
そして、佐倉は知らない通りへと足を踏み入れることとなった。
白壁の城へと続く昼街のメイン通り。その通りの中にある円形の広場で、佐倉は右へと進路を変えた。この円形広場は、常に観光客で溢れている。広場の中心の『ヒゲモジャのクマの石像』(佐倉命名)が、観光客には大人気だ。熊みたいな髭もじゃの男が獅子の腹に片足を乗せて、剣で獅子の首を獲ろうとしている。横倒しになった獅子が負けじとその剣に噛み付いている。石像の足元には、緻密な細工の施された台座が広がり、その台座から水が噴き出していた。有名な噴水像らしい。観光客は必ず足を止める。そんな観光客達に、この像と一緒に自画像はいかがと、絵描きが商売に精を出していた。
この円形広場は、佐倉がアパートとグレースフロンティア本部を往復するのに必ず通る道だ。明け方、この円形広場で、屋台を構えるおばあさんのパンが、それはもう涙が出るくらいマズイのを、佐倉は良く知っている。無愛想なおばあさんが、その時間だけしか営業しないパンの店だ。そのおばあさんの節くれだった手が好きで、佐倉は早番の時には立ち寄ることに決めていた。パンは、吐き出すか飲み込むか悩むくらいマズイけれど、でも何故か早番の隊員は、この店のパン袋を抱えて出勤してくる。そして神妙な顔でパンにかぶりついている人を良く見かける。どうしてか分からないけれど、無愛想なおばあさんのパンは、明け方の傭兵ギルドの胃袋を満たす役割を担っているらしい。
昼街のメイン通りは治安が良くて、人通りも絶えない。街灯は深夜でも煌々と周囲を照らしているし、常に営業している店も多い。どんな時間帯でも人の目があり、安心できる。だから佐倉は、昼街のこの大通り以外の道を、通った経験がほとんどない。
『ヒゲモジャのクマ』広場を右へ曲がると、昼街大通りから反れたことになる。この道がどこへ通じているのか、佐倉が知る由もない。
初めて通るその道の道幅は、大通り程、広大というわけではない。そのため露店商がいなかった。その分、立ち並ぶ店がゆっくりと眺められる。店はたいてい入り口が開け放たれ、店横のディスプレイ窓が、その店で何を売っているか教えてくれた。街の女の子が着ていそうな可憐なワンピースを飾る仕立て屋の隣に、競うみたいに荒々しい鎧兜が展示されていたりする。
石畳の石の目も揃っているし、通りを囲む店も管理が行き届いていた。メイン通りが、大手の高価な店と活気溢れる露店の通りだとすれば、この通りは誰でも気軽に立ち寄れる準メイン通りと云う感じだ。―――鎧兜の店に、気軽に立ち寄りたいかどうかは別として。
並ぶ店に目を奪われている佐倉の手を、ハーヴェストが、くんと引いた。慌てて、先を歩く男を見上げる。彼は少し面白そうにこちらを眺めていた。
それから視線で、通りの先へと佐倉の視線を促す。
促されて前を見た佐倉は目を丸くした。
なんか、やっぱり変な建物が出てきた。
通りの先に、パルテノン神殿みたいな長方形の建物があった。
この通りは、そこで行き止まりになっている。佐倉は勿論、パルテノン神殿を教科書でしか知らないが、眼前のそれは、巨大な円柱が等間隔に並ぶ白い壁の建物だった。円柱の高さは、周囲の建物より遥かに高い。もしかすると五階建ての傭兵ギルド本部より高そうだ。西欧の街並に突如現れたギリシャ遺跡に、佐倉は驚いて動けなかった。いや、風景に調和していないわけじゃないと思う。少なくともの西欧の街並に、天守閣が登場するよりは、断然イケる。
でも言わずにはいられなかった。
佐倉は隣の男の手を強く握って、訊ねた。
「あれ、何」
まさか、あれが目的地ではあるまいな。神殿でご飯は、無いとは思う。この国だと神殿じゃなくて、あれはレストランなのだろうか。レストランだとしたら、言ってやりたい。柱の高さにお金をかけるんじゃなくて、ご飯の美味しさにお金をかけろ、と。
ハーヴェストは、佐倉の質問にのんびりと答えてくれた。
「あれは、駅だ」
それはまさかの答えだった。眼前のパルテノン神殿、駅だそうです。するとこの国、電車とか蒸気機関車があったってことか。全然、知らなかった。
パルテノン駅は、迫力の一階建てらしい。構内に入ると、天井の高さが異様なことが分かる。五階以上はあろうかという高さをぶち抜き、平屋で作っているのだから当然の異様さとも云えるだろう。ムカデの足みたいに整然と立ち並ぶ巨柱、壁には人とは思えない異様な石膏巨像が安置されている。天井の高さのせいか、行き交う人の声も反響している。やはりどこかの遺跡の中にいるような錯角に陥って、佐倉は圧倒された。
構内を進むと、改札口に辿り着いた。しかも自動改札ではないらしい。数十あるお立ち台みたいな場所に、深緑色のロングコート丈の上着を着た人達が立っていた。彼らは白い手袋に深緑色の軍隊帽を被っている。パルテノン駅の従業員なのだろう。その駅員の横を、人々が通っていく。改札を通る人々は、駅員の白手袋の上に何かを載せた。そして先へと進む。次の人も同じ行動だ。白手袋の上に、何かを載せる。そして改札口を通る。
あれか。佐倉は気付いた。現代日本で云うところの、改札機の上の読み取り箇所に、タッチしてピッてやつだ。切符が要らない優れもの、カード式の例のあれ。
どんどん、人が先に進んでいく。佐倉の手を引く人も、勿論、そこへと足を進めていた。ぼう、と異文化を眺めている間に、あっという間に改札だ。そこで、はたと気がついた。ちょっと待って。佐倉は焦った。ちょっと待って。皆、何をピッとしてたの。
「は、ハーヴェ……」
焦った佐倉が言い切る前に、ハーヴェストはジーンズのケツポケットから何かを取り出した。パルテノン駅の従業員の白手袋に載せる。にこやかな笑顔を浮べていた白髪混じりの駅員が、さっとハーヴェストに目を向ける。一瞬、見開かれた瞳がチェシャ猫のように細まった。
「行ってらっしゃいませ。良い旅を」
改札口の駅員さんの業務上の常套句なのだろう。ハーヴェストは特に答えなかった。でも次はこっちの番だ。しかも皆が何を出したか、佐倉にはさっぱりだった。
駅員さんの白手袋がこちらに差し出された。
白手袋の中心に、深緑の宝石が埋め込まれていた。
佐倉は困って、ハーヴェストの手を強く握った。強く握ったことで、ハーヴェストの目がこちらを向いた。
「ご、ごめんなさい。何をどうしたらいいか分かんなくて!」
顔が真っ赤になる。嫌だ、絶対、呆れられる。改札口も通れない田舎モノって思われる。この文化に接するのが初めてとはいえ、できればハーヴェストの前で『駅、初挑戦』はしたくなかった。モントールやラックバレーになら、素直に聞けたはずだ。どうしてだろう。この目の前の人には、呆れられたくなかった。
ハーヴェストは、こっちの熱くなった顔を見下ろして、ああ、と何かに納得したように呟いた。
それと同時に、佐倉の隣から声がした。
「お嬢さん、おそれいりますが住民カードはお持ちですか」
それは白髪混じりの駅員さんからの言葉だった。見上げれば、駅員さんがにっこりと微笑んでいる。―――住民カード?
住民カードってあれですか。
案内カウンターに用意してもらった個人情報全部筒抜けの例のカード。いや、佐倉のカードは個人情報筒抜けどころか、個人の情報にもなっていない感じの例のあれ。
『氏名ササヅカ 年齢14歳 性別男』のあのカードだ。
つまりあのカードを、その白い手袋にタッチ! アンド ゴー! ってわけですね!
なるほどね!
持ってねええええええ!
もう恥ずかしさで居たたまれない。次で順番待ちしていた恰幅の良い男性が苛々と舌打ちした。―――改札口で立ち往生する奴が、並んでんなよってことですね。分かります! 謝ろうと思って後ろの人へと顔を向けた瞬間、その丸い男がみるみるうちに青くなるのを見つめることとなった。人間ってこんなに血の気が引くんだと思った。しかも背中から恐ろしい威圧感が自分を飛び越えて周囲に広がるのを感じる。遠くにいた人まで息をのみ、凝固した。あれだけ反響していた駅の音が、背後の人を中心に、次第に止んでいくのを感じた。―――あ、なるほど。こんなに怖い人がいるのに、なんで周囲が平然としているのかと思ってはいたのだ。この威圧感を撒き散らす人が、抑えていたというわけか。
でも、なんで今、駅の全員を威圧してるのこの人は。
ああ、つまり、と佐倉は思い当たった。つまり、てめえ何改札口で、止まってんだのハーヴェスト版ですか。次の番だった丸い人が、佐倉に苛々と舌打ちしたように、ハーヴェストもまた、立ち止まったこちらに苛々して威圧してきているってことですか。
うわ、つまり駅構内の人は、その苛々に巻き込まれているってこと?
佐倉は慌てて振り返り、眼前の男に素直に謝った。
「ご、ごめん。私、アパートにカード置いてきた」
ハーヴェストは何故か、こちらを通り越して佐倉の背後を眺めていた。その目がこちらに戻ってくる。威圧されるかと思ったけれど、胃を鷲掴みされるような怖さは結局、襲ってこなかった。
彼の口の端が引きあがる。
「あれは、この街の住民が常備するもんだ。無いとこういうことになるぞ」
あ、怒ってない。むしろだいぶ、のんびりモードらしい。良かった。
佐倉は再び自分の背後の太めの男へと顔を戻した。お時間取らせてごめんなさいって謝るつもりだったが、すでに男は消えていた。お立ち台に立ってない駅員さんが、周囲の人を誘導して別の列へと案内していた。ここが詰まったから別の改札へってことらしい。
うおー、めちゃくちゃ迷惑をかけているってことだ。
佐倉は、困惑して白髪混じりの駅員さんを見上げた。
「すみません。ご迷惑を……!」
「いえいえ、それでは、お嬢さん」
白髪混じりの駅員さんが首を振って、白い手袋を外した。外した手に今度は滑らかな黒色の篭手を通す。指先まで黒色で包まれた駅員さんの手が、再び佐倉に差し出された。
あれ、私、カード持ってないんだけど?
「魔法認証から、機械認証に切り替えます―――お嬢さんの手の平から、情報を引き出します。少々お時間が掛かりますが、私の手に、手の平を載せていただけますか?」
「あ、はい」
佐倉は恐る恐る手を載せた。滑らかでひんやりとした感触が手の平に伝わってくる。機械認証って、要は指紋認証みたいなものなんだろうか。そこで、また気がついた。指紋なんて採取されたことありましたっけ?
記憶を探る。いや、絶対にそんなこと、してない。ふ、と住民カードの怪しすぎる隠し撮り写真を思い出した。……資料作成の際に、自分が知らない何かが起こっている気がしてならない。あ、あんまり深く考えるのはやめておこう。
指示に従って、大人しく手を載せていると、虚空を見つめていた駅員さんが、こちらに向かってにっこりと微笑んだ。
「大変お待たせ致しました。ササヅカ様。情報が引き出せましたので……」
駅員さんが、おや、という顔をした。
「坊ちゃんでしたか、これは大変、失礼を致しました」
……なんか要らない情報にまで行き着いたらしい。うん。それが分かれば、間違いなく情報は引き出せてるね! 間違いだらけの情報だけど!
駅員さんの足元にある機械から、何か紙が印字されて出てくる。
白髪混じりの駅員さんは、こちらに紙を差し出した。
「本日限り有効の乗車カードです。こちらを改札で我々、駅員にお見せください」
「ありがとうございます……!」
「いえ、それでは行ってらっしゃいませ。良い旅を」
なんて親切な人だろう。しかもこの白髪混じりの駅員さん、こっちの性別を間違えなかった。もっともお礼を言いたいのはその点だ。結局最後に、間違った答えを上書きされてしまったけれど、それでも気付いてもらえたんだから、佐倉にとってこの駅員さんは無条件にいい人だった。
紙を握りしめながら、佐倉は改札口を振り返った。異文化だったなあと強く思った。機械認証は良しとして魔法認証ってなんだろう。いや、うん、もう今日はこれ以上、驚くことはないだろう。
階段下った所に広がる駅のホームは、佐倉にとっても見慣れた場所だった。見慣れたものがようやく目の前に広がって安堵する。やはり電車の文化があるってことだ。線路が見たくてホームで少し前に出ようとした佐倉の手が、くんと誰かに引かれた。
「近づきすぎると死ぬぞ」
「あ、うん」
言われて、数歩後退した。さらりと言われた。うん、なんだって??
聞き返す前に、視界を緑の巨大な塊が猛スピードで駆け抜けていった。……なんぞ、今の。猛烈な風が吹き荒れた。佐倉は風圧に負け、さらに数歩後退した。隣の男が支えてくれなかったらさらに後退していたはずだ。眼前を、爆風とともに連結された長方形の車両が、ホーム脇にぶつかって火花を散らしながら通り過ぎていく。止まることなくそのまま再び、ホームから飛び出して行った。金属の擦れる凄まじい騒音と、何かの不気味な嘶きが遥か遠くから聞こえた。
「あー、イグの奴、止まれなかったかあ」
静かになったホームで、観光客の声がした。
「次の奴、待ったほうがいいだろ。あれ、たぶん死者が出てるぞ」
「確かに。乗れなくて良かったな」
にこやかに談笑している彼らと、通りすぎたなんか異様なモノと、駅員さんの言葉を思い出す。
―――行ってらっしゃいませ。良い旅を。
ああ、そうかと思った。
自分は、間違っていたのだろう。
―――逝ってらっしゃいませ。良い旅を。
なるほどね。そういう意味かあ。




