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バルフレア・ハイン 04

 素晴らしい。大変、素晴らしい。

 佐倉は自分の脳を、賛美した。咽喉元過ぎれば、熱さを忘れる。まさに、それだ。佐倉の脳は、無意識にその男の存在を、曖昧に、柔らかいイメージへと修正していたらしい。それも時間の経過とともに、ゆっくりと好ましい存在として、脳に刻みこんでいたようだ。


 何その脳みそマジック。


 柔らかいって何。全然、違う。本物は、もっと鮮烈で強烈だった。本部のホール、近づいてくる彼は周囲には絶対、同化しない存在感があった。逃げ出したい。何故か、這い上がってくる恐怖と闘う羽目になった。そう、なんで忘れていたんだろう。


 この人は、こんなに恐ろしい人だった。


 気圧されて、四肢が全く動かなくなるくらいに。

 これを好ましいと思えていた自分の脳を蹴り飛ばして説教したい。H氏なんて、名前を伏せている間に怖さが軽減したらしい。本物―――ハーヴェストはこんなに怖い。こんなに怖い人が、もう佐倉の目の前に来ていた。

 グレースフロンティアの一階ホール、掲示板の前で、佐倉と彼は再会した。

 顔を覗きこまれる。青灰色の瞳がこちらを見つめ、途端に息が上手くできなくなった。

 彼はこちらの顔を覗きこみ、漫然と眺め、その後、ある一点を見つめ、ゆっくりとその瞳を眇めた。

 咽喉で笑う。

「――――痴話喧嘩の痕、みたいだな」

 咽喉仏が動いて、佐倉の耳に届いた声は、重低音。そうだよ。そう。この人の声は重くて低くて、圧倒されるのだ。脳が怖さを上書きするのに必死だったから、言われたことが全然、頭に入って来なかった。すっと、左頬に感触。ハーヴェストが親指のハラで、左頬をゆっくりとなぞる。―――あ、レナ部隊長に平手食らった所。猫みたいな爪が引っかかったのか、浅い切り傷になっていた。眇めた青灰色の瞳が、なぞっている部分を見つめている。そして彼は、口角を引き上げた。何か、思いつきましたって顔だった。要らんことを、思いつきましたって顔だった!


 そうして、その舌が、左頬の傷を―――「ほぐあああああぁぁぁぁぁ」


 佐倉の足が棒みたいになる。立ち止まった。昼街の大通りで叫んで止まるとどうなるか。観光客の皆様も驚いて立ち止まる。ぎょっとして振り返る人もいた。そして、肘を掴んでいる男は爆笑する。

 いや、おかしい。あからさまにおかしい。特に半歩先で笑っている男。笑っている場合では断じてない。

 頭の中でエンドレスリピートだった物をブツ切って、ようやく我に返った佐倉は周囲を見渡した。

 いつの間にか、グレースフロンティアの獅子門から出て、大通りだ。本部は遥か後方。まだ自分のアパートと本部の中間地点くらい。それでもここまで、無意識について行った自分も、頭がおかしい。


 掴まれた肘を引く。全然ダメだった。掴まれた手によって、全く肘が動かない。佐倉は肘を掴んでいるその手から、腕、肩、首と目線を上げた。途中で、青灰色の瞳に視線をすくい上げられ、がっちりと目が離せなくなる。彼は愉快そうだった。愉快そうに、佐倉の肘を掴んでいる指に力を入れた。悲鳴を上げるほどの痛さでは無い。でも掴まれていることを意識する絶妙な力加減。

 目を合わせたまま、佐倉は唾を嚥下した。

「忙しいって……」

 掲示板に書いてあったのに。

 彼は咽喉で笑った。


「会わない、とは言ってないだろ?」

 確かにそう。―――『至極、多忙のため、白天祭が閉幕するまで連絡を休止する』

 うん、会わないとは、書いてなかったね。確かに、書いていなかったけれど。

 佐倉は思わず声を上げた。

「何そのトンチみたいな言い分は!」

 キッチョムか一休じゃあるまいに!

「こっちの落ち込みゾ……!」

 言葉をぶつ切った。落ち込み損って、言いかけた。なんで私がこの人の掲示板で落ち込んでるの。散々、断っていたのは自分だ。それなのに、あんなふうに書かれて落ち込むのは間違ってる。


 顔が熱くなる。ついでに掴まれている肘も熱かった。

「は、離してください。それに戻らなきゃ。私、これから勤務で」

 ハーヴェストは、佐倉の言葉に小首を傾げた。

「この会話の流れは、前回と同じように終わると思うが……続けるか?」

 前回とはなんぞ。

 すぐに頭に浮かんだのは、食堂での一件だった。腹筋万歳。そしてその胃に乾杯。頭、押さえ込まれて離せって言っても全く無駄だったのを思い出した。肘を見つめる。確かに頭と肘という掴まれている場所が違うだけの気がした。ああ、うん、不毛な押し問答になる予感がするね!

 予感はちゃんとしていた。でも、案の定、口がムズムズした。いや、だめだ。今、言い返したら――

「いや、私は仕事なんだから離せよ!」

 ぃやっほーい!! 言ったね! 今日も舌好調だね! 

 もちろん言った後で佐倉は固まった。本当に素晴らしい脳ミソだと思う。

 咽喉元も過ぎて無いのに、咽喉元で熱さを忘れるバカ。

 

 ハーヴェストもどこか感心するようにこちらを眺めた。

 肘を掴む指に徐々に力が入った。

「同じ結果になろうとも言わずには入られない、か」

 肘の締め付けが強くなるのを感じる。握りつぶすつもりか。まさかそのまま肘破壊されるおつもりですか!

「ではササヅカ新兵部隊員。状況が不服なら、どちらか選ばせてやろう」

 彼は、肘を掴んだまま、屈んでこちらに顔を近づけた。

 空いている右手の人差し指を一本立てて、こちらに示す。

「いち、このまま大人しく飯に行き、お互い、気分良く、時間を愉しむ」

 人差し指に続いて、中指が立つ。

「ふたつ、このままイヤを連発して、強制的に連行され、強制的に気持ち良くなって、時間を愉しむ」

 そうして彼は獰猛に嗤う。

「どちらがいい。――勿論、お勧めは後者だが」

「いや、だから本部へ帰らせろよ!」

 佐倉は叫んだ。やっぱり口に歯止めが効いてなかった。

 しかもどちらの選択肢も、何処かへ連れて行かれるわけですね。選択肢という機能が、全然、公平に機能していないわけですね!


 佐倉の抗議を聞いて、ハーヴェストは笑った。

 ものすごく満足気だった。

 そして佐倉は、獣が舌舐めずりをしたことに気が付いた。


 ハーヴェストは頷いた。

「成程、後者でいいわけだな」

 はい、勝手に決まりました。いや、うん、それ困る。調子こいてぎゃあぎゃあ騒いでる場合じゃない気がする。後者のほうが断然……頭がおかしい感じがする。前者と後者で、意味合いが全然違う気がするのは、自分だけだろうか。


 後者、食事じゃない、よね?


 佐倉は即座に人指し指を掴んだ。

「一番で! 喜んで一番で!」

 佐倉は涙目だった。そして彼は上機嫌だった。 

 人差し指を掴んだ手を、そのまま握られた。

「よし、腹一杯、満たしてやろう」

 肘から手が離れた。だが、手は繋いだまま、再び彼は歩き出した。

 強制的に歩かされることになる。


 ……今のって。

 前者の、『ご飯で』、お腹を満たす……ってことで合っている、よね?



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