バカラ 11
いくらなんでも、やりすぎだ。
喧嘩なんてくだらない、と言ってのけた本人が、舌の根も乾かぬうちに、喧嘩してどうする。
猛反省をして、しょげて迎えた翌日、本部。掲示板を見上げた佐倉は、ふっと肩の力が抜けて、笑みをこぼした。
『ササヅカ新兵部隊員へ
今夜八時に、バカラ。
銃の正しい使い方を教えてやろう H』
見ていたのなら、助けてくれればいいじゃない。
いや、多分、誰かから聞いたのだろう。でもその誰かも、見ていたのなら助けてくれれば良かったのに。
昨日、アパートに戻った後、興奮しすぎた反動が来て、震えが止まらなかった。騒動を起こしてしまった。このギルドにとっては日常の些細なことかもしれない。でも大小問わず、佐倉にとっては喧嘩は喧嘩だ。お店にも迷惑をかけた。お店で、モントールと一緒に謝罪はしてきたが……。店主を含めてお客全員、全然怒っていなかった。しかも何故かやたらとモントールにお酒を勧め、断っても勝手に自分達で乾杯していた。数分前の騒動を見てもあの調子というのは、アルコールで頭がイカレているに違いない。そんな彼らを背に、魂が半分抜けたラックバレーをモントールが背負い、気絶したチロを佐倉が背負って店を出た。店は汚いけど、陽気な音楽に合った陽気な人達だった。二度と行きたいとは思わなかったけど。
問題を起こしてしまったことを後悔して、落ち込んでいたけれど、掲示板を見て救われた気がした。肩の力が抜けて、ちょっと元気になれる。
話を聞いたH氏は、きっと爆笑だったに違いない。笑っている彼を想像すると、昨日のことも笑い飛ばしていいことなんじゃないかって思えてくる。
もう、言っちゃおうかな……。
ふ、と思った。
この誘いに、うん、って言っちゃおうか。そうしたら、またあの人に会える。
いつもなら、会いたいなんて思ってないと笑ってはぐらかす。
でも素直な気持ちで言えば、また会いたいって思っている。怖い人だけれど、笑いかけてくれるとすごく嬉しいのだ。
よし、会うか!
一世一代の決心を固めて、掲示板の桟にあるペンを取り上げた。
銃の使い方は必要ないけれど、八時に、と書き込もうとして―――
「ササヅカ!」
「は、はい!」
心臓が口から生まれいずるかと思う程、驚いた。新兵部隊の先輩方がこちらに向かってくる。
誘われてオッケーするのは、悪いことじゃない。むしろ毎回断っていることのほうが、絶対悪いはずなのに。今のほうが悪いことをしているような気持ちになるのは、何故だ。
「おまえなあ」
先輩二人がやってきて、佐倉の額を小突いた。
「なんつー切り札持ってるんだ。外遊のモントールと知り合いなら、そう言っておけよ」
「俺らだって知っていれば、話を持って行く所を、もう少しわきまえたのに」
外遊のモントール?
話の持って行く所を、わきまえた?
佐倉は二人をマジマジと見つめた。ひとりはチョビ髭のオッサンで、もうひとりは小柄の若い男。よく見て気付いた。あ、この二人、昨日、大通りで忠告してくれた二人だ。腹に乗った人と頭押さえた人。
二人を見て頭に浮かんだのは、昨日のバカラでの騒動。うわ、H氏のこと考えててあの大事件、完全に忘れてた。
「あ、……あ、はい、モントールにはいつも助けてもらっていて」
「なんだ、その今思い出しましたっていう反応は」
「お前、どれだけ肝が据わってるんだ」
二人は呆れて言った。
「とにかく、二階に来い。駐在室で事情、聴いてやるから」
「と、その前にそれ、返事書いていくか?」
佐倉がペンを持ったままなのに気がついて、掲示板を指差す。佐倉は慌てて掲示板へと向き直った。さて、困った。さすがに先輩達の前で、会いたいですとは書きづらい。
どうやったら先輩達に気付かれずに、オッケー的な意味合いの文章が書けるんだろう。思い悩んでいると、背後の先輩兵のひとりが、声を上げた。
「どーしてもそのH氏が気になって、俺ら待ち合わせの場所に張っていたことがあるんだ」
……なぬ!?
こっちの驚いた顔に、向こうは罪悪感を覚えたらしい。チョビ髭の隊員は、後頭部を搔いた。
「いや、実は新兵部隊で賭けてたんだよ。いつササヅカが落ちるかってな」
「ええ?」
「まあ、皆の予想を裏切ってお前毎回、はぐらかしてるから、賭けも無効になっちまったんだけど」
あああああ危ねーっ
今、まさに陥落しかけてた!
後輩の顔が蒼白、紅潮と目まぐるしく変化するのにも気付かず、二人は笑いながら続けた。
「賭けながら、同時にH氏は誰だって議論が沸騰してよ。それなら確かめに行くかーって」
「ほぼ最初から、掲示板で指定された所、張ってみてた」
「でもHに該当しそうな人は誰も来なかったんだよなあ」
どきり、と心臓が大きく鼓動した。
「誰も、来なかったんですか? 一度も?」
「おう、お前が断ってるからかとも思ったんだが」
チョビ髭の男は考え込むように腕を組んだ。
「でもよ、その店で食おうって自分が誘ってるんだから、一回くらいはお前の返事がどうであれ食べにくるだろ」
「と、思って張ってみたんだけどな、ま、張り込み失敗って結果だった」
あんなに、目立つ人、皆が見落とすはずがない。ということは、本当にあの人、来なかったんだろう。佐倉も、あの人本人がその店に行きたいと思って書いているんだと思っていた。
―――でも、そっか。一度も来なかったんだ。
この二週間、掲示板で何度もやり取りをした。先輩の言う通り、本当に食べたい所を書いていたのなら、少なくとも一日くらいは、掲示板であげた店で食べているはずだ。こっちが断ったなら、別の誰かと行けばいい。
でも訪れなかったということは。
本気でそこで食べたいわけじゃなかったのだ。
いや、そうじゃなくて。
場所の問題じゃなくて。
―――本気で私と食べたいわけじゃ、なかったんじゃ……?
血の気が引いた。そうだよ、こっちが断るまでもなく、あの人は行くつもりなんてなかったんだ。きっとこの掲示板のやり取りも、あの人特有の会話遊びみたいなもので……。
そりゃそうだ。
すとん、と納得した。何を期待してたんだか。バカだな自分。たった一回会って、ちょっと話しただけの子供を真剣に食事に誘う人なんているわけない。
テンションが上がっていた分、冷え上がった後の恥ずかしさは居たたまれないものだった。
本当に、恥ずかしい。地に足つけていたつもりで、実は舞い上がっていたんだ。会話遊びを見誤って自分だけ―――
「ササヅカ?」
俯いて固まっていた佐倉は、はっとして顔を上げた。
怪訝そうな顔の先輩隊員達が立っている。
「おい?」
「あ……」
「なんだ、大丈夫か? 顔色が」
「はい? ……あ、はい! もちろん! ええと――ああ、そうだ先に行ってて下さい。書いたら行きますから!」
慌てて掲示板へと向き直った。
「おう、じゃあ後でな」
先輩の声が背中にかかる。いい加減なうなり声を上げたら、それはないだろと後頭部を小突かれた。
その後ひとりになって、掲示板の文字とにらめっこ。『銃の正しい使い方を教えてやろう』、か。親の敵みたいに文字を睨んで、勘違いした恥ずかしさを忘れようとした。ペンの蓋をとる。
『黒い塊の正しい食べ方を教えてくれるなら、行ったのに』
もう、二度と勘違いしない。これは言葉遊び、言葉遊び以上の意味はないんだ。佐倉は強く唇を噛み締めた。