表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/110

扉の先 01

 佐倉はまず振り返った。

 背後には、見慣れた我が家の玄関が……なかった。

 月明かりと深い陰影で分かる岩壁。

 風が通りぬけ、葉先を揺らす音で分かる草の絨毯の世界。

 

 前を向く。アフリカのどこかの部族の村にありそうな木枠の門。門横に安置された松明から火の粉が爆ぜて散っていく。風に乗って、松明の焦げるようなどこか懐かしい香りがした。その門から視線をくぐらせば、岩と木で出来た住居が散らばっている。



 さて。



「どこだ、ここ」

 


 佐倉は無意識に、パーカーの前部分を握り締めた。心臓のある位置を、何故かぎゅっと握りしめ、呆然と周囲を見やる。口が開く。気付かず、浅い呼吸を繰り返していた。


 家の玄関にいたはずだった。テレビを見ていた母の背に、プールへ行くと声をかけ、気をつけてねって言葉を返してもらって靴を履いて、帽子の向きを確認して……玄関の扉のノブを捻って一歩足を踏み出した。

 玄関先は、父親の車を置く駐車場につながっているはずだった。仕事へ出ているから、空車スペースが見えてくる予定で、間違っても――そう、間違ってもこんなアフリカっぽい門が、うちの家にあるわけがない。こんなオブジェを玄関前に安置してたら、相当斬新。革新的な新進気鋭のデザイナーの玄関だって、もう少し日本の町並みに配慮をするに違いない。


 ようするに、この門はうちの家のものじゃない。

 佐倉はうんうん、と頷いた。そうだよ、ウチの門のわけがない。

 


 じゃあ、なんだよ。これは。


 目の異常、それとも夢か。

 目の異常ではないだろう。両親揃って視力はいい。佐倉も今後、このまま視力低下することもないだろう。では夢か、といえば。

 これが夢なら、私はいつの間にか眠ってしまったことになる。睡魔に襲われた記憶はない。ことんと眠ってしまうのが、睡眠というやつだ。もしかしたら――そう、きっと、玄関で靴を履いて帽子の向きを確認して玄関の扉のノブを捻って一歩足を踏み出した瞬間に、睡魔の襲撃をくらって玄関口に崩れ落ちたのだ――何そのハンパない睡魔さん、経験したことないわ。


 風が吹く。

 夏場なのに、少し肌寒い。

 風に背中を押されて、佐倉は服を掴んだまま、門をくぐった。


 何も起こらなかった。ただ門をくぐれただけだ。でも松明から爆ぜた炎の温かさを感じた。夢にしてはリアルすぎるんじゃない? 視覚も嗅覚も触感も、怖いくらいにいつも通り。

 そして聴覚も。


 佐倉の耳は、火の粉の音でも風が草を揺らす音でもなく、聞き慣れた音を拾っていた。

 人の音だ。こちらからは見えないが、家の先から、人がいる音がする。


 自然と足が向いた。ゆっくりだった足は、全容が見えてくるにつれ歩幅が大きくなり、警戒心が薄れていく。なんだか人が集まっている。井戸が中心にある広場で、集まった人々は、井戸を遠巻きに囲み、注視している。数人が松明を手に持っていた。全員、佐倉を見ていないから、なおさら警戒が解けて好奇心が湧いてきた。



 いったい何があるんだろう?


 部外者ながらも、佐倉はその最後尾で背伸びをした。

 カカトを地面から浮かせた直後、


「まっさか、皆で起きているとはねえ」

 と、井戸のほうから女の声。全然見えない。隙間からどうにか覗きこむ。まず見えたのは、闇から浮かび上がる鮮烈な紅の髪。その女の白い首に、剣先が当てられていた。剣の刃を辿れば、甲冑兜の人物が一人。


「GFもやってくれるよねえ。村を囮にするなんてさあ」

「どうも」

 紅の女の軽快な言葉に応えたのは、甲冑兜の人だった。声から察するに男の人だ。

「人形もやってくれるよな。まず一人に乗り込ませるなんて。一網打尽の予定が狂ったよ」

 それから甲冑の人物は、遠巻きに取り囲む人々に向かって、

「うちの部隊に使いを出してください。予定より早く引き返してもらわないと」

 男の指示に従って、佐倉の前に動きがあった。視界が開けて、なんとまぁ最前列に来てしまった。


 ようやくマジマジと状況を見て、一番強く思ったのは。


 鎧だ。

 鎧、着ている人がいる。



 まるで西欧の中世に紛れ込んだみたいだ。これって、撮影か何かだろうか。うんそうか。玄関で靴を履いて帽子の向きを確認(以下略)一歩踏み出した瞬間に、家の前をアグレッシブにビフォーアフターして中世欧州の撮影に臨む団体と出くわした――何その撮影団体、金のかけ所が違うわぁ。その資金と熱意で海外でやれ。


 まさかタイムスリップってやつだろうか。

 玄関で靴を履いて(以下、全体的に略)。あり得ない。どこにもタイムスリップの要素が見当たらない。




 悶々と回想する佐倉には、紅の女がこちらを見ていることなんて気がつきもしなかった。

 紅の女は、この集団の中で、一番の弱者を探していた。すなわち隙だらけの者を、だ。結果、自分の村が襲撃されたのに、ぽげぽげとしている子供を発見した。


 よし、あいつを盾に、状況を引っかき回してやろうか。




 一瞬で計画し、一瞬で動く。

 弛緩していた筋肉が、一気に収縮する。強張りが爆発的な瞬発力へ。首に当てられた刃を、目にも映らぬ速さで押し退けた。一直線、最短距離で子供と間合いを詰め、首に腕を引っ掛けて、子供の背後を取った。

「動くな!」

 数秒後、動くなと言ったのに、絶叫と混乱が起こった。


 子供と紅の女を中心に波が割れるように、隙間が出来ていく。ドミノ倒しになり押されて下敷きになりながらも、人々はあっという間に離散した。

 

 佐倉は、モーゼが波を割った時の気分を味わえた気がした。

 えええええええ、なにこれ。


「紅の……!」

 甲冑の男の緊迫した声。遮るように女の言葉。

「どきなニンゲン共! さもなくばこいつの首をへし折るよ!」

 折るって。へし折るってさ。この赤いお姉さん、へし折るって! へし折られたら絶対死ぬ。間違いなく死ねる。

 ようやく声が出た。

「えええええっ!! ちょ、はやまるな!」

「喧しいガキ! 死にたいのか」

 最期の決め手は、首へし折りですね。分かります。佐倉は人質らしく口を閉じた。


 そして人質らしく、ただただ周囲に救援サインの熱視線を送った。

 今度は自分と背後の人を中心に、人の円が出来ていた。それで気付いた。皆、クワとかスキとかさらには剣とか銃とか持っていて――――なんだこの物騒な状況。


「いいのかい、え? あんた達が道を開けなきゃあ、あんた達の子供が死ぬ」

 背後の女の鋭い声。

「大事なこの子を、殺されたくなければ、さあ、武器を捨てて道を開けな!」


 混乱の視線が人々の間で飛び交った。

 佐倉の背後の女に対する恐怖と、佐倉への困惑。そう、困惑だ。人々の視線は混乱から困惑へと変わっていた。彼らは佐倉をマジマジと見つめて、不安気に周囲を見た。


 なんだか視線の意味が分かるような。

 とてつもなく嫌な予感がするのは気のせいですか。


 なぁ、あれ、誰の子。

 知らんわー。うちの子じゃないよ。

 そうだよなー。見かけない顔だよなー。

 知らん奴じゃね。

 だよなー。知ってるなら名乗り出ろよ。

 あれ、誰も名乗りでねえの。

 誰も知り合いじゃないってことは、だ。


 彼らは下げかけた武器をゆるゆると構え直す。ああ、めちゃくちゃ嫌な予感がするんですけど!

 そしてついに、彼らの口から無慈悲な言葉。




「好きに殺せ」



「殺せ?」

 彼らの予想外の言葉に、背後の女も呆気に取られて、首にかかった腕が弛緩した。

「好きに……?」

 そんな言葉を呟いたのは甲冑の男。この状況について行けていないらしい。

「いや、勝手に人命を投げちゃダメだろ……」

 佐倉も力無く呟いた。


 殺すと宣言している人よりも、人命が奪われるその時に、許可する輩のほうが数百倍、厄介だ。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ