バカラ 08
昼街のミカエル信仰者は、出来の悪すぎる同期二人を排除したがっている。
先輩達が言っていたことは、当たっているらしい。
佐倉は肩を掴まれ、目的地も分からないまま歩かされた。肩を掴む兜の男がミカエルの賞賛し続けている。間違いなく、本当にミカエルが原因。
彼らがミカエル・ハヅィの素晴らしさを語る度、佐倉のミカエル評価が下落し続けているのだが、誰もそんな単純なことに気がついていないらしい。―――信仰者の管理はきっちりしとけよあのすかし美童!!
連れて行かれた所は、昼街の大通りから二本入った狭い路地にあった。店の入り口前は坂になっていて、開かれた窓から陽気な音楽が漏れていた。
その陽気な音楽を聞いても、ちっとも明るい気分にはならない。
音楽と共に聞こえてくるのは、粗野な笑い声と嬌声だ。煙草と酒が混ざったなんとも言えない異臭が路地にまで蔓延している。
間違いなく、酒が出されるお店だ。佐倉には縁が無いと思っていた空間がそこにある。
一刻も早く立ち去りたかったが、そのまま、問答無用で店の入り口に押し込まれた。すぐに外の新鮮な空気を吸ってから中に入れば良かったと後悔した。室内は煙草の煙が目にしみるくらい漂い、煙草独特の異臭が鼻に直撃した。肺に空気を取り込みたくなかった。これは絶対、害を及ぼす。
店の入り口をくぐると、酒場の二階という妙な造りの建物。昼間だからか、灯りをつけておらず二階から見下ろす一階は薄暗い。耳に一階のピアノ弾きの音楽と野次の声が突き刺さる。
「ここ、名前なんて言うの」
佐倉は大きな声にかき消されないように怒鳴った。
「バカラだ」
店の名前はしっかり憶えた。掲示板でこの店を指定されても絶対、断ろう。
「ぼ、僕、家に帰らないと……お母様が……」
チロの震える声が耳に聞こえた。泣きそうだ。佐倉は助け舟を出した。
「混んでいるようだから、また今度にしません?」
「まさか」
出した助け舟は昼街部隊員の一蹴で水没した。まったくもう。そのまま、一階へ。大きな丸テーブルを囲んで座らされる。
佐倉の左にチロ。四人の昼街部隊員が席に座った。座らなかった四人が店奥へと消えた。建物の中は人が多い。座らなかった四人はすぐに人込みにまぎれて見えなくなった。しばらくして、そのうちひとりが酒瓶数本を手に持って帰ってきた。
酒が回ってくる。
ここの人たちって飲酒は何歳から許されているんだろう。
佐倉は首を振る。
「ご飯、食べたいんですけど。もちろん奢りですよね? 誘ったのそっちだし」
隣の男が気にいらないとばかりに唸った。ずっと肩を掴んでいた兜を被った男だ。この人、飲み食いしないつもりだろうか。まず食事に来たなら、兜をとりゃいいのに。
お皿を持って六人目が戻ってきた。食事が回ってくる。受け取った皿は、なんとなくぬるかった。中を覗き込み、佐倉は沈黙した。白陶器の中の、異様な具を見つめ続ける。なんか特別、変なの出てきました。得体の知れない黒いドロドロしたものが白い陶器の中に入っている。え、何これ、食べ物? ちゃんと食べ物なの? しかもフォークつき。スプーンじゃない。試しにフォークですくってみた。ドロドロとした黒い塊がフォークの隙間から落ちていく。マジこれ食えんの。
席に座ろうとした六人目に、佐倉は心底信じられないという目を向けた。
この得体の知れない黒い塊だけ、食ってろと?
「え、これだけ? もっとないの」
と、いうか、ちゃんと食べれそうな普通の物でいいのだけれど。
舌打ちが返っていた。でも六人目の男は悪態をつきながらも席を立った。用意してくれるらしい。何この若干親切な六人目。そのまま席から離れ、また店奥へと行ってしまう。
「それで、何が気にいらないんですか」
佐倉はフォークを手に、五人に訊ねた。
「気に入らないってわけじゃあねえよ、なあ」
「そう。君たち新兵に奢ってやろうと思っただけさ」
「ササヅカはもう食べてるが、君はどうする」
「チロ・デイシーだっけ?」
「君もササヅカくらい横柄になっていいんだぞ。これくらいやると、先輩に可愛がられる」
違う意味の可愛がりだろうよ。
佐倉の隣の男が、こっちの頭に触れて、ぐしゃぐしゃとかき回す。乱暴で頭が揺れて不快なだけだ。フォークで得体の知れない黒いドロドロをかき回しながら、やられるがままでいた。かき回すと、香ばしい匂いが黒い塊から立ち込める。何故、このグロテスクな黒色からこんなに芳醇な香りが生まれ出てくるのか。
「チロ、帰っていいよ」
佐倉は再び助け舟を浮上させた。
「先輩方が可愛がりたいのは、どうも私らしいし」
「そんなことはねえよ」
「注文はササヅカと同じもんでいいよな」
「ぼ、僕、でも……お、お母様に言ってなくて」
「おいおい、君、何歳だ!」
チロの言葉に男たちが嗤った。
「乳離れは終えただろ。それともまだなのか!」
下品、だよね?
佐倉は皿から顔を上げた。発言した真正面の男を睨んだ。
「そういうの好きじゃない。話題、変えて下さい」
「そう言うなよササヅカ。てめえだって思うだろ」
「思ってない。話題変えてよ」
真正面の男は身を乗り出した。
「なんだてめえも乳離れしてねえのかよ。母親が恋しくて泣くのか」
佐倉も背もたれから、背中を離す。
そうだよ。
母親が恋しくて泣く日だってあるよ。
頭に血が上る。
言葉に詰まったのは、気持ちが昂ぶり過ぎたせいだ。ぐっと奥歯を噛みしめたのは、家族のことを思い出したせいだ。でもこんな所で、泣くのは絶対おかしい。
――その瞬間だった。先ほどの乱暴な触り方とは異なる優しさで、頭の上に重さがかかった。
それは、ぽんぽんと軽く頭の上を跳ねた。
背後からのこの触り方、鋼の指の関節部分が引っかかり、頭皮が引っ張られるような感覚がある――はずなのに、今日のぽんぽんは人の手の温かさがあった。
「母親にしろ、父親にしろ、存命中は大事にするのが一番、じゃあないスかねえ」
いい加減な言葉遣い。でも温かい言葉と手の平に、今度は胸が詰まった。
――――ラックバレー。
反則だ。このオッサン、いつもちっとも優しく扱ってなんかくれないのに。
どうして今、鎧兜の人みたいな手つきで頭を撫でていくのだろう。
「ガキどもが奢ってもらうって聞いたもんで」
手が離れた。佐倉の背後から、彼は離れた。佐倉の右隣の兜の男の背後を通りすぎ、六番目が座ろうとした席に手をかける。
「おい、あんたの席はねぇんだよ」
昼街隊員からの制止の声。猫背男は無視した。
「まあまあ、新兵部隊員の一員として昼街に奢られに来たひとりなんスから」
そのまま腰を下ろしてしまう。佐倉と猫背男に挟まれた兜を被った昼街部隊員は、なおもラックバレーを追い出すように、「おい」と声を出しかけ――
遮るように、ラックバレーがテーブルに『それ』を転がした。
ごとん、と鈍く重い音がして、『それ』が転がった。
「痛てぇな……やっぱり、久々に持って歩くと」
のんびり言った猫背の男以外の全員が、テーブルの上に無造作に置かれたモノを凝視した。
『それ』は、佐倉の隣の男の兜と同じ色をしていた。筒部分はその鋼色で、長筒に埋め込まれたレンコンみたいな部分も同じく鋼色。トリガー部分もその色だけど、握りこむ場所だけは木製。
わあ、なんてシックで素敵な拳銃だろう。
佐倉は拳銃を見つめながら、お皿の中の黒い塊をかき混ぜた。
インテリアとして部屋に置くだけなら許せる。シックで素敵、って感想でいいと思う。でもラックバレーが、この場のインテリアが足りないと、テーブルに拳銃を転がしたわけじゃないのは、佐倉だって分かっている。
拳銃だよ、あれ、本物なんだろうか。
佐倉はかき回す手を止めた。
どんなに見つめていても、佐倉にはその武器が本物か偽物か判断がつかなかった。
そりゃそうだ。本物を見たことないのに、判断できるわけがない。
剣だけでも許容範囲を超えてるのに、ここでまさかの飛び道具。この武器がこの世界に蔓延っていることは知っていた。三番隊の頭のおかしい部隊長さんが、長銃をぶっ放した話も聞いている。存在していることは分かっていた。
分かっていたけれど、現実それを眼前に見るのと情報として知っているのでは全然違う。
ふ、と視線が落ちた。右隣の兜の男の左腰。
……あった。剣とは別の飛び道具。
佐倉は、平常心でいようと再び、得体の知れない黒い塊をフォークでかき混ぜた。皿の中身だけを懸命に見つめながら、そうかと気付く。今までだって、自分のすぐ近くで拳銃を持っている人は大勢いたに違いない。でも自分が気付かなかっただけだ。視野が狭すぎて、鎧を見れば鎧全体に驚いていた。細部なんかちっとも見ていなかったのだ。こんなに近くに―――手を伸ばせば届く距離にあったのに。
「銃なんて、あんた扱えるのか?」
佐倉の真正面にいる男が、テーブルの上に投げ出された銃から顔をあげた。
次第に口元が歪んでいく。
「万年、新兵部隊から出られない出来損ないが、そんな大層なもん、扱えるのかよ?」
その言葉は、ラックバレーに向けられていた。だが、佐倉に突き刺さった。ラックバレーは佐倉やチロを助けに駆けつけてくれたに違いない。そのラックバレーが、侮辱されるのは耐え難いことだった。全身が総毛立つ。―――今、あいつ、何、言った?
真正面の男は、ラックバレーを嘲笑った。
ラックバレーは、佐倉の相手をしている時のように好戦的にくってかかることはしなかった。相手を見据え、自嘲するように息を吐く。
「まあ、よ。万年、新兵部隊にいるような俺でも、ほら、能ある鷹は爪を隠すって可能性だってあるんじゃねえの」
「俺はあんたの後輩として新兵部に2年いた。あんたは間違いなく」
佐倉の真正面にいる男は醜い顔をしていた。人を傷つけて、喜びを感じる顔。―――言わせてはならない。
この醜い男に、この先の言葉を言わせてはならない。
皆、ラックバレーと佐倉の真正面の男に注意を向けている。
フォークから指が離れた。伸びた手が右側に座る男の腰へと伸び、『それ』を掴む。勢いよく立ち上がり、佐倉は『それ』の先を真正面の男へと向けた。
円卓を囲む全員が、目を丸くして固まった。
突然、立ち上がった子供の右手を、凝視している。
佐倉も、自分の右手を見つめた。
自分の右手を見つめて、どうしよう、と思った。
どうしよう、思わず拳銃、握っちゃった。




