バカラ 07
本当に、人を良く見ているオヤジ様だ。
ラックバレーは、訓練所の壁に背をつけて眺めた。昼街の駐在室から戻ったムドウ部隊長は隊員の個人指導をしていた。
二人一組の乱取りで、今声をかけられている奴は相手の力をいなすのが苦手らしい。すぐに正面から剣を受けるから、簡単に力比べのぶつかり合いになってしまう。一対一の試合ならそれでもいい。だが敵味方入り混じる白兵戦では回避といなしが出来ない奴は即座にあの世逝きだ。
若い兵は、ムドウ部隊長の話を聞いてはいる。でも理解できていないようだ。今は特にそうだろう。あいつ、確か昼街部隊を志願していたはずだ。それなのに、今日の三十名にムドウ部隊長は選ばなかった。すでにそこから納得していない。今はムドウ部隊長の言葉も上滑りするだけだろう。
ムドウ部隊長も人が悪い。今日、くどくど説明しても流されると分かっているくせに、そういう時に出来ていない箇所をいつもより懇切丁寧に教えこむ。いなしだよ、いなし。それが出来ねえと、てめえは今回昼街受けても落ちるってムドウ部隊長は言ってるんだよ。分かんねえだろうなあ、あいつ。
今日、選ばれた三十名は次の昇格試験で昼街部隊入りが濃厚な奴だった。
昼街部隊は、夕街部隊より規律に厳しい。昼街部隊で団体行動と規律を卒なくこなせるようになると、五年程で外遊部隊に入隊する道だって見えてくる。夕街部隊へ入隊する奴は個人主義の輩が多いから、外遊部隊への道はほぼ閉ざされて、街での任務が主となる。
だからムドウ部隊長は昼街部隊向きの奴と夕街部隊向きの奴で訓練内容を微妙に変更しているのだ。昼街行きの奴には白兵戦に備えた力をつけさせようとし、夕街行きの奴には街中でのどんな得物でも対応できるような個人力をつけさせようとする。
まあ、「いなし」もまともに出来ない奴は、どちらにも入隊できねえだろうけれど。
ぼんやり眺めながら、ずいぶん静かだなとラックバレーは思った。
瞬時に、黒髪の子供が頭に浮かんだ。最近、日に焼けて、黄色というより茶色に近づいた肌のその子供が脳内を駆け抜けていく。想像上で剣を大きく振り、すっぱ抜けた剣が巨漢の背中に当たってぎゃ、っと飛び跳ねた姿も思い浮かんだ。そうだ、そう。静かだと思えたのは、あの子供がいないからだ―――あいつ、いねえと平和だな、おい。
脳内で、駆け回った子供が、ムドウ部隊長の拳骨をもらって、しゃがみこみ頭を抱えてぷるぷるしていた。
――――アレの面倒を見てろ。
ふ、とそんな言葉が脳内で思い出された。クソガキ世話係に任命した部隊長の顔が浮かぶ。途端に、ラックバレーは背筋を伸ばしかけ、舌打ちして顔をしかめた。次から次へと、面倒なことを言いやがって……。
ラックバレーはムドウ部隊長を見つめた。今はこちらに背を向け、剣を振る時の軸足の重要性を説明しているらしい。覚えが悪い隊員の軸足を蹴った。見事に隊員がすっ転んだ。見えない速さの足蹴りだ。見えない速さだから、周囲も狐につままれたような顔をしている。転がされた隊員は寝転んだまま、軸足を踏ん張ることの重要性を懇々と説明されているに違いない。
「ラックバレー」
呼ばれて、ムドウ部隊長から顔をそらす。扉から顔を覗かせたチョビ髭のオッサンが、こちらを呼んでいた。親指を外へと出し、顔貸せの合図だ。
外へ出るとチョビ髭の男と、若い男が訓練所の外に立っていた。若い男はつい三週間前、新兵部の駐在室のドアをぶち破り、ドアの修繕費に涙した男だった。どちらもムドウ部隊長が選んだ昼街応援の三十人の中にいたはずだった。
「どうした、人手足りなかったのか」
ラックバレーが外に出ると、扉の外にいた二人は顔を見合わせた。
ちょっと歩きながら話そうとばかりに訓練所に背を向ける。
だからいったい何の用事だ。
「いや、人手は足りてた。余計な筋トレをしている奴がいても平気なくらいに」
「勤務時間外で人手が必要そうだと思ってな。一応、お前さんに声、かけとこうと思って」
その言い方に、すぐ事情が飲み込めた。
「喧嘩かよ」
ラックバレーは顔をしかめた。昼街部隊に応援に行った奴らが言い始めるってことは、相手は。
「昼街との喧嘩か。何、お前ら不参加ってこと?」
「そ。俺らは試験まで昼街とはやりあわねえって決めてるからな」
「こっちの人数は」
「あー、二人?」
「二人だぁ!? 全然、集まってねえな。相手何人だ」
「およそ八人くらいじゃね?」
「……何、その二人、死にてえの?」
昼街部隊は、腐っても新兵部隊より上だ。格も能力も劣る新兵部隊が昼街部隊から金星を上げるのは難しいって皆、知っているだろうに。
歩きながら、案内カウンターの横を通る。カウンターのバラッドは誰かと通信機で話し中だった。こちらと目が合う。目線が彷徨い、ラックバレーたち三人を眺めながら通信機に相槌を打っている。
視線を感じながらも、ラックバレーは話を戻した。
「誰だ、そんな阿呆な喧嘩の買い方している奴は」
「ササヅカ」
聞いた瞬間、足に根が張ったみたいに動けなくなった。
このチョビ髭、何言い出した。
「…………は?」
「だから、ササヅカだ」
「いや、あのな……ササヅカが喧嘩?」
「そう。どうも見事に売られた喧嘩を買ったなあれは。肩掴まれて、連れて行かれた」
「ちょ、ちょっと待て」
ラックバレーは眩暈を感じて、目を閉じた。
まず一番に、こいつらに聞いておきたいことは、だ。
「てめえらなんで、この話、俺に持ってきたんだ?」
ラックバレーは二人を睨んだ。
二人は質問の意図が掴めないとばかりに瞬きをした。
「え、だってお前、ササヅカチロ係だろ」
何その新しい係。しかも、なんか余計なのが、もうひとつ増えてやがる。
それで気付いた。ものすごく嫌な予感がした。新兵部からは二人って言ってたよな。しかもそのうちひとりがササヅカってことは。
「いやまさか―――喧嘩に行ったのは、ササヅカと、誰だ」
「チロ・デイシー」
「戦力、誰もいねえええぇぇぇ!」
片やひとりは赤ちゃんレベルの隊員で、片やひとりは民間人レベルの隊員だ。え、何、俺にその戦場につっこめと? 実質、昼街八人に新兵ひとりってことになる。何その阿呆みたいな話。
「昼街八人に、ひとりでボコられて来いってことか」
こんな不吉な話を持ってきた二人は、晴れ晴れと笑った。
「ま、仕方ないって。ササヅカチロ係だし」
「頑張ってボコられて来い。ササヅカチロ係」
―――アレの面倒を見てろ。
脳裏に浮かぶ部隊長の言葉も重なって、ラックバレーは呻いた。
そして、言葉と一緒に、拳骨に頭をかかえてぷるぷるする背中が浮かんできた。ああクソ。
「分かったよ、やってくりゃいいんだろ!?」
やってくる、というより、正しくは、やられてくる、だ。
こてんぱんにやられてくるっていうのが一番合っているだろう。とりあえず、ササヅカとチロを逃がして、相手をなだめすかしてくるしかない。くそ、何にせよ何十発かもらうに決まっている。
ラックバレーは悪態をつきながら本部を出た。昼街の奴らの溜まり場と言えば、と頭の中に浮かんでくるのは汚っねえ酒場だった。
「―――と、いうことらしいぞ」
誰もいなくなった案内カウンターで、バラッドが通信機に向かって言った。
「場所は?」
精悍なその若い声。
ものすごく乗り気の声に、案内カウンターは笑みを浮かべた。
ラックバレーが乗り込んだ後で、こいつが現れたら―――おぉ、すげえ面白い。自分の目で見れないのが悔やまれる。まあ、ラックバレーがどう反応するかは、目に見えるようだけれども。
「場所はきっとバカラだな―――行ってもらえるか、モントール?」
通信機の先は、朗らかに笑った。
「勿論ですよ」