ギルドの花 08
一階へ降りると、ラックバレーを含めた鎧の集団と鉢合わせた。
彼らは、ベッドを運んでいた。ベッドはマットレス部分が真っ二つ、中から綿とコイルが飛び出している。ベッドの木枠の部分は、くの字型に割れ、かろうじてくっついている状態だった。何故そうなった。
「お、そっち片付いたか」
ラックバレーが気付いて、ベッドから手を離した。途端に周囲の男達からブーイングの声が上がった。しかし猫背のオッサンは耳をほじりながら完全無視を決め込んだ。
とにかく持ち上げている物が重いらしく、立ち止まっているのが辛くなったのか、鎧の集団は「覚えてろよ! ラックバレー!」と、三流の悪者みたいな台詞を吐いた。そうしてベッドを本部の外へ運んで行く。
「あれ、何?」
目で追いながら、一応、聞いた。もう答えは分かっていたけれど。
「医務室でもう一回、勃発した」
ほらやっぱりギルドの花ってやつだ。一日、何回喧嘩をすれば気が済むんだろうこのギルド。
「で、お前のそれはなんだ?」
ラックバレーが指差したのは佐倉の薬指だった。布の切れ端が包帯上に巻かれている。
「ガラスの破片で切っちゃって」
自分の怪我を思い出せばいいのに、真っ先に思い出したのは、血を舐め取る赤い舌。
一気に体温が上昇する。
ラックバレーが目を丸くした。
「何、その反応」
「な、なんでもない」
「何でもない奴がどうしてそんな――顔、すげえ赤いぞ」
ラックバレーは覗き込もうとし、佐倉は顔をそむけようとする。無言の攻防が続き、やり合っているうちに、お互い苛々し始めた。ラックバレーがこっちの頭を掴んできたから、佐倉も腫れたおでこを掴もうする。目を剥いた猫背男はものすごい勢いで距離を置いた。お互い間合いをはかりながら、指をわきわきと動かし―――なんで、この人とこうなる。
佐倉は唸って、中腰の構えから身体を起こした。
「とにかくいいの。めちゃくちゃ綺麗に水で洗ったから、全然! 何にも! 問題なし!」
「で、誰に布を巻いてもらったんだ?」
「………」
「ははぁ、青くせぇ春ってやつ? 何、どこの姉ちゃんよ」
にやにや笑うオッサン、マジで死ねばいい。
お姉ちゃんじゃなったけどね。立派な胸板、見事な腹筋だったけどね!
あれから半裸の男は、獰猛にしなやかに四階への階段を上って行った。
彼はご機嫌だった。ものすごく。
私は不機嫌だった。ものすごく。
「誰でもいいよ。知らない人」
佐倉は乱暴に片付けた。隣のオッサンの生温かい目がウザ過ぎる。もう一回、タンコブにお見舞いしてやろうかと思った矢先、案内カウンターのバラッドが、
「ササヅカ、ちょっと来い」
と、声をかけてきた。
見やれば、ちょうどカウンターで手続きをしていた人が離れていく所だった。どうやら、こちらを目には入れていたが、接客中で声をかけられなかったらしい。呼ばれて行こうとする佐倉の襟首を、ラックバレーが掴んで引き止めた。
「お前、何かやったのか?」
「え?」
「いや、ほら。カウンター、怒ってるぞ」
「ええっ?」
案内カウンターのバラッドを見たが、いつもと変わらず口元に皮肉気な笑みを浮かべていた。怒っているようには……全然見えない。
基本的にカウンターの男は、人当たりがいい。強面、屈強、巨漢のオヤジが多い中、お客様相手をしているあの男は、他のオヤジ達より断然、気さくそうだ。ニヒルな笑みでもたいてい微笑んでいるし、話しかけやすそうな雰囲気を持っている。まあ、実際話しかけると、どの傭兵よりも返事が返ってくるのが遅いんだけれども。そんな人当たりの良い男が、怒っているかどうか……佐倉には分からなかった。
「怒ってる、かな?」
「ああ、完全にブチ切れてるな」
全然違いが分からなかった。
何かの間違いじゃ、と言いかけた瞬間、バラッドが笑顔でカウンターに物を載せた。どんと勢いよく。それは、分厚い封筒だった。うん? あれ、なんか見覚えあるんだけど、気のせいかな。
「なんだあれ」
と、ラックバレー。佐倉もそう言いたかった。
「いや、あれ。まさかとは思うけど、今朝、私がバラッドさんから渡された封筒のように見えるような、見えないような……」
襟首を掴むラックバレーと、掴まれた佐倉の間に、沈黙が落ちた。
「…………で、それ、どこやったんだお前?」
「…………どこやったか、全然思い出せない」
今朝、案内カウンターから渡された分厚い封筒のことを思い出す。そうだ、大事な大事な書類が入っていると説明をされたのだ。案内カウンターはあの時、こう言った。『―――特に住民証は観光用のと違って、ちゃんとこの国の人間って証明だ。絶対に紛失させないこと。再発行なんて俺の手ぇ煩わせたら……』
案内カウンターから今朝、受け取ったはずの書類は、何故か案内カウンターの所へと舞い戻っている。これってもしや、紛失したことになったりとか、ははは、まさかね……
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ」
恐ろしさに、口から悲鳴が漏れた。
バラッドが笑いながら手招きしている。いやいやいや。襟首からラックバレーの指が離れた。かつてない慈愛に満ちた手つきで、背中をそっと押してくる。いやいやいや!
佐倉は縋るように、ラックバレーの服を掴んだ。
「いや、思い出してきた。私、朝、ラックバレーと会った時まではちゃんと持ってた」
「知らねえよ、いいから行けって! あの人、ネジぶっ飛びすぎてて洒落にならねえ人なんだから!」
「いやいや、一緒に行こうって!」
「俺を、巻き込むんじゃ、ねえ!」
「ラックバレーがぶっ倒れなかったら、ちゃんと大事に保管してたんだよ!」
そうだ。そう。この人の今日の腫れた顔を見て、驚いて落として……ああ、それで落としっぱなしで忘れて、書類を見つけた親切な先輩の誰かがカウンターに届けてくれた、と。なんてありがた迷惑、余計なことを……!!
その時、ラックバレーが背筋を伸ばした。こちらをマジマジと見つめてくる。
我に返りましたって顔だった。
「そうだった。俺は朝、てめぇにどつかれたんだった」
ラックバレーが呟くように言った。
まさかのお言葉。
今さら、この段階で、今朝のことを持ち出してくるとは。
佐倉は思わず、相手を罵った。
「ホント、器小っちぇ!」
言った瞬間、抱え上げられた。ぐるりと地面が回る。麻袋みたいに肩に担がれた。目の前にラックバレーの背中。細すぎる男の肩の骨がお腹に当たる。痛いし、頭が逆さまで息苦しい。数歩、運搬されて行き着く先は、もちろんカウンター。
しかも下ろされたのはカウンターの上だった。降りようと試みた佐倉の両脇に、ラックバレーは両肘をついた。下から覗きこむようにこちらを見つめ、歪んだ笑みを浮かべた。
「いやー俺はよ、小っせえ男だから、ネチネチネチネチしちまうわけよ」
どうやら地雷を踏んだらしい。自然とラックバレーから離れようとして身体を引くと―――
「ご苦労さん」
背後からそんな声がかかり、首にぐっと指がかかった。肩越しに見れば笑顔のバラッドがそこにいた。しかもこっちの首に手をかけている。前にラックバレー、後ろにバラッド。何この素敵な図。涙出そう。
「煮るなり焼くなり好きにしていいッスよ。俺、抑えてますから」
「悪いなラックバレー」
そして、何このオッサン達の連携プレー……!
「ササヅカァ」
耳に案内カウンターの怖い声が落とされた。
「俺は言ったよなぁ……紛失させたら殺すぞって」
「いやいやいや言ってないでしょ、そこまで言ってなかったですよ!」
放り出すとは言われたが、殺すとまでは言われてない。それとも何か。この案内カウンターの人の中では、放り出すと殺すは同義語か。
「よし、寛大な俺がおバカすぎるクソガキにもう一度、チャンスをやろう」
バラッドの指が、佐倉の首を優しく揉んだ。力を入れられるより、よっぽど怖い。
「二度と、この書類で、俺を、煩わせるな―――ちゃんと理解したかな?」
佐倉は頷いた。必死に頷いた。頷かなきゃ殺されると思ったからだ。
その夜―――佐倉はどうにか帰宅した。
およそ23時間―――長時間の勤務を終え、疲れきっていた。疲れきってはいたが、封筒の中はちゃんと一通り見てから眠ろうと思った。
ベッドの上であぐらをかき、分厚い書類の束を封筒から引っ張り出す。すると、はらりと一枚のカードが落ちた。膝の上に落ちたカードを、持ち上げる。
それは『住民証』とあった。
なるほど、車の免許証のように持ち歩くカード式らしい。
何気なくカードの表を見る。顔写真がついていた。佐倉の顔写真。いつ撮られたんだろう。写真の中の自分は、顔に乾いた泥がついていた。目線はカメラのほうを向いておらず、隠し撮りをアップしたみたいに見える。何このヤバイもの。
最近、泥が頬にひっついたことと言えば、草原で落馬したあの日しかない。ずいぶん転がって、砂にまみれたのだ……と、いうことは、これは、街についたその日に撮られたもの、だろうか。
何気なく裏を見た。個人情報の記載欄らしい。今のアパートの住所や所属ギルドまで細かく印字されている。うん。これ、確かに紛失させたらダメなものだ。管理はしっかりしなくては……そう決意しながら、じっくりと見ていた目が、もっとも初歩的な情報を読み取る時に躓いた。
小首を傾げる。あれ、おかしいな。何度、読んでも頭に入ってこない。
だから、ゆっくり音読してみた。
「氏名ササヅカ。年齢14歳。性別オトコ……」
呟いて、口を閉じる。
やっぱり内容は脳に到達しなかった。
疲れすぎているんだ。眠ろうと思った。