ギルドの花 05
テーブルと椅子を被害の無い場所へ移した。
おっかなびっくり割れた皿を集め始める。食べ物はあっちの袋で、粉々のお皿はこっちの袋。赤い液体は……。気付けば大量の袋が自分の周りに置かれていた。袋の量に心が折れた。分類は無理。量が多すぎてラチがあかない。仕方がないから、食堂奥からモップを持ってきて、大雑把にかき集め始めた。
掃除をしながら思う。
今まで、ひとりで割れたお皿を片付けたことなんて、あっただろうか。
小学生の頃、給食で割った牛乳瓶はクラスメイト全員で片付けた。家で皿を割っても、母が手伝ってくれた。
それが今、こんなところで、ひとりでお皿を片付けている。
妙な感じだ。鎧や剣を見かけた時よりも、異世界にいると痛感するのが、こんな何気ない時だった。新しいことを知る時は、異世界なんだなと盛大に驚く。でも日常の中でちょっとしたズレを感じる時は、ボディブローみたいにじわじわ効いてくる。
ぼんやりとして、モップの動きが緩慢になる。
――――その時だった。
食堂の大扉が激しく動いた。
音に驚く。びくり、と肩が震えた。振り返れば、大扉がもう一度振動した。
ラックバレーが去った後、佐倉が中から施錠したから扉は開かない。でも、開けろ、ってさらにもう一度。
「あ、待って、ください!」
佐倉はモップを片手に、扉を開けに走った。ここが使えないことを知らない食堂利用者がいるかもしれない。だがそういう人達も、鍵がかかっていれば諦めてくれるだろう――そう思って鍵をかけたのだが。
今、外から扉が開かないという動作をされて、慌てて内鍵を開けているのだから意味がない。自分にツッコミを入れながら、扉を開けた。
「今、開けますから!」
見上げる形になった首は、さらに真上に上がらなくてはならなかった。ここの人達は大きすぎる。何気なく見て、息を呑んだ。
立っていたのは、鎧兜の人間ではなかった。
鎧兜どころか、と、目が彷徨う。かっと体温が上昇した。耳まで熱いのが自分でも分かる。だって――鎧兜どころか、上、服着てない。ジーンズ一着、腰ではき、半裸で現れた男に、佐倉は動揺して声も出なかった。
体育の授業前、教室で着替える男子の身体とは全然違う。大人の男の人の身体つき。男らしすぎる肌の上を目が彷徨い、はっとして首より上へと視線が上がる。一対の青灰色の瞳がこちらを見下ろしていた。目を奪われていたことを真上から見られていたことに気付く。猛烈に恥ずかしさが襲ってきた。もう首より上しか見れなかった。でもそうすると目もばっちり合うわけで。
目が合ったことを自覚して、血の気が引くくらい身体が強張った。
――――この人、なんだか……
怖い。
何が怖いのか説明がつかない。でも怖い。目を見開いたまま、視線を合わせることしかできない。目をそらしたら、どうなるか分からない。そんな訳の分からない恐怖に襲われていた。
身体の力が抜けたのは、青灰色の瞳が、佐倉から食堂内へとそれたから。中を見た男は眉宇をひそめた。それだけで、ぐっと室内の温度が下がる。
「喧嘩だな」
首から上を見ていた佐倉には、咽喉仏が動くのが分かった。重低音の声。でもムドウ部隊長のようながなり立てる音じゃなくて、もっと静かに鼓膜を震わせ、そしてもっと、怖い。
「どこと、どこがやり合った」
やり合いが、殺り合いって頭の中で自然変換された。いやいやいや、おかしい。それはおかしい。
「え、っと、夜街部隊と、朝街部隊の喧嘩って」
人から聞きました、と言う前に、視線が戻ってきてしまった。再び緊張して、持っていたモップを握りしめる。まばたきも許されないくらい、気圧されていた。
「お前」
相手がぽつんと言った。
「誰だっけ」
いや、知らなくて当然なんだけども。
「笹塚、です。あ、新兵部隊の、笹塚です」
「ササヅカ?」
口に乗せ、何度か呟くように言う。
「ここの名前じゃねえな」
「は、はい。他国から、来たので」
「他国、ね」
信じてくれているのか、信じてくれていないのか。判断がつかない。
「それで、今日は空いてねえと、ここは?」
彼は手の甲で扉を軽く叩いた。佐倉は小さく頷いた。ため息が落ちてくる。不機嫌そうな嘆息が、恐ろしすぎた。
「俺は今、死ぬほど腹が減ってるんだが?」
凄まれた。青灰色の瞳が、気にいらないとばかりにこっちを見下ろしていた。いや、おかしい。明らかにそれはおかしい。
「いや、でも私に凄んでも意味がないでしょ」
ぼろっと漏れ出た。う、わぁ! 何故今、言った自分! ばっとモップから手を放し口を押さえた。が、すでに遅い。遅すぎる。半裸の男はばっちり聞いていた。
佐倉の言葉に青灰色の両目が緩やかに見開かれ―――
からん、と乾いたモップの柄の音が虚しく響いた。