ギルドの花 04
仕事って何をするんだろう。
階段を上がっていくラックバレーの背を追いながら、佐倉は小首を傾げた。明け方からこの時間まで、佐倉がやったことと言えば、二階で同じ部隊の先輩方に引き合わされただけだ。正直、顔の区別は全然ついていない。
同じ部隊の先輩で区別がつくのは、今、先を進むラックバレーだけだ。彼は午前中も、佐倉達と一緒にいた。いや、一緒にいたというと語弊がある。正しくは、佐倉達に絡んできた、だ。
明け方の佐倉の行動を恨んでか、彼は粘着質に絡んできた。その度、人相と言葉遣いでチロが怯える。チロが怯えるから、佐倉が少年を庇って怒る。するとラックバレーがさらに絡んでくる。悪循環を延々繰り返し、佐倉は確信した。先輩方の顔の区別はつかないが、ラックバレーだけはもう誰とも間違えない。それくらいしっかり頭の中に刻み込まれていた。こんなにガラの悪くて面倒くさい、チンピラみたいなオッサン、そういない。
これ以上、ラックバレーに絡まれるのは遠慮したいけれど、午後からも先輩達との引き合わせが続くんだと思っていた。そう思っていたのだが、案内カウンターで、ラックバレーは仕事があると言っていた。でもチロはまだ、おうちにご飯を食べに戻ったままだ。ミカエルだって今、本部から出て行ったばかり。
「仕事って、何するの?」
階段を上りながら、佐倉は訊ねた。
「現場の片付けだ」
「片付けって何の?」
「喧嘩だよ。喧嘩」
「また喧嘩?」
本当にこのギルド、日常、喧嘩をしているらしい。
さすがは、喧嘩が『グレースフロンティアの花』なんて言われるだけある。しかし仕事の内容を聞いて、気が抜けた。現場とか片付けとか言われたから、殺人事件の現場整理みたいなのを想像していた。そんな大それたものじゃなかったようだ。
二階通路に着いたけれど、ラックバレーはさらに階段に足をかけた。喧嘩現場はいったいどこ。
「片付けって新兵部隊がやるの」
「当たり前だろ。新兵部隊ってのは、訓練と本部雑用が主な仕事なんだよ。あとは他の部隊が手一杯になった時の臨時要員。いわゆる補欠。祭りの時はなんかは、お声がかかるが後はたいして大きな仕事はねえよ」
「そうなんだ」
「そうなんだってお前な」
踊り場で折り返しながら、ラックバレーが嫌そうな顔でこちらを見た。
「初めて仕事内容知りました的な顔、マジでやめろ」
まさにその通りだった。さすがに言ったら怒鳴られそうだから佐倉は黙った。
ラックバレーは幸い、それ以上言って来なかった。後ろについて歩きながら、新兵部隊の役割に改めて納得した。外遊部隊の軍隊のようなあの人数から考えれば、このギルドが大勢の人間を抱えていることが分かる。そんな大規模な団体で、新兵なんて名前のついた部隊に大きな仕事を任せるわけがない。
「ここだ」
ラックバレーが連れてきたのは、佐倉にも見覚えのある場所だった。
そこは、先ほど佐倉が追い出された場所。
大食堂の扉前だった。
大扉は閉められている。でも、怯えるくらいの騒音だった鎧の音も、男達の粗野な大声も聞こえてこない。ラックバレーが扉を開き、先に入った。佐倉も続く。中は誰もいなかった。漁業網にかかった大量の魚みたいな男達はいったいどこへ行ったのか。驚きだ。誰ひとり、いない。調理場も、大人数が収容できる食堂内も、人の気配が嘘のように消えていた。
人の気配は無いけれど、人が今までここにいたという事実は、はっきりと残っていた。
木材の丸テーブルも椅子も、大量になぎ倒されている。床には皿の残骸と、皿の中身の残骸と、スープの残骸―――ではない多量の赤い液体がそこかしこに散らばっていた。
「…………喧嘩、だったんだよね?」
佐倉はおそるおそる隣の男を見上げて訊ねた。
ラックバレーが呆れたように言った。
「他の何に見えるんだ?」
――――殺人現場に見えます。
とは、恐ろしくて言えなかった。肯定されたら本当に洒落にもならない。赤い液体量の多さは、気のせいって思い込もう。
「で、お前は、ここの片付け」
ラックバレーの言い方に引っかかった。
「まさか、一人で?」
この凄まじい状況の片付けを?
ラックバレーが唸った。
「他の場所もあんだよ。ここで喧嘩した野郎どもが、医務棟に運び込まれた。――そもそも、ここの騒動は、夜街部隊が朝街部隊につけたイチャモンから始まってんだ。医務棟で互いの仲間に説明中、口論が発展してまた喧嘩。あの二つの部隊、仲がクソ悪いからすぐに部隊を背負った大喧嘩に発展しちまう」
うんざりしたように猫背の男は続けた。
「今、うちの隊員でそれぞれ引き離してる所だ。だが、縫合中の奴や怒り燻っている野郎がベッドに括りつけられてる状態だ。その上、このあと、話を聞きつけてきたそれぞれの部隊の奴が乗り込んでくるに決まってる。ありゃ、もう一回、噴火するぞ」
言いながら、彼は食堂の中を手振りで示した。
「暴動が起きた時に、てめえじゃ何の対処もできねえだろ。だから、お前はこっち。俺達はあっちだ。あっちがある程度片付いたら、こっちに回すから辛抱して一人でやってろ」
そう言われたら、もうやるしかない。
佐倉が覚悟を決めて頷くと、彼は珍しくにやりと歪んだ笑みを浮かべた。こちらの頭に手を伸ばし――――ラックバレーの手が佐倉の頭の上でなく、額で止まった。
「ふぎゃ」
瞬間、佐倉の額に痛みがはしった。まさかのデコピン。しかもめちゃ痛いデコピンだった。
だからそうなんだって。佐倉は痛みで額を押さえながら、自分に言い聞かせた。モントールの撫で癖のせいで無警戒に頭を差し出してしまった。だが、このオッサンはラックバレーであって、モントールじゃないのだ。撫でてくるわけない。デコピン。そうラックバレーならデコピンぐらいする。でもなんでデコピンしてきてんのこっちに。
こちらの不満が伝わったのか、ラックバレーはくっくと笑い、扉に手をかけた。
「今日の騒動が原因で、食堂の姐御が『ヤメだヤメ!』って鍋投げて帰ったから、皆、食堂じゃ飯にありつけねえって知ってる。安心して片付けてろ」
佐倉は額を押さえたまま、出て行くラックバレーを見送った。
扉は閉められた。
「さてと」
ひとり残った佐倉は振り返った。額から手を離し、食堂全体を見回した。
まずはテーブルをどけて、床を綺麗にしよう。
「やりますか」
気合を入れなおし、食堂の中へと進んだ。