ギルドの花 03
注目されている。
佐倉が気付いたのは、その日の午後になろうかという時刻だった。
昼食のために訪れた食堂は、屈強な鎧の集団でごった返していた。
今日一日、常に一緒にいたチロは、一度、家に戻ると云う。結果、佐倉はひとり、大食堂の入り口で立ち竦むこととなった。
食堂の混雑ぶりは、漁業網にかかった大量の魚を連想させた。鎧、鎧、鎧。あのひしめき合う鎧をかきわけて、ご飯を食べる――うん、早々に諦めたほうが良さそうだ。
料理を出す女性も佐倉に、外で食べたほうがいいと忠告した。いや、ありのままに言えば、忠告なんて生易しいものではない。料理担当の身長の高い女は、佐倉を見るや舌打ちした。見て分かんないかい、今クソ忙しいんだよ。新兵部はヨソで食ってきな!
それで三階大食堂から一階ホールへ逃げてきた。
大食堂に比べれば、はるかに静かな一階ホール。案内カウンターには、バラッド。――それに、鎧兜のモントールがいた。あの兜姿を発見したら、自然と顔が綻ぶ。彼は案内カウンターに手をついて、のんびりと話をしている。
あの鎧兜の兄さんは、怪我の療養という理由で、外遊から離れているらしい。
昨晩、彼自身がそう佐倉に説明してくれた。でも説得力は全く無い。なにしろ骨折四日目に、長時間走り、息も乱さなかった男の言葉である。療養している人があんなにアグレッシブに走れるわけがない。今、外遊部隊に戻っても、何の問題もないはずだ。
でも、それでも、この世界でほぼ最初に会った人が、まだ自分の傍にいる。それは素直に嬉しかった。もちろん、甘えすぎてはダメだとは思うけれど。佐倉は自分の心を引き締めつつ、でも自分の頭をぽんぽんする鋼の指先を思い出した。あの兄さん、甘やかしてくるんだよなぁ。
案内カウンターに立っていた鎧兜の男は、佐倉が階段の中腹に立っているのに気がついた。
兜なのに、彼が歓迎してくれたのが伝わってくる。こっち、おいでと手招き。
その手招きで、足を進めようとした時だった。
横を、佐倉と同じくらいの身長の少年が通り過ぎた。
白冑。金色のオカッパの髪がさらさらと揺れた。横顔と顎のラインがものすごく美少年。
ミカエル・ハヅィだ。
白冑の美童は佐倉を見てはいなかった。でも佐倉は見惚れた。そんな美童の後ろを、数人の鎧を着込んだ男がついていく。大人の男の人達だ。なんぞ。今の。見惚れていたものが、呆気に取られる光景へと変化した。
白冑の美童は、大人の傭兵を付き従えていた。
そのまま、案内カウンターも無視で、颯爽とホールの入り口へと向かって行く。
その時になって初めて、白冑の美童――ミカエル・ハヅィが、注目の的であることに気がついた。大人を付き従える美少年を、周囲の人々が動きを止めて見つめている。
そんな周りにも、美童は動じない。さも当然といったふうに、平然と本部から出て行った。
「まあ、ずば抜けて目立つってこったな」
佐倉がカウンターへやって来ると、バラッドが頬杖をついたままそう言った。
「目立つって、でもまだ入隊一日目、ですよ?」
一日目にして、大人を引き連れて歩くとは。
「これからどんどん増えるぞ」
と、バラッド。
「あれは目立つから、どこへ行っても人だかりができるようになる」
「でもどうして、そんなに騒がれてるんです?」
佐倉は頭の中で、ミカエル・ハヅィの姿を思い浮かべた。
ミカエルは、花のような美少年だ。濃金の髪に、青い瞳。白い肌はラックバレーの血色の悪さとは違う。オカッパの髪型は疑問だけれど、その髪型がミカエルを、より中性的に見せていた。西洋人形のように可愛らしくも、すっと伸びた背筋に意志の強さを感じる。
気品のある高嶺の花、そんな雰囲気だ。
確かに顔は綺麗だ。顔は綺麗だけれど、だからと言って後ろを金魚のフンみたいに歩きたいとは、佐倉は全然思わなかった。
「あの顔立ちを見りゃ、ハヅィが名乗らなくても誰でも由緒正しきハヅィ一族って分かる。もちろん剣の扱いも新兵にしちゃ抜群にいい。今後、出世しそうなミカエルを、自分の手の内に引き込みたい、もしくは奴の手の内にいたいって思うのは別段、妙でもねえだろ」
バラッドの言葉に、モントールも頷いた。
「確かにハヅィは、この先、周りが放っておかないでしょうね。数年後には朝街部隊で、副隊長にでもなっていそうだ」
「すでに、朝街部隊が声をかけてるらしいぞ」
「へえ。それは凄いな」
佐倉は、二人の会話をなんとなく追っていた。つまり、ミカエルが名門家の出身で、このギルドでも出世しそうだから、おこぼれを預かりたい輩が集まりだしているってこと?
最初に会った時の美童の視線を思い出し、納得した。なるほど。名門家のお坊ちゃんだから、平民を蔑むってわけか。佐倉にとってミカエルのイメージはあまり良くない。良くないどころかマイナスよりだ。ミカエルって、顔はいいけど高飛車で嫌な奴。それが佐倉のミカエルに対する印象だった。
眉根を寄せた佐倉に、バラッドは思い出したように笑いながら、モントールを指差した。
「そうそう。モントールが入隊した時も、今みたいな、いや今以上の騒ぎだった」
「モントール?」
佐倉は横を見た。
最初に会った時から、変わらない鎧兜の男が立っている。
なんで今、モントールの話?
「そうこいつ。モントールの時は、すげえ騒動でな。収拾がつかなくなった頃、私用任務から帰還した三番部隊長が事態に気付いた。三番部隊長は、気に食わねえと思ったんだろうな。長銃ぶっ放して、事態を沈静化させたんだ。――いやあ、あれは面白かったよな?」
「殺されかけた俺に言いますか」
モントールは嫌そうに言った。
「グリム部隊長、その時なんて言ったと思う。『根源を断ち切れば、熱も冷めるだろ』って。本当に銃弾かすったんだ。あの人、冗談じゃなく本気で殺そうとしてた」
「あの人は、煩わしいか煩わしくないかで判断してるからな。運悪く、煩わしいと思われちまったんだろ」
「冗談じゃないですよ。俺、殺されかけたのに、次の日にはあの人、けろりと忘れているんですから」
「だから翌日は煩わしくないって思ったんだろ」
「気分屋すぎる……」
モントールが兜の中で呻いた。
「で、その後、こいつは顔を晒すのをやめたってわけだ。周りにいた奴らもモントールと関わると、命の保障が無いって分かってからは随分と大人しくなった。結果はグリム部隊長のおかげで事態収束」
「そうしなきゃ、気分屋の部隊長に殺されると思ったからですよ――――ササヅカ、この人はな、カウンター前が殺人現場になりかけているのに、腹抱えて笑ってたんだ。薄情すぎるだろう?」
話を振られて、佐倉は小首を傾げた。
「モントールって美青年で、おうちも影響力のある家なの?」
ミカエル以上の騒ぎということは、そういうことなのだろうか。
モントールと言えば、佐倉の中では鎧兜の姿しか思い浮かばない。モントールが鎧兜を脱いでしまえば、往来で佐倉がすれ違ったとしても、誰だか分からないのだ。いったいどんな顔をしているんだろう。
佐倉の素朴な疑問に、ゆるゆるとバラッドが笑った。
「そりゃあ、リャノン・モントールって言えば、絶世の――」
「お前、うん、そのまま素直に育つといいよ」
バラッドの言葉に被せるようにモントールが言った。鋼の指が頭をくしゃくしゃかき混ぜてくる。髪が鋼の関節部に引っかかる。頭皮が引っ張られてちょっと痛かった。
「まあ、あれです」
モントールは佐倉の頭に手を置いたまま、バラッドに話を振った。
「前例もあるから、ハヅィの騒ぎはそれほど酷くはならないと思いますよ」
「まあな、気分屋の部隊長の目に留まって、死体で転がりてえって奴はいねえだろうし」
「何、そのさっきからさり気なく登場してる危険な部隊ちょ、ぐわ」
佐倉が感想を言おうと口を出した瞬間、服の襟首が引っ張られた。奇声へと変わる。
見上げれば、目蓋の腫れた男が立っていた。ラックバレーだ。
ラックバレーに襟首を引っ張られて、置かれたままだったモントールの鋼の指が頭から離れた。
色白の病的に痩身のオッサンは、バラッドを見て言った。
「仕事が入ったんで、こいつ連れて行っても?」
「おい、どうしたその顔」
案内カウンターの返事より先に、鎧兜のモントールから驚いたような声。
ラックバレーはモントールに視線を一度投げた。だが、すぐさま苛々と視線を逸らす。案内カウンターが肩を竦めて、行けと合図を送る。
佐倉は襟首掴まれた状態で、カウンターから離れることになった。そして愕然とした。しまった。ご飯、食いっぱぐれた。
階段を上がる子供と猫背のオッサンを見て、バラッドはにやついた。
新兵部隊のラックバレーは外遊のモントールが側に寄ると、最高に卑屈になる。今もそう。いい大人が、声をかけられたのに相手を無視。ガキの対応だろそれは、とバラッドは笑いを堪えるのに必死だった。
8年前、年齢は違えどモントールとラックバレーは同期として入隊した。始まりは同じだが、その後一人はエリートとして外遊部隊へ行き、もう一人は、いまだに新兵部隊で燻っている。
ラックバレーが捻くれるのも無理はない。同期として比べられ続けるのは、『あの』モントールだ。全てを兼ね備えた男、リャノン・モントールは入隊後、ミカエル以上の注目を浴びた。そして、騒ぎを収拾しようとしたグリム部隊長の銃弾を避けた。あろうことか避けたのだ。本人は掠ったと言っているが、三番部隊長が殺し損ねたのは、モントールが異常である証明だ。
偶然、それを見ていた外遊部隊のアルルカ部隊長が、モントールを外遊へ推薦した。そうして、このギルド初の、新兵部隊からそのまま外遊部隊へ行く超エリートが誕生したのだ。それ以前もそれ以降も、同じルートで外遊に入隊した奴はいない。
だから、外遊のモントールと言えば、今でも『あの』モントールと言われるのだ。本人が兜を被って、周囲に溶け込んだフリをしても、全然溶け込めていない。それがモントールという奴だ。
そんな化け物と比べられ続けるオッサンの心境はどんなものか。
万年新兵部の男は、最近その捻くれぶりに拍車がかかり、モントールがいると真面目に訓練するのも投げ出す始末。昨日のササヅカの試験もそう。ラックバレーは、モントールを見かけた途端、投げ出した。卑屈っぷりが最高で、バラッドはカウンターで爆笑だ。
そしてラックバレーが一番可哀想なのは。
「あいつ、喧嘩したんですか? 昨日ぶっ倒れてたのに?」
カウンターの横でモントールが心配そうに言った。
そう。ラックバレーが、あれだけモントールを嫌い抜いているにも関わらず、この鎧兜の当人は、嫌われていることに全然気付いていないのだ。
今日に至っては、純粋に万年新兵部隊員の心配までしているらしい。
もうこうなると、このモントールという大きな影に覆われて、いつも小さなプライドを刺激され続けているオッサンが哀れすぎて、胸が痛くなってくる。いや、正しくは腹が痛くて、よじれそうだ。
「……何、笑ってるんです?」
モントールが警戒するように案内カウンターを見つめた。
バラッドは口元を拭って笑いを消しながら、首を振った。
「いやいや、うん。お前も、そのまま素直に育てばいいと思うよ」
バラッドは真剣な顔で頷いた。
答えをやるつもりも、解決してやるつもりもなかった。
こんなに面白いもの、どうして解決なぞしてやるものか。
案内カウンターの愉快狂は、黙って首を振り、仕事に戻った。