加入試験 07
深夜に雨が降り出した。
カウンターの定位置で、事務処理をしていたバラッドは、常に施錠していないホールの扉が開く音に顔を上げた。
びしょ濡れのロングコートの「彼」がこちらへ向かってくる。
「無事のご帰還、何よりで」
シンと静まり返った空間で、バラッドの声が響く。
相手の靴の音もまた、大理石の床に反響する。「彼」は全身濡れた姿のままで、カウンターへと辿りついた。鋭敏なバラッドの鼻が、血と弾薬の臭いを嗅ぎ取った。どうやら「彼」は、その能力を最大限発揮してきたらしい。
「夜街の一件、どうなった?」
それは今朝、バラッドが非番だという「彼」に依頼した仕事だ。「彼」は青灰色の右目と隻眼用の左全体を覆う黒マスクでバラッドを見つめ返してくる。
「魔女が出た」
「魔女が?」
バラッドは不謹慎にも口笛を吹いた。
「やっぱなあ、部隊長クラスの依頼じゃねえかと思った」
「勘が当たったじゃねえか」
「で、始末した?」
「いや、逃げられた。壁に溶けたら、さすがに追えねえだろ」
「……その魔女、まさか」
「察しがいいねえ」
水滴が落ちる前髪を掻きあげる。
「「マイミューン」」
同時に言って、バラッドは舌打ち、「彼」は笑った。
「珍しいところで会ったもんだから、嬉しくて発砲しちまった」
「遊んでないで、ちゃんと仕留めてくれ。あれは厄介者なんだから」
バラッドは愉しむ気にもなれず眉根を寄せた。
「何用でうろついてやがるんだか。今回発見されたから、次回は用心して動くだろ。潜って浅瀬には顔を出さなくなっちまう」
「それなら引きずり出してやるまで」
事も無げに難題を片付けてしまうのは、さすが、と言ったところか。
「依頼、どうする」
バラッドが訊ねた。
「ここで調査を打ち切ってもいいんだぞ。一応、正体が分かったわけだし決着が着いたってことで」
「いや保留。白天祭までの一ヶ月、調査継続。奴の影すら踏めねえなら、任務終了だ」
「了解」
その後、二言三言会話を交わした後、カウンターを離れる「彼」に、バラッドは思い出して声をかけた。
「グリム部隊長?」
左側全体を覆う隻眼用の黒革のマスクが、こちらに向いた。
「そういや、今日の受験生のことなんだが」
バラッドの言葉に、青灰色の右目もバラッドのほうを見た。その瞳には、何の興味も見られない。眉宇をひそめ、青灰色の右目が細められた。
「何の話だっけ?」
はい、すっかり忘れたらしい。
「ああ、うん。ま、いいや。ただの小っせえ話だ」
今朝、子供の背中を目で追って、結果を教えろと言ったのは、階段を上る「彼」だった。だが魔女騒ぎで完全に興味を失ったらしい。あの男、どうでもいいと思ったらすぐに忘れてしまう。こうやってカウンターにいるバラッドですら、仕事を辞めて二日も経てば、誰だお前と言われてもおかしくはない。
バラッドは事務処理中の用紙に目を落とした。今日から新たにグレースフロンティアに入隊した『三名』の名前が明記されている。
「さあて、てめえらはどれだけ上へ行けるかねえ」
白冑の美童に、泣き虫小僧に、そして妙な求心力を持つササヅカ。
まあ、カウンター内で見ている分には、飽きない新兵達の誕生だった。