加入試験 06
受験生のネームプレートが、カウンターに置かれた。
「お返しします」
数分後、煙草の一服を終えたバラッドが、案内カウンターから顔を上げた。目の前には、長々と待たされた美童が、不快そうに眉をひそめて立っていた。
「おう、合格か?」
美しい眉が引き上がる。ケツの疑問符が信じられないという表情。
「落ちる要素がありません」
「そりゃおめでとさん」
バラッドは、もう一人を見た。
「で、てめえは?」
ぼろりぼろりと大粒の涙をこぼす少年は、唇を噛み、声を殺している。白冑の美童が、軽蔑の視線を少年に投げた。
「受かる要素がありません」
バラッドは同情もしなかった。ただ肩を竦めて、美童へと視線を戻す。
「加入試験の合格者は、新兵部隊に所属することになる。明日は一日、本部だな。早番、昼番、遅番、深夜番、全部に出て顔を覚えてもらえ。眠る暇ねえぞ」
美童は肩を竦めただけだった。ちょっとの脅しじゃ動じもしない。
「明朝、四時にここに来い」
「はい」
そこで美童は頭を一振り。
「それでは失礼します」
颯爽と去る白冑の美童は、なかなか絵になるものだった。凜とした中性的な後ろ姿に、他の傭兵達も自然と視線で追っている。あの容姿にあの名門家出身となれば――バラッドはカウンターに頬杖をつき、冷めた目で周囲の様子を観察した。
「こりゃあ、トラブルの種になりそうだねえ」
「あ、あの……」
もうひとりの少年が、ネームプレートを置いた。
「あ、ありがとう、ござっ…いましたっ」
「おうご苦労さん」
泣いたままの少年のネームプレートをしまう。こいつはこいつでなかなか面白そうなんだがね。
「まあ、傭兵とか警備ギルドって言われてんのは、まだ他にもあっからそこで頑張んな」
規模はこことは比べ物にもならないが。
言葉をかけてサヨウナラのつもりが、少年は立ち去らなかった。
「あの……」
「あ?」
「あ、あのっ…さ、ササ、ヅカ君、ど、どうっ…なりましたかっ」
緊張と涙で、酷い有様だった。
「あー、あいつね」
「俺にも状況を教えて欲しいもんだ」
少年の背後から、野太い声。
少年が、一瞬でかちこちに固まった。バラッドはムドウ部隊長へと視線を上げた。
「リタイアした」
さっくりと言えば、奇妙な空気が流れる。
期待外れすぎて、ムドウ部隊長が悪態をついた。
その悪態を聞きながら、バラッドは続けた。
「ラックバレーが」
またしても何とも言えない空気が流れた。
「三時間もしないうちに追い抜かれちまったんでな。話にならないってんで、今は、ホールで観戦してた外遊のモントールが走ってる」
「モントールだと!?」
「そう。あのモントール。これがまた傑作で……いや、あのモントール相手でも、あいつ、なんとかついて行ってるぞ」
「信じられん……」
そこでバラッドは入り口に目を向けた。
「そら帰ってきた」
獅子門をくぐって、鎧兜のモントールと真っ赤な顔をした子供がホールに飛び込んできた。
容赦ない。
焼け付くような咽喉の痛みがぶり返し、佐倉は荒い息を繰り返した。
モントールとラックバレーじゃ全然違う……!!
もう何回通ったか分からない獅子門を抜け、モントールの背を追ってホールに駆け込んだ。佐倉はすぐ止まるわけには行かなかった。荒い息のまま、ホール中を流す。次第にペースを落とし、歩いた。
腰に手を当て、胸当てと脇や背中の間に隙間を空ける。――問題のひとつがこれだ。
走りづらいと予想した通りだった。ワンテンポ遅れて身体にぶつかる胸当てのせいで、皮膚が擦り切れて擦れる度に痛みが走る。二度と着ない、こんなもの。絶対、二度と。
ちらり、とモントールを見た。余裕がありそう。顔が覆われているから見えないけれど、多分、息、全然上がってない。思わず呻き声が口から出る。化け物め。
「肋骨、折れて、なかった、っけ?」
息つぎをしながら訊ねる。そう、だってあの時、馬から落ちたわけで。馬から落ちて、彼は怪我をしていたはずだ。あの草原の戦場で、四日前に落馬した人が、なんでこんなに元気に走ってくれちゃってるの。佐倉の疑問に、モントールはからりと笑った。
「こんなもの、四日寝れば治るさ」
「治るかバカ」
「馬鹿ってお前ね、俺、仮にも先輩だぞ」
返事はしなかった。脈を正常に戻すことで精一杯だった。暫くすれば、呼吸が戻る。足も動く。うん、まだ走れる。
横目で見ていたモントールは、ササヅカがリタイアの危機を脱したのを見て、ひそかに賞賛した。ササヅカは肺と心臓が強い。あんな細い身体のどこに、そんな体力があるのだろう。少なくとも、それ程、手を抜いて走っているつもりはない。もちろん、ある程度は手加減はしているが、それだって、早々リタイアしたあの万年新兵男のペースを真似ているだけで、別段遅すぎるわけでもない。
本当であれば、もう少し、ペースを落としてやりたい。
モントールは歯がゆく思った。胸当てが大きいのかもしれない。ずっと気にして、何度も胸当てを浮かせている。きっと皮膚がやられているに違いない。
しかしこれ以上、ペースを落とせば、あの案内カウンターは嬉々として口を出してくるに違いない。あの愉快狂は、ササヅカが落ちようが受かろうが、面白ければどうでもいいのだ。今だって、気付いている。こちらがササヅカの入隊を願い、手を貸したくてウズウズしていることを。合格させたい相手を、そう簡単に合格させるわけにもいかないこちらのジレンマを、あの案内カウンターは愉しんでいるのだ。
「あれ?」
ホールの奥で、佐倉は少年の姿に気がついた。
「チロ!」
駆け寄る。胸当ての痛みも忘れた。チロの後ろにはムドウ部隊長が立っている。思わず、口元が緩んだ。
「まだ生き残ってますよ」
誇らしげな佐倉を、ムドウ部隊長は、ふんと鼻であしらった。
「チロ、どうだった?」
佐倉に訊かれて、チロは真っ赤になった。ちらり、とムドウ部隊長を伺う顔。ムドウ部隊長と目が合う前に、チロは俯いた。
「だ、ダメ、だっ……った」
小さな声でそう言った。佐倉は俯いたままのチロの頭を見つめ、ああ、と思った。ああ、チロもそうなのかもしれない。
きっと実技試験じゃあ、自分の良さがまだ出せない子なんだ。
「ササヅカ、休憩終わりだ」
背後でモントールの声。
「ちょっと待って」
佐倉が返す。そして、かがんで、俯くチロの顔を覗きこんだ。
「ね、チロも行こう」
「え?」
佐倉は鎧兜のモントールを指差した。
「あの人に着いて走るだけ。死ぬ気で走ろう」
「おい、てめえ、何抜かしてやがる」
ムドウ部隊長が話の流れを追い、厳しい制止の声を上げた。
「これはてめえの試験であって、こいつは……」
「はい分かってます部隊長。それじゃあチロ、行こう! モントールを待たせたら悪い」
「……俺の話を聞く気ねえだろ……」
佐倉は有無を言わさずチロを引っ張って、獅子門へと駆けて行く。モントールがくすりと笑って後を追う。残されたのは、爆笑する案内カウンターと苦虫を噛み潰した顔のムドウ部隊長だった。